●特集 辺野古新基地絶対阻止、5・15~17沖縄へ Ⅱ 民主労総ゼネスト断固支持 沖縄全島ゼネストかちとれ 辺野古新基地建設阻止――国鉄決戦で労働組合の再生を

投稿日:

月刊『国際労働運動』48頁(0464号03面02)(2015/05/01)


●特集 辺野古新基地絶対阻止、5・15~17沖縄へ Ⅱ
 民主労総ゼネスト断固支持 沖縄全島ゼネストかちとれ
 辺野古新基地建設阻止――国鉄決戦で労働組合の再生を

(1)沖縄米軍基地撤去、日米安保粉砕へ!

 辺野古への新基地建設阻止闘争は、沖縄闘争の原点を常にはっきりさせる闘いだ。沖縄の米軍基地とは、どのように建設され、いかなる意味を持つのか。それを労働者階級は再認識させられる闘いだ。
 戦後の沖縄は米軍支配のもと、「忘れられた島」であった。
 米軍は沖縄を直撃する台風に恐れをなし、「決定した南西諸島将兵の駐屯軍3万3000人を残して全軍引き揚げる」と当時の米軍沖縄基地司令官が声明を出すほどだった。
 「台風後は、陸軍も海軍も沖縄を主要基地として確保する意欲を喪失していた。多くのアメリカ兵の沖縄滞在は、沖縄が復興するまでの暫定的なものであるということになっていた。少なくとも、その見解が広く行き渡っていた」「しかし、ふたつの大事件がその憶測を変えてしまったのである。ひとつは中国における共産主義の台頭(中国革命)、もうひとつは朝鮮戦争である。かくして沖縄の基地は太平洋地域における米国の最大関心事になったのである」(『琉球新報』2002年1月15~30日付、ワーナー・B・バースオフ元海軍少尉の回想から)
 米帝にとっての沖縄の戦略的価値は転換し、沖縄は「不沈空母」「太平洋の要石」へと姿を変えていくことになる。1950年2月1日、極東軍総司令部は沖縄における恒久的な基地建設の開始を発表。12月5日には琉球軍司令官あてに「琉球列島米国民政府に関する指令」、いわゆる「スキャップ指令」を発して、沖縄統治の長期政策を指示する。それは1952年4月28日に発効となるサンフランシスコ平和条約によって、米軍の沖縄に対する土地の使用、占有の法的根拠を失う米帝が、再び使用権、占有権を行使するためだった。
 そして同時に日帝もまた、敗戦帝国主義からの「脱却」を日米安保同盟を水路として成し遂げようとした。対日講和条約と日米安保同盟の締結(1951年)から発効(52年4月28日)を経て、戦後日帝の「再建」へのレールが敷かれることになる。
 米帝と日帝のそれぞれの思惑の中で、帝国主義(とスターリン主義)による戦後世界体制が米帝を基軸として形成されるなかで、沖縄は日帝から分離され米帝(米軍)による軍事支配が本格的に開始されることとなった。
 沖縄の米軍基地は帝国主義とスターリン主義の核戦争の最前線基地=核基地そのものとして、米帝を基軸とする戦後世界体制の要石となり、同時に敗戦帝国主義・日帝の「再建」の捨て石とされた。そして沖縄の米軍基地は、第2次世界大戦後の東アジアの革命情勢を牽引した朝鮮の労働者階級人民の闘いと中国の労働者階級人民の闘いを絞殺するという役割を担った。
 戦後沖縄の労働者階級の闘いは、この米軍基地との闘いとして連綿として闘われてきた。そしてこの米軍基地が沖縄に存在する原点的な意味を常に労働者階級に突きつけるのが、辺野古への新基地建設なのだ。
 2月22日に米軍は、山城沖縄平和運動センター議長他1名を「刑特法」で不当逮捕した。さらにゲート前での抗議行動への弾圧を要請している。米帝と米軍は辺野古への新基地建設の強行が沖縄の労働者階級の怒りを引き起こしていることに苛立ちを募らせている。さらに安倍政権の「突出」に対して、徹底的に争闘戦として辺野古と沖縄の米軍基地を使い切ろうともしている。それに対して日帝・安倍政権もますます辺野古新基地建設にしゃにむに突っ込まざるを得なくなる。
 しかしこのような構造の中で、辺野古への新基地建設攻撃=沖縄の米軍基地問題が、既成の体制内指導部が言うような「構造的沖縄差別」の問題などでは断じてなくて、日米安保同盟の問題であり、その核心は沖縄の基地労働者の存在と闘いにあるということが誰の目にも明らかになりつつある。そして沖縄の労働者階級の怒りが米日帝の思惑を越え、体制内指導部の思惑を乗り越えて進み始めている。2015年の沖縄闘争は間違いなく、闘う労働運動の歴史的復権の第一年となる。

(2)新自由主義と全面的根底的に対決して闘おう

 米帝・日帝と沖縄の労働者階級の闘いは、歴史的にも労働組合を巡る闘いとして闘われてきた。
 「復帰」闘争を牽引した基地労働者(全軍労)の闘いに対しては、米軍は大量解雇攻撃で襲いかかり、「復帰」以降日帝は、間接雇用制への移行と全駐労との組織合同をもって基地労働者の闘いを押さえ込もうとしてきた。また全軍労と並んで「復帰」闘争の中軸をなした教育労働者の闘いを圧殺するために、中曽根政権は「戦後政治の総決算」のかけ声の下、国鉄分割・民営化と一体で「日の丸・君が代」攻撃をかけてきた。あるいは自治労に対する執拗な組織破壊や、全電通や全逓に対する攻撃など、「復帰」以降の闘いはすべて労働組合を巡る攻防であった。
 これらの日帝による沖縄の労働者階級への攻撃は、今日的にとらえ返せば新自由主義攻撃のさきがけをなすものであった。「復帰」以降の「沖縄振興策」は、沖縄の労働者階級への団結破壊であり労働組合破壊攻撃だった。
 とりわけ1995年の10・21以降は、日本経団連の「9割非正規化」路線そのものとして、いわゆる「経済特区」攻撃と一体で沖縄の労働者階級に襲いかかった。
 沖縄の労働者の非正規職の割合は全国平均を超える44%となり、労働組合の組織率は全国最低の10%前後にまで落ち込んでいる。「IT特区」の名の下で多くのコールセンターが進出したが、99%非正規職の職場は、青年労働者の文字通りの使い捨て職場であり労働者派遣と請負が混在する究極の外注職場だらけだ。
 「基地の島」を維持するために展開された新自由主義攻撃は、沖縄を「非正規職の島」とした。徹底的な非正規職化が沖縄の労働者階級への空前の分断と団結破壊攻撃として吹き荒れ、それをも梃子として沖縄の米軍基地を維持する武器とされてきたのである。
 重要なことは、この新自由主義攻撃の総体と全面的根底的に対決する路線と方針は、既成の体制内指導部からは提起されなかったということである。それは核心的には国鉄の分割・民営化に対していかなる態度をとるのか、ということであった。沖縄の労働運動の戦闘性は、「基地の島」の現実から必然でもあった。
 しかし、この沖縄の労働運動の分岐点となったのも、やはり国鉄分割・民営化であった。心ある戦闘的な沖縄の労働者は国鉄労働者の闘いとつながろうとした。それに対してカクマルは全力で敵対した。この時点でカクマルは新自由主義攻撃の先兵として、沖縄の労働運動の敵対物に最後的に成り下がった。
 しかし一方で既成の体制内指導部もまた、日帝とその先兵であるカクマルと対決し、国鉄分割・民営化攻撃と全面的に闘う路線と方針を持つことはできなかった。それは動労千葉の闘いとつながることを拒否したことで決定的となった。沖縄の労働運動の体制内指導部は国鉄分割・民営化との闘いから召還し、新自由主義攻撃との闘いから逃亡した。それは職場生産点で資本の合理化攻撃と絶対反対で闘い、階級的団結を総括軸にして前進していく闘いからの逃亡であった。
 95年の10・21人民反乱から軍用地闘争、辺野古新基地建設阻止闘争、あるいは教科書闘争やオスプレイ配備反対の闘いなど、この20年間の沖縄闘争は激しく闘われてきた。そこには沖縄の労働者階級の深い怒りが横たわっている。
 しかし体制内指導部はいわゆる「反戦・反基地闘争」を「戦闘的」に展開することを免罪符として、職場生産点での闘いを放棄してきた。市民運動主義者は、そもそも「労働者」「労働組合」を一切認めようとはしてこなかった。今日の辺野古における闘いもまた、そういう体制内指導部の指導の中で歪められてきたのである。
 「基地の島」=「非正規職の島」、総じて新自由主義攻撃と全面的根底的に対決して闘うためには、改めて国鉄闘争を自らの闘いとしてつかみ直すことが求められた。何よりも動労千葉労働運動の精華である「反合・運転保安闘争路線」を体得し、自らの職場の闘いの実践へと高めていくことが必要だった。
 われわれは「党の革命」と一体で動労千葉の闘いと沖縄の労働運動を結びつける闘いを開始した。そのことを通して、沖縄の労働運動の歴史的総括を成し遂げ、ついに日本IBM・ビジネスサービス労働組合を先頭とする青年労働者の新たな闘いを開始した。新自由主義と闘う労働運動の挑戦は、沖縄の労働運動の国際連帯闘争の復権と新たな挑戦についに手をかけた。沖縄の労働運動の戦闘性を継承し、さらに階級的に乗り越え発展させていく闘いが開始されたのである。
 階級的労働運動と国際連帯闘争の発展こそが、辺野古への新基地建設を阻止し、沖縄の米軍基地の全面撤去を実現することに確信も固く、2015年の沖縄闘争=安保・沖縄闘争に総決起しよう。