2008年3月24日

書評 『三里塚 成田闘争の記憶』三留理男写真集 新泉社刊

週刊『前進』06頁(2336号5面3)(2008/03/24)

 書評 『三里塚 成田闘争の記憶』
 三留理男写真集 新泉社刊 3500円+税
 圧巻の代執行阻止決戦 闘う農民の原点を活写

 懐かしい写真にめぐり会えた。「老年行動隊」とプリントされた手ぬぐいを頭にかぶり、キッと前をにらみ据える、しわの刻まれた農婦の顔が表紙と扉を飾っている。この本のもとになっている『燃える北総台地』が発行された1971年夏の当時、この顔をクローズアップしたポスターが三里塚を全国に印象深く知らせたという記憶がある。
 三留理男(みとめただお)氏は、60年代から70年代前半の安保・沖縄闘争を始めとする日本の激動のただ中で、闘いの側に身を置き、写真を撮り続けたカメラマンである。70年発行の『叛逆(はんぎゃく)の記録―安保・沖縄・大学』は、60年安保闘争から67年10・8羽田闘争以降の70年安保・沖縄闘争の激動の日々を活写した。当時の三留氏を始めとした若いカメラマンが闘いに共感し、闘いの真実を広く伝えようと身を挺(てい)して活躍していたことが思い出される。
 本書の圧巻はやはり、71年1~3月の第1次代執行阻止決戦だ。今、A滑走路の北端になっている駒井野の反対同盟用地6筆を強奪する攻撃に対して、三里塚反対同盟は全力をあげて抵抗し、闘いぬいた。大地を舞台に、土を武器として「地下壕戦」という戦法を編み出した。強制収用される土地の下に長大な地下壕を掘り進め、そこにこもって闘ったのだ。これ自体がベトナム人民の不屈の闘いに通ずるものだった。また地上では、バリケードの柵(さく)に鎖で体を縛り付けたり、木の上に登って抵抗した。虫けらのように扱われた農民たちの国家権力に対する敵愾心(てきがいしん)がそこにはあふれている。同年9月の第2次代執行での大木よねさんの闘いと生活の姿にも胸を打たれる。
 本書は新たに、当時の全学連や反戦青年委員会の街頭闘争の写真を収録して、三里塚と全国の闘いのつながりを伝えている。すべてが闘う人びとの側から撮られている。
 42年間不屈に続く空港絶対反対・一切の話し合い拒否の闘いの原点は、この初期の闘いで作られたのだ。
 大事なことは、三里塚闘争が権力に勝ち続けていることだ。日本帝国主義の最も重要なインフラのいわばのど元を押さえて(「へ」の字誘導路を見よ)、彼らの自由を奪っているのだ。
 三留氏は「はじめに」で言っている。「その思い(「虫けら扱い」に対する怒り)は、今も衰えていないようだ。そして四二年後の今、そうした思いを抱いた人やその後継者たちが、三里塚にはいる。三里塚だけでなく日本をとりまく環境の変化や世の中の移ろいを考えると、これはすごいことである。そして本書は、すごいことを始めた頃の、すごいことを始めた人たちの記録である」
 70年代以降、アジア・アフリカの各地を取材して人びとの営みを記録してきた著者が、あらためて今日の三里塚の闘いを見て、漏らした感嘆の言葉だ。三里塚が暫定滑走路北延伸阻止・市東さんの農地死守の決戦を迎えている今、三里塚闘争の原点を振り返り、労働者階級全体の課題として広く訴えていくために、時宜を得た出版である。多くの人の手に渡ることを期待する。
 (高田隆志)