2010年4月26日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2437号6面4)(2010/04/26)

団結ひろば 投稿コーナー

 「事故はタクシー労働者の責任じゃない!」 北海道・S労働組合 A・K

 10春闘を私の職場で闘っています。「減車」の動きが焦点となる中で、4月冒頭に系列のタクシー会社で「ひき逃げ死亡事故」が起きました。私はこの問題をメインにし、「事故は労働者の責任じゃない!『ひき逃げ死亡事故』は労働者が悪いのか? 競争と不安をあおる会社の姿勢こそ問題」と訴えたビラを全社員(280人)に配りました。
 それに先立つ支部の会議で全国労組交流センター・民間交通運輸部会(準)の「事故の原因は合理化と労働強化」「動労千葉のように闘おう」というビラを配布し討論しました。会議の後、仕事を終えた仲間が「このビラは良いから拡大して掲示板にはろう」と言ってきました。この労働者の反応に押され、全社員にビラを配りました。パッと見てすぐに「ひき逃げは労働者が悪い」と言ってきた労働者は2人でした。大半の労働者は食い入るようにビラを読んでいました。
 翌日は、H社での春闘ストライキ集会に私も指名ストに入って参加しました。減車問題がメインとなる中で、私は、事故問題に絞った発言をしました。発言が進むと70人ほど集まった労働者の中から「そうだ、そうだ」という声が上がり、その声がどんどん大きくなりました。一体感を実感して発言を終えると、一人の労働者が近寄ってきて「とてもいい発言でした。心が解き放たれる気がしました。多分みんなも同じだと思いますよ」と言ってくれました。
 その翌日、日ごろお世話になっている組合運動の先輩にこのビラを渡しました。常日ごろ運転手のマナーにうるさく、「ちゃんと確認すれば事故は防げる」と言っている人ですが、予想に反して「いいビラだ。自分のところでもまくからもう少しくれ」と言ってくれました。さらに翌日、新たな組合員が加入してくれることになりました。労働者の立場に立ちきった内容は必ず労働者に通じると確信しました。

 「反核燃の日」六ケ所再処理工場前で集会 W

 4月11日、前日の青森市内での一連の反核燃集会・デモを引き継ぎ、六ケ所村の日本原燃再処理工場前で青森反戦反核学習会主催の反核燃行動がかちとられた。
 結集した闘う仲間たちは「日帝の核武装阻止! 核燃サイクル・再処理工場即時解体!」の決意に燃え立ち、正門前に座り込んで怒りの集会を断固貫徹した。
 再処理工場は原発・「もんじゅ」と一体で核兵器材料のプルトニウムを生産する核軍事施設である。1985年4月9日、核武装を狙う中曽根政権のもとで北村青森県知事が六ケ所村への核燃施設受け入れを機動隊導入によって強行した。今回は25回目の「4・9反核燃の日」。
 地元六ケ所の漁民は「あってはならぬものができた。原発から出る放射能を六ケ所に運び込まない運動も必要。もんじゅとともに再処理工場を解体しよう」と熱烈に訴えた。青森の労働者は「再処理工場稼働は日本のプルトニウム保有になる。全国の仲間と必ず阻止する」と決意を表明。
 北陸労組交流センターとス労自主の仲間が風雲急を告げるもんじゅ闘争への決起を呼びかけた。東京の労働者は「危険なものをまき散らす工場になぜ金をつぎこむのか。再処理工場解体まで闘う」と発言。核問題研究情報センター代表の吉田義久氏と8・6—8・9反戦反核全国統一実行委事務局長の三角忠氏は、世界戦争・世界核戦争戦略のQDR・NPRを打ち出したオバマと、核武装に突進を開始した民主党鳩山政権を徹底的に弾劾し、「核燃サイクルを破綻させて日帝の核武装の野望を粉砕し、国際連帯を実現して核と戦争のない世界をつくっていこう」「全国闘争として再処理工場解体の闘いをさらに広げていこう」と檄(げき)を飛ばした。
 最後に日本原燃に向けて再処理工場解体、日帝の核武装絶対阻止のシュプレヒコールをたたきつけ、全国集会に合流、六ケ所村内をデモ行進した。労働者階級の力で国鉄・沖縄決戦を爆発させ、民主党連合政権をぶっ飛ばし、核燃サイクルを即時解体しよう。

 もんじゅ運転再開に怒りの敦賀現地闘争 北陸 K

 4月18日、福井県敦賀市で、もんじゅ再開反対!現地抗議集会が500人の参加で行われた。
 北陸労組交流センターと富山大学学生自治会は、愛知労組交流センター、東海合同労組、8・6—8・9反戦・反核全国統一実行委員会の仲間とともに結集し、参加者にアジテーションとビラで「日米安保粉砕! 沖縄米軍基地撤去! もんじゅ運転再開阻止! 民主党政権打倒! 国鉄1047名闘争勝利!」と訴えた。
 「国鉄1047名解雇撤回」ののぼりを掲げ、ビラで政府と4党の「解決案」を全面的に批判していることに打撃を受けた原水禁事務局は、われわれと参加者を分断しようと、ビラまきを妨害してきたが、次々とビラが受け取られていく様を目のあたりにして、なすすべもない。
 現地集会は、「もんじゅを廃炉へ!全国集会実行委員会」主催となっているが、社民党と原水禁がとりしきり、「もんじゅ再開は止められない。再開してからも運動は続けよう」という、参加した現場労働者に敗北感と闘争の幕引きを強制する度し難い内容である。
 集会中は退屈そうにしていた青年労働者も、もんじゅゲート前までのデモでは、元気よくシュプレヒコールをあげている。現場労働者はみんな、もんじゅ再開に怒り、闘う方針を求めているのだ。それを抑えつけているのが体制内指導部である。反戦・反核闘争の主体は労働者階級だ。その闘いは、体制内指導部の制動を打ち破る度合いに応じて前進するということを痛感させられた。
 労働者の階級的団結で核と戦争を止めよう。国鉄・沖縄決戦を爆発させ、改憲と核武装を進める鳩山民主党・連合政権を打倒しよう。

 第10期党学校で 本来の労働者階級の前衛党を建設しよう 久永裕幸

 第10期党学校を受講して、反スターリン主義・革命的共産主義の闘いはマルクス主義を復権する闘いなんだ、とあらためて感じました。
 党(党員)を労働者階級と離れた特別の存在とすることは、特権意識を生み出すものになると思います。
 このスターリン主義によって歪められた、党を階級の上に置くあり方が、労働者階級の解放をとおして人類の普遍的解放を実現するものではなく、スターリン主義官僚制によって労働者階級人民を抑圧するものになっている。このマルクス主義の改ざん・変質と闘い、本来の労働者階級の前衛党を建設していかなければならない。そのことを強く再確認することができた党学校でした。
 革命的共産主義運動50年の闘いは、党を特別のものとせず、労働者階級と一体の存在として党を建設する闘いだったと思います。それは、レーニンが第2インターナショナルの変質(日和見主義)と闘い、マルクス主義を復権する苦闘をとおしてロシア革命に勝利していったことと重なるものを感じました。特に『国家と革命』の講義での国家をめぐる日和見主義との闘いは、今われわれが直面している現実そのものを見るようでした。
 われわれは今、世界革命情勢を前にして労働者階級の前衛党として綱領草案を発表し、マルクス主義を貫いた労働運動である動労千葉労働運動を広げる闘いに全力をあげています。この闘いに勝利するためにも、党学校での講義内容を深め、武装していくことが必要だと実感した1年でした。

 第10期党学校で マルクス主義で私を鍛える1年間に賭け 八田瞭子

 この世界大恐慌下の革命情勢の中で、労働運動の中でオルグしてきた労働者と青年労働者を絶対に革命運動に獲得したい! 党学校—マルクス主義で私自身を鍛える1年間に賭けようという思いで参加しました。
 あらためてマルクス主義が労働者階級の解放と実践の理論だということを強烈に突きつけられました。
 最初に、今日、動労千葉が切り開いてきた階級的労働運動の地平を半世紀の革命的共産主義運動の観点から明らかにしたことです。動労千葉労働運動を徹底して学ぶ最大の根拠は、労働者の生きた団結の実践と階級的労働運動路線が労働者階級を支配階級に育て上げ、帝国主義を打倒していく「労働者自身の事業」なのだという確信です。
 『共産党宣言』〜『資本論』〜『帝国主義論』『国家と革命』のどの時代どれをとっても、マルクスやレーニンが眼前に起こっている階級闘争を徹底して見つめ、その中に労働者の闘いへの信頼を見いだし、革命に敵対する者たちに決死的な路線的闘いを挑んで、プロレタリア独裁、革命に切り込んでいく。情勢の中に闘いがある、闘いがあって路線を深化・発展させ、情勢を切り開く——まったく当たり前のことを学びました。そして、綱領草案の理論的背景を進行形でより深化してつかみ取ったことを実感しました。
 労働者は時間がない、しかし、実践する労働者こそ学ばなければならない。『共産主義者』を改めて読み始めました。党の機関紙・誌をはじめ、出版物一つひとつが、この間の情勢的把握と理論的前進の源泉です。
 党学校の最高の講師とあの密集した緊張感は自分をさらけ出し、獲得する自己解放的なものでした。マルクス主義を掲げ、「党は階級自身の中から形成しなければならない」。
 沖縄—国鉄で実践を!