2010年3月15日

法大弾圧裁判 3月5日、3月8日

週刊『前進』06頁(2431号6面5)(2010/03/15)

法大弾圧裁判 3月5日、3月8日

 4・24弾圧 “全法大生への攻撃だ” 倉岡さんが処分に怒り

 3月5日、法大4・24解放闘争裁判の第11回公判が東京地裁刑事第17部で行われた。倉岡雅美さんに対する被告人質問の続きから開始された。
 倉岡さんは2008年4月に法大に入学。法大当局に批判の声を上げ始めると、徹底した監視と嫌がらせが繰り返された。同年5月28日、法大前の路上を歩いていると公務執行妨害でデッチあげ逮捕された。「この様子を法大職員が笑いながら見ていた」のだ。
 不起訴で釈放されると同時に、教授会から処分のための呼び出しがあった。倉岡さんは何人もの教授に処分反対を訴えたが、「理事会と学生センターが一体化し、教授会を意のままに動かしている。誰も声を上げられないし評決すらされない。教授会自治は終わった」と話す教授と出会った。
 職員や警備員がつきまとってビデオ撮影し、「ビラはゴミだ」と奪い取り、「無職、フリーター野郎」などと罵声(ばせい)や差別発言を浴びせるなど、弾圧はエスカレートした。倉岡さんは「学生の力で跳ね返すしかない」と決断し、シール投票など創意工夫をこらし法大生とともに処分阻止に立ち上がっていった。10月末には、ジャージ部隊を追放する決定的な勝利を実現した。
 追い詰められた法大当局は、09年に入ると「学生の本分にもとる」と3カ月と6カ月の停学処分を連発した。倉岡さんは「今日、私に3度目の処分のための呼び出し通知が来た。本件で逮捕・勾留されていたのに『09年度中の行動に問題がある』という。あまりにもデタラメだ。処分は見せしめであり全法大生への攻撃だから、絶対に許さない!」と、怒りをたたきつけた。
 4・24闘争は、「不当処分撤回と監獄大学粉砕を掲げた。『集会を見るな』という分断攻撃を打ち破りたかった。大注目を浴びた」「学生は商品ではないし、裁かれる存在でもない。怒りは世界に広がっている。大学を解放し、学生が主人公となるまで闘う」と締めくくった。増井真琴君の被告人質問が開始され、次回に続行となった。

 暴処法弾圧 玉聞が裏切り認める 被告・弁護団、厳しく追及

 3月8日、法大暴処法弾圧裁判の第10回公判が東京地裁刑事第1部で行われた。法大闘争に敵対する裏切り者、玉聞祐樹に対する反対尋問が、弁護団と被告団の総決起でかちとられた。権力にひれ伏した者の証言のデタラメさと、まったく信用できない人格を徹底的に暴ききった。
 まず、検察官との事前の打ち合わせの実態だ。玉聞は「2月22日の主尋問の準備のために、20日、21日、22日の3日間検察庁に行き、その前の土日とあわせて7〜8回」の準備を重ねていたことを認めた。玉聞は「半分は検事と趣味のカメラの話」などとうそをつくが、デッチあげ証言だからこそ時間が必要だったのだ。さらに、本件当日に一緒にいた学生たちに電話で聞き込みを行っていた事実も認めた。
 暴処法弾圧が全国一斉に強行された昨年5月15日、深夜に玉聞が帰宅すると、張り込んでいた「5〜6人」の検察官と警察官によって近所の交番に連れ込まれ、被疑者として午前2時前まで取り調べを受けた。玉聞は「逮捕されるとは思わなかったし、検察官から何があったのかも聞いてない。当日の状況を話しただけ」などと言うが、弾圧に恐怖し、デッチあげに協力した事実を隠すためのうそだ。当日の調書には、検事から被疑事実を突きつけられ供述した事実が明記してある。玉聞は「撤回し、訂正します」と証言を翻した。
 「なぜ逮捕されなかったと思うか」と弁護人が追及すると、「事件のことをちゃんとしゃべったから。黙秘した学生は逮捕され、厳しい取り調べを受けたことを聞いている」と、裏切りの代償として「融通を利かせてもらった」事実を認めた。これを売り渡しというのだ。
 被告団も次々と玉聞を追及した。「サークルの学習会で恩田を知っている」などと証言したことに対し、恩田亮君自らが「学習会には出ていない」事実を突きつけ、「撤回します」と、デッチあげを認めさせた。
 反対尋問は続行となった。デッチあげと裏切り者を粉砕しよう。
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 法大裁判に集まろう!
★4・24集会弾圧裁判
第12回公判 3月17日(水)午後1時30分
 東京地裁429法廷
★暴処法裁判
第11回公判 3月25日(木)午後1時30分
 東京地裁429法廷
★5・29デモ弾圧裁判①グループ控訴審
判決公判  3月30日(火)午後1時30分
 東京高裁
★10・17、7・24建造物侵入デッチあげ控訴審
判決公判  4月23日(金)午後1時30分
 東京高裁
 ※いずれも12時半に傍聴券配布所へ