2009年6月22日

獄中から連帯アピール 斎藤,恩田,織田

週刊『前進』06頁(2396号3面2)(2009/06/22)

獄中からの連帯アピール

 熱い心を取り戻そう 法大文化連盟委員長 斎藤郁真君

 この法政大学の問題はすでに一大学の学園内闘争として片付けられなくなっています。大学という場所のあり方が問われている問題です。
 大学とは何か。学問とは何か。いま私は逮捕されております。この罪名の法律的構成要件は満たされておりますので、その意味で私は起訴され、裁判を行い、有罪判決が出ることでしょう。
 最初の問いに戻りましょう。学問とは何かを考えた時、社会の常識とぶつかることは避けられないと思います。法律とは、良くも悪くも、社会における一般規範です。罪は二つの形があります。いま言った、一般規範としての法律に反する罪、そして、明文化することのできない、わかりやすく言えばお天道様に顔が向けられない罪です。法律的な立場から言えば、法政大学がやってきたことは、大学の管理権という観点から、そのほとんどが合法でしょう。しかしながら、われわれが法政大学に問うているのは、法政大学の行っていることが、お天道様に顔が向けられないことなのではないかということです。
 社会を構成しているのは人間です。社会があって人間があるのではなく、人間がいて、その人間と人間との間に社会があります。いま何が正しいかを決めるのは、過去の人間たちが決めた一般規範としての法律ではなく、いまを生きている、将来を創るわれわれのような若い人間たちです。何が正しいかという問題から逃げることなく、目の前の事実、現実の物事に対して、善悪の判断をつけていくことをためらわない姿勢を身につけて欲しいと思います。
 真面目になることがダサイかのような風潮がありますが、いまだからこそ、われわれ学生は熱い心を取り戻しましょう。

 自由はかちとるもの 法大文化連盟副委員長 恩田亮君

 はたして市場原理主義と教育は相容れるのか?答えはNOである。
 法政大学を見よ。ビラ・立て看板規制に始まる3年間に及ぶ管理強化がもたらしたものは、約150個の監視カメラと有刺鉄線の包囲網、暴力ガードマンに、大挙して流入する警察権力ではないか。圧政に立ち向かう学生には、ガードマンの鉄拳に加え、資本の傀儡(かいらい)と化した教授会による権威のカケラもない茶番劇の末の処分が乱発されてきた。
 信念を貫き、敢然と抗議する学生を殴り、蹴飛ばし、女子学生のトイレまでのぞく教職員の姿が、大学の権威失墜を体現しているではないか。新自由主義大学は大学を滅ぼし、権威を破壊し、人権を踏みにじる。
 この世界恐慌という激動の時代にあって、国家権力は戦前来の治安法を発動し、「暴処法違反」で多数の学生を検挙・起訴している。かく言う俺も、その1人として身柄を拘束され、すでに起訴(しかも「威力業務妨害」など3件で!)されているが、これはけっして敗北ではない。法大闘争、そして新自由主義との闘いは、いま本格始動したのだ。
 6・14、そして6・15と俺のマイクパフォーマンスを披露できない無念は筆舌に尽くしがたいが、「一人の仲間も見捨てない」のスローガンのもとに心で連帯を表明します。
 特に法政の学生に訴えたい! おかしいことにおかしいと、一緒に声をあげようじゃないか。自由は与えられるものではなく、かちとるものなのだから。
 文化連盟と全学連は一蓮托生!
 教育を商品化し、文化の多様性を否定し、人間の自尊心をも踏みにじる市場原理主義を、燃やして、壊して、ぶっつぶそうぜ!

 古い価値観ぶち破れ 全学連委員長 織田陽介君

 立て看板の撤去に反対する学生を、200人の警察と手を組んで逮捕させた法大当局が3年経った今、今度は自分の立て看板を撤去されたのに憤慨して、学生たちを警察に売り渡しています。
 人間らしく生きたいと願うすべての学生は、この法大当局の暴挙に声をあげよう! なぜなら、撤去されて憤慨している法大当局の看板によって大学から追い出されているのは、表現の自由を守ろうと闘ってきた正義の学生たちであり、さらにはその中で学費未納で追い出された学生だからです。「営業権」の名のもとに、学生の一切の表現活動や教育を奪ってきた法大当局の路線がここに示されています。
 4月24日、1500人の学生が「こんな大学おかしい!」と当たり前の声をあげました。これをなかったことにしようと、集会を呼びかけた仲間を逮捕して、「学生は利用されているだけだ」と法大当局は言い放っています。ならば、さらなる怒りの声をあげてこの現実をぶち壊そう!
 時代は戦争に向かっています。起こっていることは世界の支配体制の危機であり、戦争もそこから生み出されています。
 大学はそして学生は、こんな時代にいかに生きるべきでしょうか? 未来を切り開くために教育はあり、古い価値観をぶち破る中に歴史の創造があります。その学生が、自由を掲げては弾圧され、軍事研究や学徒動員に向かうなどということは絶対にあってはいけない。法大の闘いは、仲間のために立ち上がり、大学とこの社会を創造していく学生が団結を取り戻す闘いです。戦争の問題も、自分が隣の仲間とどう生きるかという問題も、ひとつの問題です。学生は、仲間を大事にしなきゃいけない。団結して立ち上がれば、絶対にこの現実を変えることはできる。ともに声をあげましょう!