2008年10月27日

「医療福祉委論文批判」を弾劾する 塩川一派を粉砕し階級的労働運動を 医療・福祉労働者の戦闘宣言

週刊『前進』06頁(2365号5面1)(2008/10/27)

「医療福祉委論文批判」を弾劾する
 塩川一派の11・2破壊を粉砕し階級的労働運動で1万人結集を
 医療・福祉労働者の戦闘宣言

 第1章 はじめに

 「医療福祉労働者は、賃金奴隷の鎖を引きちぎり革命をやろう!」
 医療福祉労働者委員会を結成したわれわれはこの鮮明なスローガンで団結し、ただちに実践に突入した。塩川一派はこの革命性、職場での資本と非和解の実力闘争に最も恐怖している。エセ「革共同通信」15号「医療福祉労働者委員会論文批判」は、われわれの闘いが引き出した、彼らの反革命的悲鳴である。プロレタリア独裁を否定し、医療・福祉労働者の革命的決起と団結に襲いかかるこの文書を、激しい怒りをもって粉砕する! これは紙面上のみならず、現場闘争での労働者の獲得をめぐって行われている党派闘争だ。塩川一派粉砕をとおして、実践において路線を守り純化させる闘いを、われわれは今まさに勝ち進んでいる。プロレタリア革命に突き進む、国際階級闘争の最先端の闘いである。この勝利性を確信して、11月1万人決起へ突き進もう! 塩川一派の反革命性を暴ききって、11月を組織しよう! 

 第2章 胸躍る革命的情勢の到来

 いよいよ胸躍る歴史的な革命情勢が来た。資本主義をついにわが手で打ち倒すことができる、資本主義始まって以来の300年に一度の情勢にわれわれは立っている!
 11・2は、かつてない革命情勢の中で、世界の労働者と団結してプロレタリア世界革命を宣言する決定的な日となった。この瞬間を最高の喜びとして、医療・福祉労働者は勇躍闘い抜こう!
 世界金融大恐慌がついに始まった。新自由主義下で徹底的に労働者から搾り取りまきあげてきたものがついに破綻したのだ! 全米の労働者が、連日「あいつらを監獄に!」と闘っている。いまや全世界が資本主義への怒りで燃え上がっているのだ。
 労働者は団結があれば生きられる。「資本の救済を認めなければ大恐慌だ、首切りだ」という恫喝に、「大恐慌情勢でくたばるのはお前らだ! 
労働者が社会の全責任を取る」という回答をたたきつけよう! 生産を握っているのは労働者だ。労働者は団結して資本を倒し、明日にも社会を運営できる、自らの権力を打ち立てることができる階級なのだ。「国家がつぶれてもいいのか」——この資本主義最後の言葉に対して、祖国敗北主義を掲げて闘える存在なのだ。
 一方で麻生政権はもはや議会主義の幻想はなく、労働者の階級的団結の一掃と労働組合の根絶にすべてをかけている。しかし麻生にも何の展望もない。本質的にブルジョア支配の崩壊の恐怖に震え上がる存在なのだ。一切は労働運動、労働組合運動をめぐる攻防に絞り込まれている。
 だから、今こそ労働運動・労働組合運動が問われているのだ。しかし4者・4団体はこの時に、「労働者は闘っても勝てない。路頭に迷いたくなければ解雇撤回をおろせ」と、労働者を資本の枠内で生きるしかない存在として低め、1047名闘争のすべてを投げ捨て、原則を貫いて闘う労働者の存在を憎み、労働組合をおとしめている。
 そして塩川一派もまた、徹底的に労働者と労働組合の存在を低める。賃労働と資本の非和解性を覆い隠し、そこで生じる労働者の怒りを否定し、賃金奴隷である労働者が団結した時に獲得されるすさまじい革命的力を否定し抹殺するのが塩川一派だ。この犯罪性はもはや左翼内部の反動などではない。転落と裏切りの合理化、恥ずべき転向の末に、労働者の闘いをたたきつぶすことで延命しようとしているのが塩川一派だ。

 第3章 闘争解体のための「批判」

 この文書は、開始された医療・福祉労働者の革命的決起に恐怖した塩川一派が、闘いを解体することを目的に出したものである。
 あたかも「現場」の労働者が語ったような討論形式は、この間、現場の闘いの憎むべき圧殺者でしかない塩川一派の実態を隠蔽する煙幕でしかない。「これ(医療福祉委論文)を書いているのは、ほんとうに医療労働者なのか」という卑劣な言動をそっくりそのまま返してやる。お前たちこそ「労働者」とは名ばかりの、「体制内」というのもほめすぎの、悪辣(あくらつ)な「労担」「職制」に等しいやからではないか。その証拠は、この対談の腐りきった、反革命としか言いようのないおぞましさに完全に示されている。

 第1節 労働運動抹殺する小ブル的「暴力革命論」

 塩川一派は「医療福祉闘争」とは言うが、「医療福祉労働運動」とは絶対に言わない。全編にわたって医療・福祉から徹底的に労働運動と労働者の存在を抹殺している。「安田派『団結』論は、現場のひきまわしと団結破壊」などと言うが、塩川一派に「団結論」の一片もふり回す資格などない。ここには、労働者が団結することへの根底的憎悪と敵意があるのみだ。
 塩川一派は、「奴隷の鎖を引きちぎり革命をやろう」というスローガンに、なんと「奴隷の鎖を引きちぎる」のは「団結」ではなく「労働者階級の武装蜂起と暴力革命だ」と、“武装蜂起や暴力革命”を団結に対置することで、労働者の団結を徹底的に低め、抹殺している。
 しかし、この塩川一派の「労働者の団結なき武装蜂起や暴力革命」は、とんでもない小ブル「革命主義」でしかない。それは、労働者階級の唯物論的な階級的団結を核心とするマルクス主義の全内容への全面的敵対と反革命的転倒なのだ。
 したがって労働運動を抹殺し、労働者の団結を“観念論”として一蹴する塩川一派式の「武装蜂起と暴力革命」は、実際にはつゆほどもやる気のない、観念的ふりまわしでしかない。それは革命情勢においては、労働者階級の階級的団結に襲いかかる小ブル反革命クーデターに転落するのだ。

 第2節 「主体は患者」と血債主義で襲いかかる

 決定的なのは、「闘病の主体は患者」とわめいていることである。そして「闘病自体が階級的なたたかいだ」「(医療福祉労働者は)闘病を援助してたたかう」「医療・介護の主人公は、患者とわれわれ医療労働者をはじめとした医療者だ」「医療というのは専門的な技術、知識を持って病気を治療する労働だ」などの言動は、いずれも反マルクス主義の極みだ。「患者」や「病気」「医療者」という没階級的な存在と実体を主語にして、労働者階級という主体をどこまでも無視し、圧殺している。
 この結果、いつのまにか人間主体がなくなり、「医療」の行為が主体にすり替わる。「闘病」という名でブルジョア的「高度治療」のもとであらゆる合理化、強労働への屈服を労働者に強制することになる。まさに日共の「よりよい医療」論にすべてを明け渡すことになるのだ。
 いやそれは日共を超えて、すさまじい反階級的路線にいきつく。「診療報酬は、帝国主義国家・厚労省で決められるのだから、これを転覆しないかぎり賃金格差、経営の困難などは根本的には解決しない」なる一文は、塩川一派の労働者階級への反革命的敵対を徹底的にさらけ出すものだ。体制の転覆は永遠の彼岸にして、「患者」や「地域医療」を盾にして、経営を守るために賃金抑制や強労働に従えと労働者に恫喝している。まさに医療労働者に過労死しろと言っているのだ。
 「医療は身体が弱ったひとを暖め、病めるひとを抱きしめるところからはじまる」に至っては身の毛もよだつ小ブル的おぞましさだ。続いて「(だから)これ以上疎外労働はできませんとか、責任はすべて資本家にあるとかいって、(患者を)見殺しにするようなことができるのか」という言動はとんでもない転倒だ。はっきりさせよう。塩川一派は患者を労働者の決起を抑え込むために利用するな! それを差別というのだ!
 患者=治療を小ブルジョア的論理にすえ替え、「よりよい医療」あるいは「地域医療」を口実とする企業=経営防衛論は、単なる「労資協調」を超えている。
 患者を、賃労働と資本の非和解性からはずして没階級的存在にした瞬間、「よりよい医療」論が現場を支配し、医療労働者は患者に奉仕する存在となり、資本の労働者支配が徹底的に貫かれる。まさに労働者を賃金奴隷として徹底的に支配、搾取し、医療が資本のぼろもうけの手段となることを許すのだ。
 こうした塩川一派の言うところの「労働者医療論」こそ、動労千葉の闘いに真っ向から敵対するものである。
 そして、「論文」を「病気になった労働者を切り捨てている。虫けら扱いだ」とおどろおどろしく非難するに至っては、血債主義が階級性のかけらも失ったとき、どれほど恐ろしい勢いで空疎かつ破綻的に、反革命に純化していくかを示しているのである。

 第3節 モノ取り主義に労働運動を落としこめる

 塩川一派は「(論文は)経済闘争を否定」していると批判している。そして「モノがとれない時代だ」というのは「新自由主義への屈服だ」と、おのれの「モノ取り主義」を完全に居直っている。
 ふざけるな! 新自由主義であろうがなかろうが「モノをとる」ことを目的にした瞬間、資本への全面的な屈服となるのだ。塩川一派の魂胆は、インチキな経済闘争論をこねくり回し、「モノ取り主義」に価値付与を行い、労働運動を革命運動から限りなく引き離そうとしているのだ。
 さらに「社会保障闘争の否定」というが、社会保障制度についての階級的歴史的理解がとんでもない「体制内」であり、「社会保障制度を守れ」運動の満展開なのだ。
 塩川一派は、帝国主義論がまったく分かっていない。帝国主義段階での社会保障制度の形成は、ロシア革命の歴史的副産物であるとともに、ロシア革命が世界革命へ発展することへの帝国主義者の予防反革命政策としてあるのだ。また29年恐慌がプロレタリア世界革命に転化することを予防するための国家独占資本主義政策の一環として各国帝国主義が制度化したのだ。今日、国独資政策が行き詰まり、新自由主義で社会保障制度の解体が推し進められていることをまったく階級的に見ることができないのだ。
 「社会保障制度守れ」運動は、新自由主義に階級的団結で反撃することを百パーセント否定するものである。そもそも「社会保障闘争」を労働運動から引きはがして自立的に言うこと自体、おそろしく体制内的な改良主義に転落するものだ。

 第3章 労働組合を革命の武器に

 塩川一派は革命党と労働組合を限りなく引きはがす。労働者が職場生産点で資本と非和解で闘う中で階級として団結し、賃労働と資本の支配を日常的闘いでうち破り、職場支配権を奪い、階級的団結を打ち固めることこそプロレタリア革命の道である。その決定的武器が労働組合なのだ。労働者は、その階級性をひとたびつかんだ途端に、団結して労働貴族から労働組合を奪い返し、御用組合を革命的存在へと生まれ変わらせることができる。この労働者階級と労働組合の本質的革命性を否定するのが塩川一派だ。
 そして、このことと塩川一派の解党主義と血債主義の本質は一体である。塩川一派は労働者が中央集権の単一の労働者党建設の先頭に立つことを絶対に認めない。中央と細胞、特に地区党が路線をめぐって常に一致を求め、一体で闘いぬく集中性・細胞性なしにプロレタリア革命の実現はない。塩川一派はこの単一党建設を「党中央への一致の強制」と言って否定し、脱落した。小ブル個人主義に貫かれたその根本にあるのはプロレタリア独裁への恐怖であり、マルクス主義の否定だ。
 この、党と労働組合の革命的一体性の否定は、労働者と労働組合を革命の主体として否定することだ。党を労働者階級の上に置き、労働者をさげすむ塩川一派は、自己の日和見主義と逃亡を暴く労働者の決起を根底から憎悪するのだ。
 権力に革命軍を売り、党を売り、かつての同志を売ってはばからない塩川一派。この反革命的転落と、現場における労働者の団結と階級的決起への襲撃は完全にひとつである。
 真に革命が問題になる時代に革命運動から逃亡・脱落した者にふさわしい汚名を、われわれは階級的労働運動でやつらに強制する。いや、すでに現場の原則的な闘いによってその本性は暴かれてきたのだ!
 この党派性を貫くことこそが、現場の労働者を真に階級的・大衆的に組織する道だ。
 医療・福祉労働者は、塩川一派の11月集会破壊を断じて許さず、資本と非和解の職場闘争を打ちぬき、労働者の獲得をめぐって党派闘争を推進しよう! 11月1万人結集を「生きさせろゼネスト」から逆規定して組織しよう! マル青労同1000人建設、革共同の組織拡大へ、組織化に次ぐ組織化を闘いぬこう。11・2へ、最後まで攻め上ろう!
 〔革共同医療福祉労働者委員会〕