●特集 米帝のイラク侵略再開を許さない Ⅲ 内戦乗り越え闘う石油労組――階級的労働運動で闘う労働組合

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月刊『国際労働運動』48頁(0456号03面03)(2014/09/01)


●特集 米帝のイラク侵略再開を許さない Ⅲ
 内戦乗り越え闘う石油労組――階級的労働運動で闘う労働組合

占領下での戦闘的労組の再建

 中東で最も長い労働運動の歴史を持つイラクでは、労働運動は第1次大戦ごろから石油労働者によって開始され、1950年代に活発化した。当時25万人の労働者が労働組合に組織されていた。58年のイラク革命後には労働運動は急速に発展し、59年のメーデーには50万人の労働者が参加している。
 だが、63年にバース党が政権に就くと労働運動は厳しく弾圧された。87年にサダム・フセインが政権に就くと公務員および国営産業の労働者の労働運動を禁止する法律150号が制定され、弾圧はさらに強化された。石油労組を始めほとんどの労働組合が解散させられ、以後2003年まで労働運動は壊滅的状態に置かれた。フセイン統治下では政府と一体化した御用組合しか存在せず、多くの戦闘的な労組活動家は投獄されたり、亡命したり、地下で非合法の労働運動を展開していた。
 だが、米軍侵攻によってフセイン政権が崩壊し、占領が開始されると、多くの組合活動家が出獄し、あるいは外国から帰国し、公然と活動を始めた。2003年5月には米占領軍に協力を誓ったイラク共産党系のイラク労働組合連盟(IFTU)が結成されたが、この組合は米占領軍に公的に承認された御用組合以外の何ものでもなかった。

石油労組の結成

(写真 ハッサン・デュマ石油労組連盟議長)

 イラク総生産高の8割を生産する国有企業では労働組合を結成することはまだ禁止されていたし、今日に至るまで労働法も労働組合法も存在していない。にもかかわらず石油労働者のハッサン・デュマを先頭とする活動家は占領軍の弾圧を乗り越えて実力で石油労組を再建した。ハッサン・デュマは米帝を始めとする帝国主義諸国軍によるバスラ占領が開始された直後の03年4月に30人の活動家を組織して秘密裏に南部石油会社労働組合を結成し、労働運動を再建する活動を開始した。
 占領直後から戦争で破壊されたイラクの油田を米英などの石油資本によって全面的に近代化・改修した上で支配することを計画していた占領軍は、石油労働者に賃金も支払わず、油田や製油所の生産再開や管理も放棄していた。
 これに対し100人の製油所労働者たちは、03年6月、生きていくために未払い賃金の支払いを要求する闘いに決起した。占領軍は「給料をよこせ」と叫んで製油所を封鎖した労働者に対し銃を突きつけて脅迫したが、労働者たちはこの弾圧を跳ね返して、ついに未払い賃金の支払いをかちとった。この闘争の勝利を契機として南部石油労組の組合員は100人から一挙に3000人に増大した。強力な団結力を持った労働組合の一挙的組織拡大によって、占領当局はますます南部石油会社労組の労働組合を弾圧することが困難になった。

生産管理と賃上げ闘争

 占領当初、米英占領軍は油田を放置して荒廃するに任せていた。それによって油田を管理する国有イラク石油会社を破産させ、米英の石油資本によって買収し近代化する予定だったからだ。
 だが、石油労組に結集した労働者たちは自力で破壊された油田を修理し、生産を再開し、生産管理を進めてしまった。労働者たちは生産を再開し、管理することで占領軍による油田の外資への引き渡し策動を阻止したのだ。石油精製部門でも自主管理闘争を通じて職場の支配権を握った。その上で、職場闘争の積み重ねで占領当局を追い詰め、03年8月の初めての3日間ストライキ闘争と断固たる対決姿勢でついに04年1月占領当局を屈服させ、最低賃金の引き上げをかちとった。
 南部地域での最低賃金の引き上げに労働組合が勝利したことで、北部、中部における石油労働者の賃金も引き上げられたため、全国の石油産業や他の産業の労働者は南部石油会社労組の闘いに注目した。この闘いを経て、南部石油会社労組はイラクにおける労働運動の牽引車となった。

組織拡大と民営化政策との闘い

 南部石油労働組合はその後も米ハリバートン社による新生産設備と外国人労働力の導入を阻止するとともに組織を南部の石油産業全体に拡大していった。
 04年6月には南部石油労組は、イラク南部の全石油労働者の半分(2万3000人)を組織するイラク最大の労働組合に発展し、イラク全石油労働組合(GOUE)と改称した。この労働組合は、南部石油会社、南部ガス会社、南部製油会社、イラク掘削会社、石油輸送会社、ガス充填会社、製油会社、石油プロジェクト会社、石油パイプライン会社など主要な石油産業関連会社を組織する労働組合になった。
 全石油労組はイラク最大の石油積出港ウム・カスル港湾労組や発電所労組の組織化など、他の産業でも戦闘的労働組合の組織化を積極的に支援し、南部における労働運動の指導勢力となった。こうして、全石油労組は労働組合を軸とした労働者の闘いを発展させることで、占領軍の即時撤退を要求する闘いや、傀儡政権との闘いを推進する姿勢を示した。
 これに対して米占領軍は04年9月以降、開発中または新規開発油田の民営化方針を打ち出し、その計画実施のために全石油労組を解体する攻撃に打って出た。
 全石油労組は05年5月25日、バスラで全国から150の労働組合の代表と米・英などの労働組合の代表を集めて民営化反対の集会を開催し、イラクの全労働組合を民営化反対の闘いに糾合する闘いを開始した。こうして05年6月20日には、バスラ製油所では、民営化反対の抗議ストが行われ、同年7月22日にはイラク全石油労働組合はバスラで民営化反対の24時間ストを行い石油の輸出を停止させた。
 この闘いを全国的に推進するために、全石油労組は、06年12月にはイラク石油労働組合連盟(IFOU)を結成し、南部だけでなく、全国の石油労働者を組織する全国規模の労働組合の形成に向けて動き始めた。組合員数も3万人へと増大した。
 以後、IFOUは07年2月の民営化を推進する石油法案の閣議決定を受けて、本格的な民営化反対の闘いに突入する。

石油民営化阻止の大ストライキ

 07年6月にはついに決戦的闘いが開始された。6月4日IFOUは、外国資本にイラクの油田を売り渡す石油民営化法反対の声明を出すとともに、大ストライキに突入した。労働者たちは、石油パイプラインを封鎖し、バグダッドを含む国内への石油の輸送を阻止した。これに対してマリキ政権はイラク軍第10師団をスト弾圧のために派遣し、ハッサン・デュマ委員長ら4人の指導部に逮捕状を出した。6月8日には、政府は戦車と重武装したイラク政府軍によって石油労働者を包囲し、組合指導部に全面屈服を迫った。これに対しIFOUはさらに戦術をエスカレートさせ、6月13日に最大規模のストライキに突入することを宣言した。そしてついに武力弾圧に屈しない石油労働者の闘いに追い詰められたマリキ首相は、6月11日に、軍隊を撤退させ、石油法の採択をいったん延期する声明を出さざるを得なくなった。石油の民営化政策は石油労働者の実力ストで阻止されたのだ。
 イラク政府はこの大ストライキを通じて、IFOUこそが石油法と石油民営化を阻止している最大の勢力であり、イラク労働運動の基軸であることを思い知らされ、IFOU弾圧を一段とエスカレートさせた。7月18日には、政府はフセイン政権時代の公共労働者の組合活動を禁止する法律をIFOUに適用して、組合活動と組合事務所の使用を禁止した。

反撃する石油労組連盟

 だが、IFOUはこのような組合非合法化弾圧を跳ね返して闘いを継続してきた。
 IFOUは、イラク労働者共産党系のイラク労働者評議会・労働組合連合(FWCUI)などと連携しながら、他の労働組合の組織化を支援したり、多くの労働組合との共闘関係を強化してきた。とりわけイラク南部では、鉄道や港湾、教員の労働組合とともに賃上げ闘争や労働条件改善闘争で共闘を実現し、イラクの労働運動の活性化を推進してきた。
 IFOUがFWCUIと連携を強化しているのは、FWCUIがクートの繊維労働者、ナシリアの電力労働者、バグダッドの化学工業や皮革産業の労働者などの生活防衛の闘いと国有企業民営化に反対する闘いを指導し、イラクの労働運動の発展のために共通の闘いを展開してきたからだ。今日でもこの共闘関係は継続しており、イラク労働運動の重要な軸へと成長しつつある。

新たな全国的労組連合体の結成

 石油労組連盟は、石油労組を組織するだけでなく、イラクのすべての労働組合を石油労組を軸として統合し、御用組合と対決しうる新たなナショナルセンターの建設に向かって闘っている。
 2009年3月13、14日、政府と一体化した御用組合・イラク労働総同盟と対決して闘っている三つの主要な労働組合がアルビルで第1回国際労働者大会を開催し、新たな全国的労組連合体の結成を宣言した。イラクの労働運動を全国的に統一する第一歩が切り開かれた。三つの労働組合とは、①イラク石油労組連盟、②電力労働組合、③イラク労働者評議会・労働組合連合だ。
 この大会には、イラク全土から石油ガス産業、港湾、発電・配電産業、建設業、輸送、通信、教育、鉄道、サービス・医療産業、機械・金属産業、石油化学産業などの労働組合の200人以上の代表と、学生代表、米、英、南ア、オーストラリアなどの国際連帯代表が参加した。アメリカからは500万人以上の組合員を代表するアメリカ反戦労組連合の代表が参加した。この大会では、イラク石油労組連盟議長のハッサン・デュマが3万5000人の石油産業労働者を代表して発言し、民営化反対、労働基本権獲得、宗派主義・民族主義反対を訴えた。

労働組合の合法化要求する闘い

 マリキ首相は、2006年5月に首相に就任して以来一貫して労働組合敵視政策をとり、労働組合や争議行為を非合法化してきた。労働者たちは米帝のイラク経済支配と民営化政策と対決し、労働者の権利を守るためにさまざまな組合を結成して闘ったが、マリキ政権は、警察を動員して次々と労働組合を暴力的に解散させてきた。
 だが、石油労組は強固な団結と実力闘争で労働組合を非合法のまま守り抜き、マリキ政権と闘う全国の労働者の闘いを鼓舞する重要な役割を果たした。
 2013年2月、石油労組は、労働組合の権利を要求するとともに、労働組合を弾圧する南部石油会社の幹部の辞任を要求してストライキに突入した。同時に3回にわたって本社前で1000人の石油労働者が抗議集会を行った。
 この闘いに恐怖した政府は、サダム・フセイン政権時代の法律を適用し、石油労働者のストを扇動することによってイラク経済に悪影響を与えたとして石油労組連盟委員長のハッサン・デュマと17人の活動家を告訴した。13年11月10日、バスラの裁判所はハッサン・デュマに対する告訴を棄却したが、17人の活動家に対する裁判は継続しており、総計60万㌦の罰金が課せられている。
 さらに同年12月10日には3000人以上の石油労働者たちが南部石油会社の本社を包囲し、労働組合の権利を認めることを要求した。この集会でハッサン・デュマ委員長は、「政府はわれわれの労働組合としての権利を認めていない。労働組合を禁止するサダム時代の法律は現在も政府が利用しており、イラクの労働組合の活動を禁止するために使っている」と発言し、石油労働者の低賃金、労働条件や住宅問題などの解決を要求した。
 石油労働者たちは、この集会の後、毎日2時間の抗議行動を2週間続けた。
 南部石油会社は2010年以来、労働者に約束したボーナスの支払いを拒否し、社宅の供給と医療保険への加入も拒否している。とりわけ、イラク戦争の際に米軍がイラク南部で大量に使用した劣化ウラン弾の放射能で苦しむ石油労働者のための医療保障もしないことに労働者の怒りは爆発したのだ。
 14年1月には、石油労組連盟は、サダム・フセイン時代以来の公共部門の労働者の組合結成を禁止する法律を廃止し、新たな労働法、労働組合法を通過させるように議会に圧力をかける闘いを展開した。2012年以来、イラクの諸労働組合は労働者の権利を保障する新たな労働法と労働組合法の制定のために活動しているが、その闘いの最先端を石油労組連盟が切り開いている。公共部門はイラクの全生産高の8割を占めており、この部門で労働組合の権利を保障する労働法、労働組合法を獲得することは、労働運動の発展にとって決定的な意味を持つ。

内戦下で闘う労働組合

 内戦の激化のなかで、労働組合に対する攻撃や弾圧が激化している。
 ISが支配しているモスルやティクリート、ファルージャでは、ISによる教育労働者とその家族に対する襲撃やイラク教育労働者組合の委員長などの労働組合指導者に対する虐殺攻撃が始まっている。ISは世俗的な教育や教育労働者の組合による自治的活動を一切認めず、暴力的に教育労働者の組合を破壊しようとしている。
 また石油労働者たちもISが油田や製油所を暴力的に支配するなかで、労働組合と組合活動を破壊されている。
 このような厳しい状況下でも、イラクの労働者階級は内戦下での新たな闘いを開始している。
 イラクで内戦が激化し、宗派間対立、民族間対立が危機的にエスカレートするなかで、このような対立を克服し、アメリカ帝国主義の内戦への介入や、シーア派主導の政府のスンニ派抑圧政策と闘うために、石油労組連盟と共闘しているイラク労働者評議会・労働組合連盟が2014年6月16日に声明を出した。この声明では、以下のような立場が明らかにされている。
 「イラクの労働者階級は北はクルディスタンから南部のはずれまで全国に存在する勢力である。この労働者階級の存在と存続は、差別の解消とイラク人民の団結にかかっている。この勢力だけがイラクの細分化と分断を終わらせることができる」
 「われわれは、アメリカの介入を拒否し、またイランの厚かましい介入を断固として拒否する」「われわれはとりわけサウジアラビアやカタールなどの湾岸諸国の介入や武装集団への資金供与に反対する」
 「われわれはヌーリ・マリキの宗派的で反動的な政策を拒否する」「われわれはまた、武装したテロリストのギャングや民兵によるモスルやその他の都市の支配を拒否する。われわれは差別や宗派主義に反対するこれらの都市の人民の要求に同意し、それを支持する」
 「最後に、われわれは宗教機関の介入とその無差別的戦争行為の呼びかけを拒否する」
 このような立場は、労働者階級の団結の強化とその勢力の拡大だけが、イラクの内戦を根本的に克服する道であること明らかにしている。それは米帝やシーア派主導のイラク政府の宗派間・民族間の差別・分断政策による支配や湾岸の反動王政諸国の介入を拒否し、団結した労働者―労働組合のイニシアチブの下に内戦を克服し、宗派、民族にかかわりなく平等な権利を享受できる新たな社会を建設する意志を示したものだ。
 この声明からもイラクにおける労働組合の重要な役割は明らかだ。このようなイラクの石油労組連盟を始めとする戦闘的労働組合の闘いは、「アラブの春」で立ち上がったエジプトやチュニジアの労働者を始め、全アラブの労働者階級の注目を集めている。それはイラクの石油労働者の闘いが、宗派間、民族間の分断を克服しながら、労働者階級の力でブルジョア支配階級を打ち倒し、帝国主義の侵略戦争を阻止する労働者革命に向かって決定的な闘いを開始したアラブ諸国の労働者に明確な展望を示す闘いだからである。
 われわれはこのような立場に立つイラクの労働者階級、労働組合と国際的に連帯し、帝国主義の中東侵略を阻止しなければならない。

イラクの労働者階級との国際連帯を

(写真 バスラの南部石油会社本社前で抗議行動を行う石油労働者【2013年4月6日】)

 イラクの労働者階級は石油労組連盟を始めとして国際連帯を重視している。石油労組連盟はとりわけ、侵略戦争を仕掛けてきた米帝や英帝の労働者階級との国際連帯を最重視している。
 石油労組連盟は、イラク戦争に反対して多数の反戦デモを組織してきた米反戦労組連合と密接な関係を持ち、イラクやアメリカで多くの反戦集会を開催してきた。また2008年5月1日にイラク侵略戦争と米軍のイラク駐留に反対してイラクの港湾労組や石油労組と連帯する米西海岸の全港湾封鎖の闘いを貫徹した国際港湾倉庫労組(ILWU)とも交流してきた。これに対して石油労組連盟と共闘しているバスラの港湾労組はILWUの闘いに連帯ストで応え、戦時下における労働者の国際連帯のあるべき姿を全世界の労働者に示した。
 05年と06年には石油労組連盟のハッサン委員長はイギリスを訪問し、イギリスで100万人を超えるイラク反戦デモを組織した「戦争阻止連合」の集会などに参加し、ロンドン、リバプール、マンチェスターなどの労働組合と交流している。
 侵略戦争を仕掛けた国の労働者と侵略された国の労働者が海を越えて連帯し、侵略戦争を阻止するとともに、帝国主義の世界支配を転覆しようとする偉大な闘いがイラクとアメリカ、イギリスの戦闘的な労働組合によって展開されているのだ。
 このような闘いこそが、帝国主義の侵略戦争や帝国主義間戦争を根底的に粉砕する決定的な闘いであることをイラクの労働組合は示したのだ。われわれはこのイラクの労働者階級が切り開いた闘いに学び、イラクの労働者階級との国際連帯の闘いを強化するとともに、日帝のアジア侵略戦争阻止のために、日米韓の労働者階級の国際連帯をさらにいっそう強化しよう。