■特集 エジプト・中東情勢Ⅱ

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月刊『国際労働運動』48頁(0450号03面02)(2014/02/01)


■特集 エジプト・中東情勢Ⅱ
エジプト革命の新局面と米帝の中東支配の危機

新自由主義と弾圧に突進――軍部と暫定政府の反動諸政策

(写真 タハリール広場で軍主導の暫定政府に抗議する青年たち【2013年12月1日】)

新自由主義と弾圧に突進――軍部と暫定政府の反動諸政策

暫定政府の反動的性格

 昨年7月3日の軍部クーデター後の7月8日に軍部によって任命された暫定政府は、ムバラク時代に最高憲法裁判所副長官であったアドリー・マンスールを大統領とし、国家による食料や燃料への補助金制度の廃止論者として知られる新自由主義者の経済学者ハゼム・エル・ベブラーウィを首相とするブルジョア独裁政権である。クーデターの首謀者である国防大臣・アブドルファッターフ・アッ=シーシーも第一副首相として入閣している。その構成員も軍人、ムバラク時代の官僚、銀行家、元駐米大使などである。この政府は2013年末までに新憲法を制定し、2014年初頭の国会選挙と大統領選挙を実施し正式の政権を発足させるとしている。
 だがそれまでに、現政府の大統領と首相は軍によって与えられた無制限の立法権、行政権などの独裁権力を全面的に利用して、正式の政府発足までに軍部の意向を反映する旧ムバラク体制の再建の基盤を固めてしまおうとしている。
 そのために軍は8月13日、全国27県のうち25県でムルシによって任命された県知事を罷免し、新たに25人の知事を任命した。そのうち19人は軍の将軍であり、2人は元ムバラク派の裁判官である。その上で8月14日、暫定政府に1カ月間の非常事態宣言を出させ、兵士に市民を逮捕する権限を与えた。ムバラク体制の下で労働者人民を監視し弾圧していた秘密警察を復活する計画も発表した。
 暫定政府の反動的性格は以上の点からだけでも明らかだ。

弾圧法規の整備

 現在、暫定政府は労働運動と革命運動の弾圧のために、さまざまな弾圧法規を整備し始めている。
 2011年4月に当時国家権力を掌握していた軍によって制定されたストライキ・デモ・集会などによる「(一般労働者の)働く権利への侵害と秩序の破壊を犯罪として処罰する法律」は、ムルシ政権によって労働運動を弾圧するために利用されたが、今日の暫定政府もこれを労働者の闘いを弾圧するために利用している。
 暫定政府はこれに加えて10月10日、集会・デモ・抗議行動に関する新法を閣議決定した。この新法は、2011年革命の舞台となった大統領宮殿や国会などの公的建物での周辺でのデモを禁止し、その他の地域で行われるデモも恣意的に禁止する裁量権を警察に与えるものだ。また平和的なデモであっても、デモ隊員の一人でも石を投げたり暴力的行動に出た場合、デモ隊総体を解散させる権限を警察に与えている。
 集会・デモの組織者はその名前を明らかにし、集会・デモの行われる3日前までに警察に届け出なければならない。集会は公的なものであれ、私的なものであれ10人以上集まる場合は、事前に警察に通告しなければならない。しかも集会には警察が臨検することができ、警察の恣意的判断で集会を解散させることもできる。これでは10人以上集まるものならば職場集会や私的な会合にも警察が介入し、集会を妨害したり解散させたりすることも可能になってしまう。労働運動や市民運動なども全面的な警察管理の下に置かれてしまうのだ。
 そのほか抗議運動に参加する者は、マスクや覆面をしてはならないとか、デモコースの恣意的変更や集会の中止命令を警察が出せることも規定されている。
 暫定政府はこの新法を使って労働運動の弾圧もエスカレートさせようとしている。たとえばこの新法は、生産を阻害し、経済に打撃を与える座り込み闘争を禁止し、座り込みを行う14日前(郵便・交通・電気・ガスなどの公共企業の場合は28日前)に警察にその旨通告することを義務づけている。またストライキは事前に文書で通告しなければならないし、所属する組合の承認がなければならないとしている。これらの規定に違反した場合は、2~5年の懲役と5~20万エジプト・ポンド(約70~280万円)の罰金が科される。総じてこの新法は戒厳体制を恒常化するものだ。
 以上の点から見て、この新法は労働者階級のあらゆる抗議活動や職場闘争を犯罪として徹底的に弾圧する意思を暫定政府が明らかにしたことを示す。この新法は、まさにムバラク時代以上の労働運動と革命運動の弾圧に軍部と暫定政府が全面的に打って出ることを表明するもの以外のなにものでもない。

革命防止のための憲法草案

 新憲法草案も現在、軍が任命した50人の委員からなる憲法制定専門家委員会が制定作業を進めているが、労働組合の代表は御用組合のエジプト労働組合連盟の代表しか参加していない。草案には争議行為を労働者の固有の権利としつつ、同時に国会や司法権力がそれを制限できるという規定があり、徹底的に反労働者的で革命を防止しようとするものでしかない。
 暫定政権の政権移行ロードマップ(行程表)に基づき、憲法改定作業を進めていた50人委員会は、12月1日、草案をまとめた。草案は軍に強い権限を認めている。国防相人事については軍最高評議会の承認が必要と定めており、軍は事実上、内閣に対して拒否権を持つことになる。軍は軍事予算決定の判断に関与が認められ、ムバラク独裁時代から軍が保持していた既得権も維持した。また、軍に損害を与えた市民を軍事裁判にかけることを可能にする規定も盛り込まれていて、労働者人民の闘いを司法機関ではなく、軍自身が裁き、重罪を科すことも認めている。これもムバラク時代の弾圧制度を復活するものだ。草案は近くマンスール大統領に提出され、2014年1月に国民投票に付される予定だ。
 さらに軍部と暫定政府の支配に反対する運動が活発化し始めている大学においても、9月の時点で大学の守衛に学生を逮捕する権限を与え、大学の警察的管理を強化した。これは2010年10月の大学からの警察の撤退措置を撤回し、学生運動の弾圧体制を復活しようとするものだ。
 このような反動的動きに対して、労働者、青年の間で急速に怒りが高まっており、12月1にはタハリール広場で集会・デモ・抗議行動に関する新法に反対する1万人の大規模集会が開催されている。

新自由主義政策への突進

 軍部と暫定政権が以上のような弾圧体制を全面的に強化しているのは、崩壊寸前のエジプト経済の危機を、新自由主義政策の全面展開によって乗り切り、軍部とムバラク派ブルジョアジーの共同支配体制を維持するためには、労働者階級の抵抗を徹底的に粉砕しなければならないからである。
 エジプト経済は2011年2月のエジプト革命後、革命に恐怖した外資の引き揚げや、富裕層の持つ金の国外逃避、観光客の激減を原因としたエジプトの主要産業のひとつである観光業の衰退、国際収支の悪化、インフレの激化、外貨準備の急減(2011年2月から2年間で60%減少)などによって崩壊寸前となっている。
 このため2013年の失業率は13%(公的発表)となった。うち若者の失業率は80%を超えるに至った。国民の40%が一日2㌦以下で生活せざるをえない現状を強制されている。国営企業の労働者の賃金未払いや支払い遅延も急速に拡大している。エジプト経済の最後的崩壊は湾岸産油諸国からの緊急支援によってかろうじて回避されているに過ぎない状態だ。
 こうした危機的状況を乗り切るために、ムルシ政権時代からIMF(国際通貨基金)による48億㌦の融資受け入れが検討されてきた。だがIMFはこの融資と引き換えに労働者人民に恐るべき犠牲を強いる緊縮政策の受け入れを要求している。とりわけ国家予算の25%を占めている燃料と食料の補助金を削減し、財政赤字を現在のGDP(国内総生産)の11%から2014年末までに8・5%に減らすことを要求している。
 この補助金が削減されれば、今でさえ極限的に厳しい労働者階級の生活が完全に破綻するのは必至だ。だからこそムルシ政権は全力を投じてIMFの緊縮政策を受け入れようとあがいたにもかかわらず、労働者階級の何度にもわたる激しい怒りの反撃にあってついにこの補助金の廃止を決断できなかったのだ。
 ところが軍部と暫定政府は、予測される労働者階級の激しい抵抗闘争を暴力的に弾圧しても、IMFの緊縮政策を受け入れようと決断したのだ。軍部はそれによって再び労働者階級が反軍部、反政府闘争に立ち上がり、本格的な階級決戦情勢が到来することも予測して、弾圧体制を強化しようとしているのだ。

軍部の特殊な性格

 では、軍部はなぜ労働者階級全体を敵に回してでも軍部とムバラク派ブルジョアジーの権益を守ろうとしているのだろうか。それは軍部それ自身が単なる軍隊ではなく、エジプトのGDPの30%程度を生産する製造業、農業、サービス産業(ホテル運営から自動車修理業まで含む)などを経営する巨大な軍産複合体であるからだ。要するに軍部は軍隊であると同時に巨大な資本家の集団=財閥なのだ。
 軍部のこうした性格は、イスラエルとの平和条約が締結された1979以降顕著なものとなった。この平和条約締結によって恒常的な戦争体制が解除されるに伴って大量の兵士と将校が除隊し、失業者が増大した。そうしたなかで、サダト大統領が暗殺された後、1981年に大統領に就任したムバラクは、国家事業計画機構を設立して除隊した大量の兵士を吸収し軍による事業を開始した。退役した高級将校がその管理職に就いた。この事業体は軍が国防目的で使用するという名目で国有地をただ同然に獲得でき、税制上の優遇措置も受けることができた。また労働力も除隊兵士を安い賃金で雇用できた。このような国家の保護を受けた軍の事業体は、当初の消費財の生産から次第にあらゆる産業分野に進出し、観光、不動産業、石油・天然ガスなどのエネルギー産業まで所有する一大財閥に成長した。しかも他の企業と異なって軍が管轄するため、議会による監査対象から外され、経営、財務などの領域で国家の干渉を受けない自由きままな経済活動を保障された。
 軍上層部が独特の権益を持つこの軍財閥は、ムバラク体制の末期においてムバラクの息子のガマール・ムバラクらが推進する新自由主義政策の阻害要因になり、ムバラク派ブルジョアジーとの暗闘が繰り広げられた。軍部はガマールらが国家の主導下で軍部の権益も含めて民営化する政策をとり、軍の既得権益を侵害し始めたことに危機感を抱き、一時はムバラク派ブルジョアジーと対立していた。
 だが、クーデターによってムルシ政権を打倒すると、軍部は軍の権益を守るためにはエジプトの資本主義体制を護持することが必要であり、そのためには、ムバラク派ブルジョアジーと手を組んで労働者革命を粉砕することが必要であることをあらためて決断したのだ。軍部内に反対の多い新自由主義政策を軍部の権益を侵さずにどのように展開するかという点では、軍部とムバラク派ブルジョアジーの間に依然として対立はあるが、労働者階級に対抗するために、とりあえず両者が共同戦線を組むしかないことを認めたことは明らかだ。デモ隊殺害の罪に問われて、いったんは終身刑の判決を受けたムバラクの保釈(8月22日)はこのような軍部の立場を象徴的に示す事件だ。
 こうして労働者階級と軍・ムバラク派ブルジョアジーの間の絶対的対立関係という構図が極めて鮮明になった。労働者階級はすでに見たような労働運動指導部や「左翼勢力」の混乱と危機のなかで、この構図をまだ完全に理解しているとは言えないが、今後の反動的な新憲法制定過程と議会選挙過程でこの絶対的対立構図は次第に明らかになるであろう。その時再び、労働者階級は軍部とムバラク派ブルジョアジーの共同戦線に対する断固たる闘いに決起するであろう。