2008年7月14日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』06頁(2351号6面1)(2008/07/14)

団結ひろば 投稿コーナー

 第1章 6・29を闘いきるため同僚と初の職場ビラ 青野真琴

 私は昨年“ある雑誌”に「合同労組は革命の入り口」という記事を投稿しました。この考え方に基づいて私は自分の職場に組合をつくるべく行動をしてきました。
 最近になってようやく一緒にやれそうな同僚ができ、その同僚と話し合って作った職場ビラを先日初めてまきました。
 1枚目には「サービス残業はやめよう」という趣旨の内容と職場に組合がほしいと思っていることを書き、2枚目には辺野古のことや6・29の呼び掛けなどを書いて集会のチラシを挟みこんで配りました。
 ビラをまいたら早速課長と苑長に呼び出され、いろいろなことを言われました。同じ資本側の立場である2人が別々に私を呼び出したので(願ってもない展開♪)、私は2人に対して自分の想いをまっすぐぶつけました。
 そして、6・29集会・デモで逮捕されることも覚悟していたので、そのこともそのまま伝えました。私が6・29を闘いきるためには逮捕された後の職場を想像する必要があると思ったからです。後日、苑長から「ニュース見たよ。捕まらなくてよかったね」と言われました。
 自分の立場が鮮明になったことで、以前より私らしく働けるようになりました。日頃はあまり交流のない他職種の方とも話をできる機会が増え、仕事上の不安や不満などを相談してもらえる関係ができはじめています。
 6・29がなければもう少しビラを配るのも遅かったかもしれませんが、あの集会がきっかけとなってこのような行動に出ることができてよかったです。
 これからホントに職場で組合を立ち上げて、革命へ一歩ずつ前進していきたいと思います。

 第2章 星野さんに面会して6・29渋谷デモ報告 青年労働者 KA

 本日(6月30日)、星野文昭さんにお会いすることができました。6・29渋谷デモの興奮冷めやらぬ中、朝から徳島刑務所に出かけて行きました。星野さんに会って、早速、渋谷のデモを報告しました。
 星野さんは「報告楽しみにしてました」とめちゃめちゃ笑顔で、「時代は変わった。今のままのあり方で安住してはダメ、常に自覚し変わっていかなければ、今の情勢を抑える側になる。自覚できれば人は変われる」と熱く話していました。
 あらためて奪還したいと強く感じました。これからもドンドン若い人が会うのはいいと思います。星野さんは俳優の小日向文世さんにお顔や雰囲気がそっくりで、びっくりしました! 終始温和な表情でした。
 話しかけられた時は緊張して少ししか話せませんでした。私は、「初めての戦闘的デモ体験で息が苦しくなって死にそうだった」と言いました。あと大部分は労働運動の話であったように思います。持ってきた星野奪還Tシャツを見せました。
 「彼は存在している」という話を帰りの車の中でしました。20代の私にとって、チラシの中の似顔絵の星野さんは非常に屈強なイメージがありました。獄中の星野さんは小日向さんのように笑ったりする、感情がある人間だと思いました。
 昨日デモから帰って、昔の労働運動の動画を見ていたら、その時代の空気やその時代の青年たちがやろうとしていたことがやっと一つの線でつながった気がしました。「へえーすごいなあ」という「教科書の歴史」が、白黒からカラーになって重なったというようなことかな。だから「今日」星野さんに会えて良かったと思いました。

 第3章 北海道労組交流センターの闘いに感動 東京 吉備悦子

 今回、サミット粉砕で札幌に来て、集会とデモに参加して、北海道の交流センターの労働者と交流ができてすごくよかったです。集会でのお話を聞いて、こんなにいろいろと活動していることを知って、すごく感動しました。デモもすごくいいデモでした。
 北海道教組も歴史的なストライキをやりました。私は、根津さんの闘いと北海道教組の闘いがすごく連動しあっていると思います。
 この前、日教組の全国教研でレポート提出を拒否された根津さんが会場前で抗議しました。その時も北海道教組の人たちが来て、「根津さん、何やってるの」って声をかけてくれて、「許せない」ってともに闘ってくれました。北海道教組とともに「日の丸・君が代」強制反対を闘っていきたいと思っています。

 第4章 イランの製糖労働者が再びストに突入! 東京 Y・A

 イランのハフタッペ市の砂糖製造会社の労働者が7月8日に再びストに突入しました。この会社の4千人の労働者は先月の29日まで51日間のストを闘ってきました。会社側が2週間以内に未払い賃金を支払うことを条件に、労働者は一時的にストを中断しました。しかし、8日この期限は過ぎ、会社は約束を実現するためあと2日間期限を延ばすようにと言ってきました。ハフタッペ市の労働者は、会社の約束は労働者をあきらめさせるための作戦にすぎない、と判断し、再びストに突入しました。
 ハフタッペ市の製糖工場労働者の要求は、①未払い賃金の全額の早期支払い(5カ月分)、②労働組合の設立の容認、③経済状況に合わせた賃上げ、④ストライキに参加した労働者に対する追跡と脅迫の中止、⑤8名の仲間に対する公訴の取り消しです。
 イランでは国内最大のホドロー自動車製造会社でも1万人の労働者がストに突入しています。労働者は賃上げや、時間外労働の強制をやめること、非正規雇用をやめ正規雇用にすることなどを要求して闘っています。学生も1999年の一斉抗議行動9年の記念日行動に立ち上がっています。イスラム政権の弾圧に抗して闘うイランの労働者・学生と連帯し、国際連帯をさらに強め、世界革命勝利へ全力で闘いましょう。(写真は、この間に起訴が決まった8人の砂糖製造会社の労働者)

 第5章 一寸たりとも武装を解除してはならぬ! 相模原 丹治孝子(80歳)

 目が見えにくくなって半年。歩いた眼科は五カ所。白内障は2年ほど前に判明している。近頃は、毎週楽しみにしている『前進』をはじめ新聞・本を読むのもつらくなってきた。その上、針を刺すような痛さも加わって、たちの悪い眼病にでもかかったかと思ったのが眼科歩きの原因だ。
 5軒目の眼科医は30歳前後。「白内障は少し進んでいるようです」という。症状を言ってみますが、驚く気配もなく「加齢です」という。そんなことは百も承知で、文字が読めないのがつらいと訴えたら、「どんな本を読むのですか?」という。明らかに80近い老婆が何を読むんだ?という気配が伝わって、私はムッとした。そして「社会科学系」と言ったら怪訝(けげん)な顔で「フーン」という。
 あっわからないんだと思ったらムラムラッと意地悪虫がわき出て、「1923年関東大震災、27年昭和恐慌、29年世界大恐慌が起きた……というのは歴史です。暴動や争議が起きて、それをつぶすために25年治安維持法ができ、第2次世界戦争にむかっていく。その過程の原因をつきとめ、どうしたら止められるか、革命はどうすればできるのかを分析するのが社会科学です」と一気に言ってやった。
 たった1、2分の出来事に対応不能になった眼科医は目を見開いて私を見る。瞬間、「加齢」という失礼な対応に一矢報いてやったと溜飲(りゅういん)を下げてにっこり退席した。
 高齢者は医者にかかるなと言わんばかりの後期高齢者医療制度や、毎年2200億円の社会保障費削減、医者不足や病院の閉鎖、病床の大削減など支配の破綻(はたん)が問題となっているおりから、9時から12時半まで待たされた眼科の不当な時間ドロボーに仕返ししたぞ!