2008年4月28日

「差別なき糾弾闘争」に突進する旧与田派の策動を粉砕せよ 全国連大会で歴史的な転向宣言

週刊『前進』10頁(2341号4面1)(2008/04/28)

「差別なき糾弾闘争」に突進する旧与田派の策動を粉砕せよ
 全国連大会で歴史的な転向宣言

 「党の革命」によって打倒された旧与田派残党=八木、石嶺らのもとで4月12〜13日に行われた解同全国連第17回大会は歴史的な転向大会となった。それはデッチあげの「広島差別事件」をもって「革共同との断絶」を宣言し、部落解放運動史上に類例のない「差別なき差別糾弾闘争」を運動方針として決定したのである。しかも彼らが言う「新たな共闘関係の構築」とは、自民党や解同本部派とも手を組むという最悪の方針だ。日帝権力への完全な屈服・転向であり、解同全国連の体制内融和主義への変質・転換である。革共同は旧与田派指導部のプロレタリア革命運動、部落解放闘争への敵対を絶対に許さない。転向分子の腐った反階級的正体を全労働者人民の前に暴き出し、階級的労働運動の大前進と部落解放闘争の革命的再生をもって、彼らの策動を徹底的に粉砕することを宣言する。

 第1章 「広島事件」デッチあげデマで部落大衆を動員

 旧与田派指導部の反動的なもくろみは完全に破産している。空疎で超反動的な「差別なき糾弾闘争」方針を決定した全国連第17回大会は、参加者激減の中で強行された。激しい住宅闘争を闘っている全国連西郡支部や東京の杉並支部、品川支部は、中央本部のあまりの変質、路線転換に怒りを表明し、参加を拒否した。西郡支部は大会議案の全面撤回を要求した。昨年秋以降、全国連中執会議の議案書が支部にまったく送られなくなったなど、旧与田派指導部による全国連の私物化、得手勝手な組織運営、引き回しの実態も、この間明らかになっている。
 全国連大会の運動方針では、広島を始め各地で「広島差別事件の真相報告集会」を行い、革共同への糾弾決議をあげていくなどと言っている。とんでもない反動的・反階級的な運動方針だ。
 まず第一に訴えたいことは、革共同による「広島差別事件」などというものは、まったくのデッチあげだということである。このウソとデマで塗り固めた「差別事件」なるものをもって、部落解放運動史上にも類例のない、前代未聞の「差別なき糾弾闘争」に全国連の部落大衆を引きずり込もうとしているのだ。
 彼らのデッチあげは、8月末に広島で行われたマルクス主義学生同盟の合宿の中で、「全国連は物取り主義だ」「住宅闘争がそうだ」という差別発言が行われたというものである。だが、そのような事実自体が一切存在しない。その後の合宿参加者への聞き取り調査でも、そのような発言は一切なかったことが確認されている。しかも、これが事実に基づかないデッチあげであることは、八木自身が昨年末の同志会総会基調報告で「残念ながら、このことについては『証拠』はない」と認めているのだ(この間の事実経過については『共産主義者』156号の水樹豊同志の論文をぜひ読んでいただきたい)。
 マル学同の同志たちは、プロレタリア革命論の一層の深化としてある07年「7月テーゼ」をめぐって真剣に討論していたのだ。ところが許せないことに、石嶺ら旧与田派指導部はこの7月テーゼの論議そのものを憎悪し、「党の革命」を転覆するという政治的目的をもって差別事件をねつ造し、攻撃してきたのだ。こんなことを許し屈服するならば、部落解放闘争や差別糾弾闘争は反動的に解体されてしまう。

 第2章 「自民党にも呼びかけ」これが彼らの本音だ!

 第1節 「革共同との断絶」をアピール

 第二に訴えたいことは、旧与田派指導部が革共同から脱落・逃亡し、自民党とも手を結ぶ体制内融和主義路線に解同全国連全体を引きずり込もうとしていることだ。
 そのことは、全国大会へ向けて開かれた1月12日の拡大中央委員会での小森中執の次の発言にはっきり示されている。
 「革共同への糾弾闘争を、自民党や解放派などさまざまな党派、解放同盟(本部派)にも呼びかける」
 この重大な発言を批判した委員に対しては、旧与田派から「殺したろか」という驚くべき野次や罵声(ばせい)が浴びせられたという。
 なんということか。恐るべき転向、腐敗である。差別の元凶である自民党や、融和主義の腐敗をきわめる解同本部派とも手を結ぶということは、部落大衆の根底的な利益を裏切り、部落解放の道を閉ざすものである。それは部落解放同盟全国連合会の結成の原点をも捨て去るものだ。ところが底なしの転落と腐敗を深める旧与田派指導部は今や、「革共同と断絶」をアピールして、権力・自民党の懐に飛び込もうとしているのだ。これが、反マルクス主義そのものの「糾弾主義」が行き着いた破産的末路だ。

 第2節 「党の革命」の転覆が狙い

 第三に訴えたいことは、この差別事件のねつ造は、八木、石嶺ら旧与田派指導部が自らの腐敗を開き直り、「党の革命」を転覆し、革共同からの脱落・逃亡を合理化するために政治的に行ったものだということである。全事態の核心は、まさにここにあるのだ。
 八木、石嶺ら同志会指導部は、06年3・14の「党の革命」で打倒された与田の金権的腐敗、共産主義者としての小ブル的堕落を長い間身近に見て、それに接しながら容認してきた。それどころか与田の小ブル的腐敗を共有し、与田の党内官僚支配にのっかってきたのだ。そして労働者同志の決起によって与田が打倒されてもなお彼らは自己をえぐり出す根底的な自己批判を行わず、態度を鮮明にせず、「党の革命」から自分をらち外に置き、面従腹背を決め込んできたのであった。
 だが「党の革命」がその後も中央と全国で積極的に進められ「7月テーゼ」が出されるに至ってもはや面従腹背的にとどまることもできなくなり、塩川一派と軌を一にして党から脱落・逃亡したのである。
 その脱落・逃亡をごまかすために「広島差別事件」をねつ造し、「差別なき糾弾闘争」に全国連を引き込み、全国連の部落大衆を革共同敵対運動に動員しようとしているのだ。そして、あわよくば、打倒・追放された与田の復権すら狙っているのだ。まさに「広島差別事件」のねつ造は、血債主義・糾弾主義を使って強権的・官僚主義的に党組織を抑えつけてきた与田のやり方そのものであり、無惨な残骸なのだ。
 そこに貫かれているのは階級的労働運動路線=プロレタリア革命運動への憎悪と敵対であり、反マルクス主義と7月テーゼの全面拒否である。

 第3章 西郡住宅闘争に勝利し部落解放闘争の再生を

 全国連17回全国大会は、このように異様な「差別なき糾弾闘争」路線を柱にして歴史的な転向大会となったが、そのことは大会議案の中に全面的に明らかである。
 議案では、①「広島差別事件」糾弾、②荒本(東大阪)選挙の敗因は「ひとえに」革共同にある、③中田書記長の完全黙秘の放棄・略式起訴受け入れは「全面的に外の方針」であり、これも責任は革共同にある——という、あきれるほど非主体的な責任転嫁、開き直りの総括をしている。そして結論として「革共同は差別者集団」「全国連にとって最悪の害毒」だから「革共同と断絶する」というのである。
 そして自民党や解同本部派とも手を結ぶ「新たな共闘関係」のために、部落解放の闘いから帝国主義打倒—プロレタリア革命を完全に追放するにいたったのだ。
 まったくアリバイ的に「危機に立つ帝国主義を打倒します」の一言が情勢分析の中に書かれてはいる。だが、プロレタリア革命の内容展開も、情熱もまったくない。帝国主義打倒の立場を完全に放棄し、融和主義、体制内改良運動への転落、転向路線を進んでいる。
 さらに次のように労働者階級への絶望と不信をあおり立てている。
 「現状は、人々の怒りが支配階級に向かって組織されるたたかいはまだまだ小さく、その矛先は権力やマスコミの操作によって……『同和バッシング』として現れています」
 このように「人々=労働者階級」の怒りは弱く、権力やマスコミの操作によって部落差別に動員され、むしろ「同和バッシング」の手先になっている、というのである。連合などの体制内労働運動に対する批判や、階級的労働運動の意義については一言もない。
 いったい、どこを見てものを言っているのだ。今や1000万人を超える労働者が年収200万円以下のワーキングプアにたたき落とされ、その中で「もうこのままでは生きられない。自分たちの力で帝国主義をうち倒し、新しい労働者の社会をつくろう」という闘いが青年労働者を先頭に力強く始まっているではないか。この時、旧与田派指導部は、反マルクス主義の極致である糾弾主義、「部落の解放なくして労働者の解放なし」という「部落民第一主義」を振りかざし、自民党や本部派と手を結んでプロレタリア革命運動に敵対しようとしているのだ。
 最末期帝国主義の新自由主義攻撃のもとで、部落解放闘争の戦線でも徹頭徹尾プロレタリア革命の立場に立ちきって階級性を鮮明にさせ、差別・分断をのりこえて階級的団結を固めていく、そのような部落解放闘争の理論的・運動的な飛躍が求められているのだ。
 実際、国境や民族やあらゆる社会的な分断をうち破って、労働者階級がひとつの軍勢として団結し帝国主義を打倒する闘いが、動労千葉を中軸とする11月労働者集会として大きく前進してきたのである。これに解同全国連も参加して、ともに闘ってきたのだ。
 ところが大会議案には、動労千葉の闘いや11月労働者集会の高揚、その階級的意義など、一言もない。青年労働者が職場・生産点で資本や体制内勢力と激しく闘いぬき、展望を切り開いていることもまったく触れられていない。イラク・中東人民および抽象的な「世界の人民」は闘っているが、足元の日本の労働者階級は差別に加担していてどうしようもないというわけである。
 さらに許せないことには、全国連のもとで闘う西郡支部の住宅闘争も、八尾市議選の勝利も無視・抹殺している。西郡支部は、供託者28人の預貯金差し押さえの大攻撃を受けながらも「応能応益絶対反対」を貫き、供託闘争を不屈に闘っている。それなのに大会議案ではこの闘いに一切言及していない。西郡の闘いを黙殺した上で、逆に「(分納の)奈良の闘いを教訓化しよう」「分納においても、団結しだいでたたかいの武器に転化できます」と屈服方針を打ち出している。帝国主義と闘わない体制内改良運動そのものだ。

 第1節 マルクス主義で団結しよう

 最末期帝国主義の危機が大爆発し、全世界で労働者階級、被抑圧人民が生きるための闘いに立ち上がっている。差別の中で団結してきた部落民労働者は、今こそ日帝打倒のプロレタリア革命の先頭に立とう。西郡の部落大衆の心意気をみよ。「西郡には世界革命の炎があかあかと燃えている」と誇らしく宣言し、不屈に闘っている。ここにこそ、部落解放闘争の勝利の道がある。
 全国連の部落大衆と労働者の皆さん。旧与田派指導部の変質と転向を断じて許さず、部落解放・日帝打倒、プロレタリア革命の勝利をめざし、階級的労働運動路線と7月テーゼのもとマルクス主義で団結し前進しよう。西郡住宅闘争の勝利をかちとろう! 5・23狭山闘争に総決起しよう。