■マルクス主義・学習講座 労働組合と国家――資本主義国家と闘う労働組合 ⑸ 丹沢 望

月刊『国際労働運動』48頁(0456号05面01)(2014/09/01)


■マルクス主義・学習講座
 労働組合と国家――資本主義国家と闘う労働組合 ⑸
 丹沢 望


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  目 次  
はじめに
第1章 労働者と国家の闘い
   ・階級対立の非和解性の産物としての国家
   ・国家に対する階級闘争の歴史
   ・革命の主体、労働者階級の登場
   ・マルクスの労働組合論(以上、4月号)
第2章 労働組合の発展史
   ・初期の労働者の闘いと国家による弾圧
   ・マルクスの労働組合論
   ・パリ・コミューンと労働組合
   ・サンジカリズムの台頭(以上、5月号)
   ・ロシア革命と労働組合
   ・30年代のアメリカ労働運動(以上、6、7月号)
   ・労働者階級の自己解放闘争と労働組合(以上、
    今号)
   ・暴力について
第3章 パリ・コミューンと労働組合
   ・労働組合と革命
   ・コミューン時代の労働組合
   ・労働の経済的解放
第4章 ロシア革命と労働組合
   ・05年革命とソビエトの結成
   ・1917年2月革命と労兵ソビエトの設立
   ・労働者国家を担う労働組合
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労働者階級の自己解放闘争と労働組合

 階級的労働運動の核心はマルクス主義である。マルクス主義の核心は、「労働者階級の解放は労働者自身の課題」(労働者階級自己解放)だということにある。そして労働者階級の解放は、資本主義社会の全面的転覆によって達成される。マルクスは、労働者階級の階級的解放が同時に、階級社会の下でのあらゆる抑圧・差別からの人間の解放、すなわち普遍的な人間解放であることを明らかにした。
 労働者こそ、その労働によって生産と社会を成り立たせているこの社会の真の主人公でありながら、資本主義の下では一切の生産手段・生活手段を奪われて資本の賃金奴隷となる以外に生きることができない。
 プロレタリア革命とは、労働者階級が資本家階級の支配を打ち倒し、ブルジョア国家権力を粉砕してプロレタリア独裁を樹立し、資本家階級の私有財産としてあるすべての生産手段を団結した労働者のもとに奪い返して全社会を再組織することに他ならない。それはパリ・コミューンとロシア革命が証明している。
 マルクス主義の立場に立たない多くの労働運動や革命運動は、労働者は解放され救済されるべき対象だとし、解放の主体は政党や労働者以外の少数の指導者とするものであった。労働者蔑視の思想が根本にあった。
 革命運動に加わり、指導してきたインテリゲンチャが、こうした労働者蔑視の思想から決別するには、マルクス主義の立場に立った労働者階級への階級移行が必要だった。
 労働者階級は労働組合に結集し、職場での闘いを通じて闘う能力を獲得し、階級的に団結し、自己を労働者階級として階級形成し、未来社会を建設する主体に成長する存在である。
 マルクス、エンゲルスが労働者階級の自己解放闘争論を明らかにし、労働組合は資本主義制度打倒の機関として重要であることを強調して闘ったにもかかわらず、その後の社会主義党派は、労働組合の役割を徹底的に低めた。
 第2インターナショナルの社会主義諸政党は、革命を投げ捨てたり、綱領的にマルクス主義の立場から離反していた。ドイツ社会民主党のベルンシュタインは、革命を否定し、改良主義を唱え、マルクス主義を否定した。資本とプロレタリアートとの絶対非和解の対立を否定し、資本が支配する資本主義社会の根底的な打倒ではなく、資本主義制度の枠内での改良主義に転落していた。
 彼らは自分らの立場をごまかすために、革命は政党の課題、経済闘争は労働組合の課題というように分離した。〝革命のような「高度な」政治的課題は労働者階級には無理。労働者は自分たちの物質的利害をめぐる経済闘争で闘えばいい。革命の時期が来たら革命的政党にしたがって決起すればいい〟という労働者蔑視の立場に立っていた。
 この第2インターの問題性は第1次世界大戦で完全に明らかになった。帝国主義間の戦争が始まると、それまで口先では「戦争反対、自国政府打倒」を叫んでいた彼らは「祖国を守れ」と戦争支持へ一変し、同じ労働者階級同士の殺し合いを自国ブルジョアジーの利益のために推進した。
 それを代表する人物がドイツ社会民主党のカウツキーである。レーニンは、カウツキーを「口先だけのマルクス主義への忠誠と、行動のうえでの日和見主義への屈従の組み合わせから生じた社会的産物」(『社会主義と戦争』)と断罪している。
 そして第1次世界大戦後に噴き出した戦後革命の嵐の中でブルジョアジーを打倒し、ロシア革命に続いて世界革命を達成する決定的なチャンスが訪れたにもかかわらず社会民主主義は、ブルジョア体制を守る最後の堡塁になった。それを象徴するのが第1次世界大戦後のドイツ革命における社会民主党の大反革命であった。
 1918年11月、キール軍港の水兵の反乱に始まるドイツ戦後革命において労働者階級と兵士は労兵評議会(レーテ)をつくりプロレタリア独裁権力樹立に向かって進んでいたが、社会民主党指導部は極右義勇軍と手を携えて反革命の先頭に立って革命を絞殺した。カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクを虐殺したのは社会民主党の国防大臣・ノスケだった。
 こうした第1次世界大戦を前にする情勢において、マルクス・エンゲルスの原点に戻ったのがレーニンの党であった。
 レーニンは、労働組合こそが労働者の基礎的団結形態であり、労働組合における日常的職場闘争で労働者が革命的な意識を獲得しないかぎり、革命は絶対に成功しないという立場に立った。
 レーニンは、ドイツ革命の敗北を念頭に置いて書いた『共産主義における左翼空論主義』の中で次のように言っている。
 「資本主義の発展の初期に、労働組合は、労働者がその分散した孤立無援の状態から階級的団結の初歩の橋渡しとして、労働者階級の巨大な進歩を示すものであった」「労働組合を通じる以外に、労働者と労働者階級の党との相互作用を通じる以外に、世界のどこにも、プロレタリアートの発達は起こらなかったし、起こることもできなかった」
 「日和見主義と社会排外主義の度し難い指導部全部の信用を完全に失墜させ、労働組合の中から追い出すまで、必ず闘争しなければならない。この闘争がある程度まで進まないうちは、政治権力をとることはできない」
 このようにレーニンは初めから労働組合を通した労働者階級の階級形成を重視し、労働者階級のなかに入って労働組合の強化のために活動し、日和見主義と社会排外主義指導部との党派闘争を厳しく展開して労働組合の拠点化に成功しロシア革命に勝利した。
 だが、レーニンの死後、権力を握ったスターリンは、労働者自己解放の思想を再び否定し、マルクス主義、レーニン主義を根本から否定した。スターリン主義の発生である。
 スターリン主義とは、レーニンの死後、ロシア革命を裏切り、「一国社会主義論」と、帝国主義との平和共存政策によって世界革命に敵対し、国際共産主義運動を「ソ連防衛」の手段にし、革命ロシアを反革命的に変質させたスターリンの思想と政策である。日本では日本共産党を指す。
 動労千葉の階級的労働運動は、労働者階級自己解放論に立った労働組合として闘うなかで、階級的団結を形成してきた労働運動である。マルクスやレーニンが必死に提起し実践した労働組合のあるべき姿を復権した。
 これは、歴史を画する闘いと言える。単に復権したというだけでなく、帝国主義の最末期的危機の時代(新自由主義の時代)において新たに創造した闘いだ。反合理化・運転保安闘争、国鉄分割・民営化阻止闘争、外注化阻止闘争は、これまでの日本の体制内労働運動を根本から乗り越えるものであった。
 新自由主義の攻撃に対して、体制内労働運動がなだれのように総屈服と総転向していくなかで、新自由主義に敢然と立ち向かい、勝利した労働組合は動労千葉を含めて全世界を見渡しても数少ない。
 だから新自由主義と対決して勝利してきた動労千葉の階級的労働運動路線は、全世界の闘う労働者階級に巨大な展望を指し示している。
(以上第5回)