2010年1月18日

法大弾圧裁判(暴処法2009/12/25、4・24闘争2010/1/12)

週刊『前進』06頁(2423号3面6)(2010/01/18)

法大弾圧裁判(暴処法2009/12月25日、4・24闘争2010/1月12日)

 暴処法裁判 “看板”の張本人を追及 年内保釈もぎ取る暴処法弾圧

 昨年12月25日、法大暴処法裁判が年内保釈をかけて闘いとられた。
 鈴木達夫弁護人が「検察立証が終わるまで保釈しないという実務の横行は許されない。21人も証人を請求し、保釈を遅らせようという検事の理不尽は、法律家として恥ずべきだ」と秋吉淳一郎裁判長に強く迫った。
 被告団からは増井真琴君が力強く保釈を要求した。「私たちは暴処法という戦前の法律で逮捕・起訴され、暴力的な警備法廷に立たされ、200日以上の勾留を強いられてきた。人権を侵害した看板を外しただけで生身の人間を9カ月も投獄するとは許されない。不当に権力を振るう裁判官には法律家を名乗る資格はない。保釈せよ!」
 法大総務課長・小川浩幸に対する反対尋問が前回に続いて行われた。
 2008年5月29日に33人の学生が建造物侵入のデッチあげで逮捕されたとき110番通報したのが小川であることが暴かれた。警察と相談してキャンパス内に公安警察を大量に入れ、逮捕の段取りをつけた張本人だ。
 また小川は総務部として、増井君の実名を書いた看板を張り出す実務を担った。増井君が08年に除籍処分となった際の通知は9月ごろに郵送された。しかし入構禁止については「学籍がなく、住所が不明」との理由で、09年の1月18日に実名入りの看板を出して告知することにしたという。
 法大闘争の爆発を恐れた弾圧であり人権侵害そのものだ。小川はこの行為を開き直った。
 また増井君を名指しした看板への批判を恐れた法大当局は、本件当日の2月19日の夜、看板をこっそり撤去する方針だったことが小川の口から明らかになった。看板が壊されたなどと被害者づらをすること自体がデタラメなのだ。暴処法弾圧のデタラメさと検察立証の無内容さは鮮明だ。
 閉廷後、秋吉裁判長は、5人の被告に対する保釈許可決定を出さざるを得なくなった。「前例」を覆し、闘いの正義性と実力でつかみ取った決定的な勝利だ。

 4・24法大解放闘争弾圧 “当局の暴行”生々しく 奪還6同志が元気に出廷

 1月12日、4・24法大解放闘争裁判が東京地裁刑事第17部で行われ、年内奪還をかちとった6人の同志が意気軒高と法廷に出廷した。
 冒頭、増井真琴君が「シャバは最高です」と元気いっぱいに勝利を宣言し、長期勾留と4・24弾圧の不当性を登石郁朗裁判長に突きつけた。
 「立て看板やビラまき、集会や演説が3・14弾圧を境に“犯罪”となった。4・24弾圧の不当性とは、法大闘争の歴史的経緯と時代背景、新自由主義の矛盾を語ることだ」「戦後民主主義的な闘いすらラジカルとなる時代ゆえに、必ず4・24の無罪をかちとる」
 法大総務部次長・半澤昌宏の証人尋問が行われた。法大OBの半澤は、08年4月から総務部次長となりジャージ部隊を率いて学生弾圧の先頭に立ってきた。森川文人弁護人は、検察側請求のビデオ映像を使って、4・24当日の暴力的な警備の実態を暴いた。
 東京警備保障の正木敦行が恩田亮君のサングラスをたたき落とす場面、同じく星景が恩田君の手にかみつく場面、正木が冨山小太郎君をヘッドロックする場面など、衝撃的な映像が続く。現場責任者だった半澤が「見ていなかった」とごまかす姿に、被告席と傍聴席から怒りの声が上がった。これが、不当処分に抗議する公開質問状にも答えず暴力を振るっていた法大当局の正体なのだ。
 倉岡雅美さんは、半澤が学生からビラを取り上げたり、大学の敷地外でも暴力を振るってきた事実を次々と暴露・弾劾した。増井君は、法大OBの半澤に対し、かつての法大学生運動の歴史を突きつけ、学生の表現行為を犯罪とする現状の犯罪性を鮮明にさせた。
 半澤は、ジャージ姿で暴行を振るう姿がジャパンタイムズに掲載された人物だ。「教育・研究活動の侵害」などと発言する資格はカケラもない。「業務命令」で教職員を学生弾圧に動員し、恨みを買っていたのも半澤と理事会だ。4・24弾圧の不正義は明らかだ。
 次回は弁護側立証だ。2010年の法大裁判・法大闘争の勝利へ進撃しよう!
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 法大裁判に集まろう!
 ★暴処法裁判
恩田君、増井君、織田君、内海君、新井君
第8回公判 2月10日(水)午後1時30分

 ★4・24集会弾圧裁判
齋藤君、恩田君、増井君、倉岡さん、冨山君、内海君
第8回公判 1月27日(水)午後1時30分
 ※東京地裁429法廷 12時半に傍聴券配布所へ