2008年5月26日

沖縄とヤマトの架け橋 古波津・福士両氏を偲ぶ会

週刊『前進』06頁(2344号6面4)(2008/05/26)

沖縄とヤマトの架け橋
 古波津・福士両氏を偲ぶ会

 4月29日、東京都内で「古波津英興さん生誕百周年、福士譲二さんを偲(しの)ぶ会」が開かれた。主催は沖縄民権の会。東京など首都圏から労働者・市民20人が集まった。
 会場には、柔和な笑顔の古波津英興さんの遺影とともに、文部科学省前でマイクを握り、「沖縄戦教科書検定意見」を糾弾する福士さんの遺影が掲げられた。
 司会は全国沖縄青年委員会が担い、初めに3月8日に逝去した福士さんが制作にかかわった沖縄CTS闘争の記録映画(ビデオ)が上映された。
 黙祷(もくとう)の後、沖縄民権の会代表・座覇光子さんが「古波津さんが亡くなってから早9年、そして福士さんが若くして逝った。福士さんは死の直前まで三里塚を思い、沖縄を思い、労働者階級の解放を求め続けた。沖縄とヤマトの架け橋だったお二人の志を受け継ぎ、これからも私たちの闘いの糧としていきたい」と、主催者のあいさつを行った。
 続いて、70年代に闘われ、福士さんが沖縄に移り住んで取り組んだ石油備蓄基地(CTS)建設阻止闘争とはどういう闘いだったのかを、会員のTさんが報告した。「沖縄と本土の架け橋—福士譲二さんの遺稿と発言」と題するリーフレットが配布された。参加者全員が次々発言し、古波津さん、福士さんの思い出が語られた。
 古波津さんの「沖縄民権」の思想は、本土・沖縄の労働者の分断をのりこえ、労働者階級の国際的団結で沖縄米軍基地を撤去する闘いに引き継がれている。この日の偲ぶ会は、沖縄闘争勝利・洞爺湖サミット粉砕の闘いへ決意を固める場となった。