2008年12月15日

反軍戦線からのアピール 田母神クーデター粉砕を 侵略軍の形成に向け国家主義

週刊『前進』06頁(2372号4面1)(2008/12/15)

反軍戦線からのアピール
 田母神クーデター粉砕を
 侵略戦争軍隊の形成に向け国家主義で兵士に死を強制

 田母神発言や兵士に対する暴行の激発など、自衛隊をめぐって重大な事態が起きている。これに対し、反軍戦線から怒りをこめた弾劾と来春「生きさせろ!ゼネスト」へむけた決意の二つのアピールが寄せられました。(編集局)

 第1章 開始された反革命クーデター

 田母神(たもがみ)前空幕長を絶対許すな! 田母神は、雑誌の論文や国会喚問で「①侵略国家だったというのは濡れ衣(ぬれぎぬ)、②集団的自衛権の行使と憲法改正、③安保廃棄と自主国防」まで要求した。「新しい歴史教科書をつくる会」の主張とまったく同じデマゴギーだ。その核心は、自衛隊兵士への靖国死の強制にある。侵略戦争軍隊・治安出動軍の形成と国際労働者階級のせん滅にある。
 重大なことは、「日本をいい国だと思わなければ、自衛隊の士気も崩れる」という危機感から、「国のために死して悔いない」価値観をたたきこむことが世界大恐慌と革命情勢の成熟に追いつめられた全ブルジョアジーの「綱領」になっていることだ。
 したがって、一連の言動は、単に田母神個人の意志によるものではない。世界金融大恐慌への突入の中で、死の苦悶(くもん)にあえぐ日帝ブルジョアジーの階級意志そのものだ。田母神はブルジョアジーの危機感を体現し、完全に計画されたクーデターとして反革命的蜂起を開始したのだ。
 しかし決定的なことは、全世界の労働者階級がひとつの軍勢として決起し、「万国のプロレタリア、団結せよ!」が現実になる時代がやってきていることだ。労働者階級の決起に怯(おび)えた反革命を迎え撃ち、「生きさせろ!ゼネスト」に立ち上がろう! 自衛隊兵士は労働者階級と〈生死をともにする存在>だ。兵士はブルジョアジーのために「血を流す」ことを拒否し、世界革命の隊列に必ず合流してくる。激突は開始されているのだ。
 日帝ブルジョアジーは田母神のような反革命指揮官を先頭に押し立て、「つくる会」デマゴギーで幹部を組織し、25万自衛隊兵士に「使い捨て」「消耗品」としての死を強制することによってしか、そしてクーデターでしか、絶望的行き詰まりからの突破を図れないということだ。

 第1節 居直り・更なるせん動許すな

 懸賞論文の組織的行動はまさに敗北への絶望的反動として「決行」されているのだ。しかもクーデターは終っていない。田母神は居直り、国会や外国特派員協会や週刊誌上などで扇動を続けている。
 労働者階級と兵士たちはこれを絶対に軽視しないし、許さない! 体制の完全な行き詰まりと労働者階級の闘いに対する絶望的反動の始まりを、労働者と兵士の連帯した闘いで粉砕する。階級のゼネスト対極右クーデターの開始。これは21世紀革命の開始だ。日韓米労働者の階級的・国際的団結の力で反革命クーデターを絶対に粉砕する。

 第2節 組織ぐるみで衝動つのらす

 以下は、懸賞論文応募の所属と階級別の内訳である。今回の反革命決起の性格を示している。応募者は田母神を除いて97人。組織的応募94人。佐官・尉官の幹部自衛官だけで90人近い。所属別では、幕僚部4人、航空総隊71人(小松基地が62人)、教育集団1人、補給部2人、航空救難団16人(入間=司令部)。他に3人は自主応募(小松基地から曹1人の応募)。
 「懸賞論文投稿指示」は、田母神本人と幕僚部教育課長、さらに人事部教育部長などが執拗(しつよう)に行った。次期統幕長論文を最優秀論文として押し立て、反革命派の結集力を誇示し、八方ふさがりの政治軍事情勢の反革命的突破を狙ったのだ。しかし陸自・海自の応募はゼロだ。事態を察知し震撼(しんかん)した政府は田母神を懲戒にしようとしたが、本人の抵抗にあい、更迭にとどめた。権力内部の軍事を含む暗闘の始まりだ。体制の行き詰りへの右からの絶望感、労働者階級の闘いの前進に対するクーデター衝動はここまで激しく深刻だ。

 第2章 革命への恐怖と対抗が根底に

 70年安保・沖縄決戦で労働者階級と農民・学生が総決起した激動の時代。田母神は71年防大を卒業、航空自衛隊に入隊した。69年、治安出動訓練拒否の小西3曹の決起も、浜松基地兵士たち37人の決起も、労働者階級の決起の中でかちとられた。
 70年、絶望的反動として三島由紀夫が市ケ谷駐屯地に突入するが、三島は兵士たちの弾劾と罵声(ばせい)を浴びて割腹し果てた。階級と兵士の反乱に常に怯えて、田母神の軍人人生はこうしてスタートした。
 田母神は98年に第6航空団(小松基地)司令に着任。ここでアパグループ代表のの元谷外志雄を介し森元首相や安倍元首相と結びついた。アパグループの基地隊員への紹介物件が7割を超える腐敗した利権関係を形成した。
 田母神は、02年〜04年まで統合幕僚学校長を務め、「歴史観・国家観」講座を新設した。講師は「つくる会」や桜井よし子などで、受講した幹部は390人。「侵略はなかった」「全部コミンテルンの謀略」「沖縄戦で戦隊長の命令はなかった」などのデマを繰り返すことが目的だった。
 田母神は、核武装を公然と要求し、クラスター爆弾を大量に所持している「有効性」を「占領される被害のほうが何万倍も大きい」「核もクラスター爆弾も防衛兵器」と扇動した。「軍隊は人民を守らない」を明言し、公然と開き直ってきた。田母神は一貫して労働者階級の闘いに対抗・挑戦してきたのだ。許し難い反革命だ。

 第3章 階級的団結で必ず粉砕できる

 しかし田母神の反革命策動は労働者階級人民の闘いでことごとく敗北を喫してきた。01年以降の「つくる会」教科書採択反対闘争の爆発、07年、教科書からの「軍令による強制集団死」抹殺に怒った沖縄県民の11万6千人決起などだ。小泉・安倍・福田は打倒された。
 イラクで陸自は、13回もの迫撃弾攻撃と最後は路肩爆弾攻撃を受け、デモ隊の包囲の中で撤退した。06年のことだ。そして08年には空自イラク派兵違憲判決が名古屋高裁で下された。バグダッド空港は戦闘地域であり、武装米兵の空輸は後方支援活動にあたり、空自の活動は憲法違反であるという判決だ。日帝3軍のイラク参戦自体を「違憲」と断じたのも同然である。だが田母神は指揮官として高裁の違憲判決を「そんなの関係ねえ」と開き直った。
 この間イラク・インド洋への派兵隊員の現職死亡は35人。自殺と判明している隊員は16人。空自では女性兵士に対するセクハラが後を絶たない。
 10月の海自特殊部隊の養成訓練では辞退を願い出た3曹が10分間に230回も殴打され虐殺された。田母神こそは65万イラク人民虐殺と自衛隊員の自殺・暴行虐殺・セクハラの直接責任者だ。
 「懸賞論文に応募したら300万円当たっちゃったんですよ」。田母神は自ら「問題はなんぼ起こしてもいいから頑張ってください」と扇動を繰り返し、幕僚部教育課長名で全国の幹部自衛官に「論文応募」を呼びかけておきながら、授賞を防衛省幹部に喜々として報告し、問うたことが「懸賞金の取り扱いをどうするか」である。あきれ果てる! としか言いようがない。反革命蜂起にあたって、これが利権にまみれた小心な指揮官の関心事だったのだ。こんな輩(やから)が3軍トップの統合幕僚長の最有力候補だったのだ。

 第1節 革命の勝利が兵士解放の道

 このような反革命クーデターをわれわれは絶対に許さない。だが、ここに日帝ブルジョアジーの脆弱(ぜいじゃく)性が表れている。労働者の階級的団結の力で必ず粉砕する。
 世界大恐慌情勢を迎え撃ち、5700名が結集した11・2労働者総決起集会は、労働者階級の国際的団結と単一の革命党を高らかに宣言し歴史的勝利をかちとった。5・1メーデーの国際連帯ストライキは実際に戦争に打撃を与え軍事情勢を変えた。労働者と兵士の闘いが世界を変え、勝利する時代が到来した。「全世界の労働者階級に訴える」(『前進』2369号)を武器にストライキで闘おう!
 田母神ら幹部には人間主体としての25万兵士の存在はない。教育課程審議会元会長の三浦朱門は「9割は従順でありさえすればよい」と人間を限りなく冒涜(ぼうとく)し、労働者自己解放の思想の対極で憎しみを募らせている。御手洗や田母神らの連中も同じだ。奴らに出口はない。
 闘って生きる以外ない25万兵士の状態は、6000万労働者の状態と同じだ。まさに「生きさせろ!ゼネスト」が25万兵士のスローガンになり、労農兵の闘いがひとつになることが、兵士の生存と自己解放の道だ。
 「労働者自己解放の思想であるマルクス主義を今こそ全面的に奪い返し」(同上)、「世界大恐慌をプロレタリア世界革命に転化せよ!」の闘いに職場・生産点から総決起しよう! 労働者・隊員・家族の組織化へ躍り込んで行こう。ともに闘おう!
 (名古木澄)