■国際労働運動の暦 12月13日 ■1937年南京大虐殺■ 中国侵略戦争の実相 捕虜・敗残兵・市民に対する無差別大量虐殺事件が世界に知られる

月刊『国際労働運動』48頁(0459号06面01)(2014/12/01)


■国際労働運動の暦 12月13日
 ■1937年南京大虐殺■
 中国侵略戦争の実相
 捕虜・敗残兵・市民に対する無差別大量虐殺事件が世界に知られる

(写真 南京中華門に突入する日本軍の装甲車【1937年12月12日】)


 南京大虐殺は、1937年7月7日の盧溝橋事件以来中国侵略戦争を進めてきた日本軍が、当時の中国の首都南京に攻め込んだ際に行った中国人捕虜に対する大量虐殺、敗残兵や中国の市民に対する虐殺、女性に対する強姦などの暴行の総称である。犠牲者は20万人とも30万人とも言われる。日帝の中国侵略戦争の残酷さ、非人間性を象徴する事件である。安倍首相を頭目とする日本の極右勢力が、この南京大虐殺事件の歴史を抹殺しようとしてきたのは、日本を再び「戦争をできる国」にするためだ。日帝にとって、南京大虐殺は巨大な負の遺産であり、弱点なのである。

▼略奪しつつ南京へ侵攻

 盧溝橋事件以来、日本軍は侵略戦争を拡大、上海を攻略して中国の首都南京をめざした。それは「宣戦布告」なき戦争であり、戦争当事者自身がなんら「大義」を示すことのできない戦争だった。一方で「不拡大」と言いながら、中国の「暴戻」を「膺懲」する(乱暴で言うことを聞かないので懲らしめる)という盗人猛々しい理屈で戦火を拡大したのだ。
 だが、上海での中国軍の反撃は激しく、8月以来3カ月にわたる上海の戦闘は日本側に死者9千人以上の、空前の打撃を与えた。日本軍は次々と増派して戦場につぎ込んだ。
 さらに、その上に南京をめざす。上海―南京間300㌔の距離は、日本軍は兵站を持たず、糧食は現地調達とされた。つまり、行く先々の民家を襲い、食料を奪い取り、牛や馬を奪って運び去りながら、進軍した。文字通り強盗戦争であった。当然、中国人民の大きな抵抗に遭う。日本軍はその住民たちを虐殺し、放火した。上海から南京へ、日本軍が通った後は、幅広い範囲にわたって廃虚と化した。南京に至る過程で大虐殺は始まっていた。
 12月10日、総攻撃を開始した日本軍は13日、南京を陥落させた。市内に入った日本軍は「残敵掃討」「敗残兵狩り」を行い、虐殺を拡大した。
 南京大虐殺は、①捕虜の集団的虐殺②「敗残兵剔出」という名で行われた兵士や市民の処刑、さらに③女性への強姦致死を含む一般市民への残虐行為を総称するものである。それは、したがって南京の日本軍に局限された犯罪ということではなく、盧溝橋事件以来の日本軍の侵略戦争全体の侵略性、反人民性の問題であり、その凝縮された表現だったということである。
 南京大虐殺は南京にいた外国人記者や外交官に目撃され、世界に発信された。戦後の東京裁判で断罪され、当時の司令官松井石根大将は死刑に処された。
 南京大虐殺に伴って起こった多数の強姦事件を、軍首脳は「軍紀」の面から問題視し、これに対する対策として、慰安所設置が浮上する。いわば「野放しの強姦」から「軍の管理の下での集団的強姦」を制度的に保障したのである。したがって、軍隊慰安婦政策は最初から軍隊による性奴隷制以外の何ものでもないのだ。

▼歴史抹殺は二重の犯罪

 南京大虐殺も、軍隊慰安婦も、世界中が知っている日本帝国主義の戦争犯罪である。それをなかったと言いくるめようとすることは、甚大な被害を与えた人々に対する居直り強盗のような襲撃であり、さらに深く傷つける二重の犯罪である。彼らは、それが悪いことだとも、二度と繰り返してはならないことだとも思っていないのだ。もう一度同じことを繰り返すこともいとわないのだ。
 だが、それは、日帝の最大の弱点、破綻点だ。戦争は一握りの資本家階級のためのものであり、労働者同士は何の利害の対立もない。それどころか、国境・民族を越えてきょうだいなのだ。かつての中国侵略戦争に対して、資本との闘いに敗北して戦争に動員された労働者階級は、戦後、二度と戦争を許さない闘いを続けてきた。安倍政権が「戦争する国」への大転換を図ったのは、彼らの強さではなく絶望的危機のあがきである。
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1937年盧溝橋事件以後の動き

7. 7 盧溝橋事件。夜間演習中の日本軍と中国軍が衝突
7.11 現地の軍の間で停戦協定調印
7.11 閣議決定、華北出兵を決定
7.28 天津軍総攻撃、北京占領
8.13 閣議、陸軍の上海派兵を決定。上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦開始
8.15 政府、南京政府断固膺懲を声明
8.21 中ソ不可侵条約
9. 8 臨時資金調整法案など可決
9.23 第2次国共合作成立
10.12 国民精神総動員中央連盟発足
11. 2 広田外相、ディルクセン独大使に日華和平条件を提示
11. 5 第10軍、杭州湾上陸
11.20 大本営と大本営政府連絡会議設置
11.20 蒋介石、重慶へ遷都を宣言
12. 1 大本営、南京攻略を命令
12.13 南京陥落、大虐殺起こる
12.17 日本軍が南京城内で「入城式」