2009年7月 6日

6月闘争やりぬいた 全逓労働者の奮戦記

週刊『前進』08頁(2398号2面3)(2009/07/06)

6月闘争やりぬいた 全逓労働者の奮戦記

 6・14〜15からJP労組大会闘争を連続して闘った全逓労働者の声を紹介します。今回は四国から。(写真は6・15法政大)

 日本革命の道筋がはっきりと見えた 四国 大塚茂夫

 国鉄1047名闘争を水路にして4大(6大)産別闘争プラス法大闘争で日本革命(世界革命の一環としての)を実現するという道筋が、はっきりと見えた闘いでした。 
 まず6・14社会文化会館で行われた4者4団体派集会との闘いに勝利をおさめたこと。内容はもちろんのこと、数で圧倒したことは決定的だと思います。
 首を切った相手に頭を垂れて「解決する」ことは、日本の階級闘争のとりでを自ら明け渡し、闘ってきた仲間を敵に売り渡すことです。闘う労働者に見捨てられて当然です。
 6・14〜15の闘いは、法大闘争の神髄である「一人の仲間も見捨てない」をすべての参加者が共有した闘いでした。絶対非和解の闘いがとなりの学生、労働者を現に獲得しているのが本当にすばらしい。国家権力の弾圧に真っ向から対決して一歩も引かずに生き生きと前進する中で、展望が出てきたのです。法政大学の現実を体感しながら労学が一体化しました。全国の職場で会社や体制内派と闘う質が飛躍的にアップしたと思います。
 また仙台での全国大会闘争、日逓中野営業所での門前闘争もとおしての総括ですが、「団結はすばらしい」ということと、労働者と学生、老若男女が同じ目的を持っていることで、瞬時に団結と信頼をかちとることができることです。みんなが一体になって法大の弾圧に怒り、JP労組中央の裏切りに声を上げる。「団結、団結」のデモコールは権力、当局、会社、体制内指導部と闘う中で自然と出てきたものだと実感しました。
 JP労組大会会場前の宣伝ビラまき集会は、数と迫力でカクマルを圧倒し、会場に近づけさせませんでした。仙台の仲間との団結の力です。闘う仲間が沢山いるところでやるのはいいですね。
 この4日間の闘いで、仲間を増やしたい、拠点を全国に作りたいと心底から思いました。「団結の究極の拡大が革命だ」というのはわれわれの輪の中に入って初めて実感できることだと思います。だから「仲間を増やせ。組織せよ」です。
 法大闘争を先頭で闘ってきた学生の仲間、1047名闘争をけん引してきた動労千葉、そして国労5・27臨大闘争弾圧被告、日逓の非正規労働者K君、仙台の仲間、8・6広島—8・9長崎闘争を爆発させ、11月労働者集会1万人結集をともに実現しましょう。

 中身の濃い4日間自信と確信を得た 四国 青木大輔

 6・14—15連続闘争、そして仙台でのJP労組全国大会闘争を全国の労働者、学生の仲間たちと闘ってきました。僕自身これだけの中身の濃い闘いを4日間にもわたって行動を起こしたのは初めてで、体力的にはハードでしたが、毎日高揚しまくり、「やりきったぞ!」というのが第一の感想です。
 4者4団体派に象徴されるように、さまざまな既成政党や党派、そして体制内労働組合が新自由主義との闘いから逃亡し、動労千葉派に敵対する側に完全に立った今、闘う勢力は「われわれしかいない」とあらためて確認できたと思います。
 また、JP労組大会闘争に初参加して、JP労組中央打倒、民営郵政打倒の声を上げることができたことは、これからの僕の闘いの自信になったし、全国の全逓の仲間や現場の組合員とともにこれからもやっていけると確信を持つことができました。現場の怒りの発言が次々とたたきつけられ、代議員・傍聴者の注目がものすごく高かったことからもそう感じます。山口委員長の会社役員就任についても、職場の人からは不信の声が上がっています。
 もっともっと現場組合員からの信頼をかちとり、「競争よりも団結」を訴えて8・6ヒロシマ、11月労働者集会1万人結集の実現へ向けがんばっていきたいと思います。

 法大当局の攻撃に学生と一体で闘う 四国 江口浩一

 労働者と学生がひとつになり、お互いに強め合いながら闘いが前進している実感を持つことができました。また、動労千葉の田中委員長も言われていましたが、求められているのは「この社会の根本的な変革なんだ」「労働者の中にこそ、この社会を変える力がある」と、本当にそうだと思いました。
 3年間で110人も逮捕者を出してもつぶせなかった法大当局が、ついに集会も表現の自由も奪う攻撃に出ました。憲法の枠を超えた治安弾圧。これが改憲の核心なんだと思いました。大恐慌の中で戦争衝動が大学や資本、いたる所で噴出しています。これらとの闘いが決定的です。
 資本と闘わない労働組合は、資本の利益と延命のための戦争にも反対できません。民営化賛成では戦争反対は闘えない。
 路線が問われ、労働組合をよみがえらせることに一切がかかっているんだということがより一層鮮明になりました。