2009年1月26日

マル青労同盟加盟の決意 マルクス主義に触れて自分の方向見いだした

週刊『前進』06頁(2376号6面5)(2009/01/26)

マルクス主義青年労働者同盟加盟の決意・抱負
 マルクス主義に触れて自分の方向見いだした
 東京 野中 絵美

 私は今まで周囲の人びとの多くを軽蔑(けいべつ)してきた。労働者という認識のない人びと、資本家は敵ではないばかりか、仲良くしていれば自分に利益を分け与えてくれる存在であるかのように考えて、彼らにこびへつらい、他人を蹴落として上昇しようとする人びと、過剰な装飾、過剰な娯楽、過剰な利便性を追い求める人びと、彼らを軽蔑してきた。
 でもマルクス主義の本質に触れて初めて、実は彼らは資本家によって分断され、資本家に利益をもたらすために巧妙に創(つく)り上げられた搾取構造の中で、互いに競争心をあおられ、合理化や同一化の過程の中で固有性を失っているに過ぎないことに気付いた。その事実に気付かずに一人ひとりの労働者の潜在的可能性を私は見誤っていた。
 一方で私はかねてから、資本主義・帝国主義に対し、事象を差異化し、空虚な権力で人びとを抑圧、侵略する暴力装置と見、非実践的にただ批判してきた。非実践的にならざるを得なかったのは、私が方法を知らなかったためであり、さらに方法を知らなかったのはスターリン主義のためだった。しかし、労働者一人ひとりの自己解放とそこから得られる力での連帯が、誰にも支配されない、誰をも支配しない、個人と個人の違い以外の何の優劣もない平等な社会の実現へつながるのだと、マルクス主義によって教えられた今、自分の方向性が見いだされたように感じている。
 残念ながら今の私はまだ、理論としては理解していながらも実践していく力がとても未熟だ。自分自身がそういった点を克服していくためにも、経験のある人びとから、マルクス主義から多くを学び取り、すべての人びとにとって平等な社会を築く中の一員となりたい。
     ◇
 私にとってとりわけ思い入れの強い地であるパレスチナについて若干のことを書き記したい。
 私は10年以上前に一度だけパレスチナを訪れた。その時に現地の人びとと交流を持って実感したのは、日々生活している生身の人間として何の違いもないということ、しかし一方で、私が悠々閑々と日常を送っているまさにその時に、彼らは自分の生命を守るだけのために生きていなくてはならない、ということだった。差があってはならないところに生じた差に対してどう働き掛ければよいか、これが課題だった。
 今ガザでは、イスラエルによって帝国主義最後の断末魔のあがきにふさわしく醜い残忍な虐殺行為が進行している。しかし、このガザ侵略はすでに失敗している。イスラエルの残虐行為の結果が世界中に配信される中、それを歓迎する人間がどこにいるだろうか。歓迎するのは自国の利益だけが最大の関心事である帝国主義諸国のみだ。
 しかしハマスこそは、パレスチナ人の生活に最も密着して活動し、それゆえパレスチナの地にしがみついて抵抗し続けている。イスラエルの殺戮(さつりく)はパレスチナ抵抗勢力の価値を一層高める結果となった。欺瞞(ぎまん)的和平工作を終焉(しゅうえん)させた。
 そしてイスラエルによって手足をもがれた家族の復讐(ふくしゅう)に燃える人びとが立ち上がっている。世界中で怒りの声が上がっている。パレスチナ人と一部のイスラエル人が民族の差をのりこえ、同じ権力に抵抗するものとしてともに闘い始めている。またトルコでは賞賛すべき大規模なデモが各地で行われ、シオニズムの敗北と帝国主義の瓦解が確認されるとともに、靴を投げつけられたブッシュとオルメルトの操り人形が炎に包まれた。帝国主義の実態を知る人びとは今、国境を越えて連帯している。
 欺きの停戦などによってイスラエル軍を充電させ、ハマスへの武器流入を止める、つまり抵抗の源泉をからす、そのようなことがあってはならない。ハマスは勝利するか戦争を終わらせないかどちらかだ。
 良心と尊厳を有するすべての人びとは今、正しいもののために一斉に立ち上がらなくてはならない。
     ◇
 だから、傲慢(ごうまん)にも他人を支援するのではない、同じ立場で同じ人間として権力と闘う方法をようやく見いだした私も、マルクス主義青年労働者同盟に加盟し、ともに闘うことを誓います!