■News & Review ポーランド 鉱山スト、ポーランド全土を揺るがす 新自由主義への積年の怒りが爆発

月刊『国際労働運動』48頁(0464号02面03)(2015/05/01)


■News & Review ポーランド
 鉱山スト、ポーランド全土を揺るがす
 新自由主義への積年の怒りが爆発



(写真 無期限ストに立ったJSW鉱山労働者【1月28日】)

大量解雇に怒り爆発

 中東欧の中心国であるポーランドで昨年末から年初にかけて、南部鉱山地帯シレジア全域で炭鉱労働者を中心とするストライキが爆発、全土を揺るがしている。
 闘争の発端は、中道右派政権のエヴァ・コパック首相が発表した鉱山リストラ政策による閉山・大量解雇攻撃である。その内容は、シレジア地方の中心に位置し、EU最大量の石炭を産出する国営ヴェグロヴァ炭鉱(KW)の14炭鉱のうち、4炭鉱を閉山し、約3千人の労働者を解雇するという計画である。
 このリストラ案に怒った鉱山労働者は1月8日、当該のヴェグロヴァ炭鉱の4坑で、まず地下の坑内ストを開始し、地上勤務の労働者(選炭部門、事務所など)がこれに続き、職場占拠を行った。鉱山労働者の家族を含むデモ隊が街頭に進出、さらに炭鉱への鉄道の引き込み線の占拠などの実力闘争を展開した。

全鉱山にストが拡大

 ストライキは、ただちに他の炭鉱に拡大、全14炭鉱のうち8炭鉱がスト状態に入り、同時に、街頭などでの連帯行動が激しく行われていった。鉄道・エネルギー・郵便・医療などの部門の労働者が、連帯ストに入ることを決定、ゼネスト情勢が高まった。
 1月12日に、危機に直面した首相が鉱山地帯の中心都市カトヴィッツで労組代表との会談に入ったが交渉は難航。やっと合意に達したのは17日であった。その内容は、①4炭鉱の閉山計画は撤回し、民間会社に売却される、②3千人の解雇は再検討、③この間、会社側から提案されていた現行の週5日労働から週6日制への移行、賃金抑制、自発的早期退職者への優遇措置などを労組側が受け入れる、というものだった。労組指導部は、閉山を撤回させ、解雇を中止させたと「政府への勝利」を宣伝し、11日間におよぶストライキをひとまず終わらせた(ゼネストも回避)。だが、妥結内容に対して現場では不満が渦巻いた。

ストライキ第2波

 「政労合意」から10日目の1月28日、同じくシレジア地方のJSW(ヤストルツェブスカ・スポルカ・ヴェグロヴァ)社の労働者が、スト権投票での98%の支持のもとで無期限ストに突入。同社は、ヨーロッパ最大のコークス産出鉱山である。要求は、先日の炭鉱ストへの連帯スト参加を理由とした10人の組合活動家の不当解雇撤回と、この間、賃金カットや週末労働への追加手当の廃止などの攻撃を加えてきていた社長の辞任である。さらに、会社の外注化・分社化による大量の労働者の非正規職への転換、正規職労働者との分断にも反対している。
 即日、シレジア地区の労組間連帯闘争・ストライキ委員会が結成され、支援・共闘を決定。
 2月2日、ストライキの第2の波が全国に拡大し始めた。2月9日、カトヴィッツのJSW本社前で抗議デモ中の労働者に、警官隊が催涙弾などで攻撃し、多数の労働者を逮捕。2月11日、首都ワルシャワで抗議行動を展開していた農民が、鉱山労働者との連帯を表明した。農民たちは、EUによるウクライナ問題での制裁のため、ロシアへのポーランドの農産物の輸出が止まったことに抗議して全国で国道閉鎖などの反政府直接行動を展開してきた。
 2月12日、裁判所が鉱山ストは違法であるとし中止を指令、労働組合指導部は処分をおそれスト中止を決定、1月28日以来の第2波のストライキは15日目の2月13日に終結した。2月16日、JSW鉱山労働者の要求=不当解雇撤回と会社幹部辞任は達成された。しかし会社は、新たな社長のもとで従来の方針を継続していくと公言している。
 こうして、2波にわたる鉱山労働者を中心とするストライキの激動はいったん収束したが、問題の決着はついていない。

問題の核心は何か

 では、問題の核心は何か。
 第一に、EUの政策に基づくエネルギー部門の新自由主義的改革(リストラ)計画が、問題の根幹にある。ポーランドはヨーロッパ最大の石炭産出国・石炭供給元であり、国内エネルギー源の半分以上を石炭に依存している。
 EUは、1991年の東欧スターリン主義圏崩壊直後にEU加盟申請したポーランドに対し、鉱山・炭鉱の民営化を迫り、リストラを強制してきたが、鉱山労働者の抵抗によって未貫徹であった。こうした民営化・リストラの突破を昨年の中道右派政権成立を期に閉山攻撃をもって強行してきたのである。「イギリス85年(サッチャーによる炭鉱労組壊滅の階級戦争的攻撃)のポーランド版」と呼ばれている。
 第二に、91年以降の「市場経済への移行」=帝国主義の新自由主義的包摂過程で、大量解雇、賃金カット、社会保障制度の解体、諸権利の剥奪などのショック・ドクトリン的な攻撃にさらされてきた労働者階級人民が、農民や住民の広範な層を含めて、今回の2波の鉱山ストに反撃の開始をみてとって、鉱山労働者の闘いに大衆的に合流してきた、ということである。
 第三に、今回のストの過程で暴露されたように、既成労組は新自由主義攻撃に対して基本的に屈服し、現場労働者の闘いの妨害者となり、怒りの的になってきているということである。
 第四に、この鉱山労働者の闘いは、ポーランド全土の労働者階級人民だけでなく、隣接する渦中のウクライナの労働者階級人民に階級的なインパクトを与えることはもとより、歴史的にも現在的にも関係の深いドイツをはじめEU諸国の階級闘争・労働運動にも強烈な影響を与えざるをえないということである。〔現に、EU理事会議長トゥスクはポーランド出身の政治家である〕
 では、現在のポーランドの労働者階級人民の直面している現実、階級闘争の現状は、何によってもたらされているのか。

80年代の闘いと新自由主義下の25年

 ポーランドの「新自由主義体制への転換」は、91年の東欧スターリン主義圏解体以前から開始されていた。1970年代末に露呈したスターリン主義経済の破綻から巨大化した対外債務(とりわけ対欧米諸国)の対策として欧米からの機械・技術の輸入、資本の導入に踏み切る一方、国内的には、食料品値上げなど、一切の犠牲を労働者階級に転嫁する攻撃がかけられた。
 これがポーランド労働者階級の全国的反乱を生み出し、そのなかから80年7月、連帯労組(ソルダルノスチ)が、北部の港湾都市グダンスクのレーニン造船所を拠点として生まれるにいたったのだ。スターリン主義政権は、この連帯労組の指導下に全国の職場に工場委員会を基礎とする闘いが組織されていくことに恐怖し、81年12月戒厳令を発し、連帯労組の指導部と活動家5千人を逮捕、連帯労組を非合法化した。
 しかし、80年代における経済状況の悪化のなかで、労働者の闘いは激化していった。ポーランド政府は、86年ソ連でのゴルバチョフ政権の登場、ペレストロイカ(改革)の開始に直面し、「外国企業との合弁法」制定などの政策を推進していった。労働者階級は、政府の経済改革の名のもとに強制される食料品値上げに反対し、南部シレジアの炭鉱地帯から北部バルト海沿岸のシチェチンなどにストライキを拡大していった。
 89年4月、政府はついに「政治的複数制」「労働組合の複数主義」の導入などの転換を行い、連帯労組を合法化し、承認するにいたったのである。
 89年11月のベルリンの壁崩壊に先立つ、89年6月に行われた総選挙で、「連帯派」はスターリン主義の政権党=統一労働者党を圧倒的に上回る大勝利をかちとり、連帯労組の委員長ワレサが大統領に就任した。ところが政権についた瞬間から連帯労組指導部の階級的裏切りが行われた。ワレサは、統一労働者党との連立政権を発足させ、そのもとで本格的な「社会主義経済から市場経済への転換のための包括的計画」の実践を開始したのである。〔新政権の経済顧問にアメリカの新自由主義者が就任、この「転換計画」の原案を起草した。〔ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』〕
 こうして連帯労組指導部の変節・裏切りに支えられ、東欧スターリン主義圏崩壊を転機として、90年代のポーランドは、中東欧諸国のなかで、ハンガリー・チェコとならんで、欧米帝国主義による新自由主義的グローバリゼーション=「EU(とNATO)の東方拡大」の最先端に立つことになったのである。
 ポーランドとEU諸国との関係は、ドイツで約50万人、イギリスでは約70万人に上る膨大な移民労働者にも表わされている。
 ポーランドは、2004年のEU加盟を前にして、1999年NATOに加盟、その後、NATOとの合同演習に参加し、米帝のMD(ミサイル防衛)の配備で合意するなど、対ロシアの姿勢を鮮明にしている。
 こうした関係を背景に、2014年EU理事会の議長にポーランドの前首相トゥスクが、ドイツの強力な推薦で就任し、現在にいたっている。
 ポーランドへの海外、とりわけドイツを先頭とするEU諸国からの直接投資は、爆発的に増加した。その額は、中東欧諸国のなかで最大である。直接投資とならんで金融資本が不動産への支配を強め、ポーランドの経済・社会構造を一変させていった。スターリン主義時代の経済管理体制の解体・価格の自由化・貿易の自由化・競争原理の導入・国有企業の民営化・私企業の育成などにより、低賃金・劣悪な労働条件、社会保障制度の解体などが労働者階級人民に強制されていった。
 これに対する階級的回答が、2014年以来の鉱山労働者を先頭とするポーランド労働者階級人民の新自由主義との闘いの新たな開始であった。
 ポーランドの現代史は、ナチス・ドイツ帝国主義による侵略と同時に、ソ連スターリン主義による度重なる裏切りとスターリン主義支配との対決を抜きにしては語れない。1939年の独ソ不可侵条約による「ポーランド分割」、1944年の「反ナチ・ワルシャワ蜂起の見殺し」、1956年のポツナン労働者反乱――こうした歴史を負った連帯労組が果敢に闘いながらも、その指導部の帝国主義とスターリン主義への屈服に終わってしまったという階級闘争の敗北――この歴史を克服して、反帝・反スターリン主義プロレタリア世界革命の勝利へ進むためには、国際連帯・階級的労働運動の復活、そしてそれを実現する労働者階級の革命的指導部の形成が死活的に要求されている。
(川武信夫)