2009年7月27日

織田全学連委員長の獄中通信 獄中闘争を革命の学校に

週刊『前進』06頁(2401号4面2)(2009/07/27)

織田全学連委員長の獄中通信
 闘いの主導権握った我々 獄中闘争を革命の学校に

 法大暴処法弾圧で起訴され、4・24法大闘争を闘った同志とともに獄中闘争を闘う織田陽介全学連委員長から通信が毎週届けられている。その通信からの抜粋を紹介します。(編集局)
 獄中闘争を楽しくやらせてもらっています。運動全体がそうした力量をもっていることの証明ですし、日々前進していることを確認しづらい場所ではありますが、こうして闘いは強化されていくのだと思います。
 獄中で闘う自分を変革するのはやはり外の闘いです。だから、最も変革し合い、刺激しあう、団結する同志として、獄内外の関係を強固につくりあげたい。そして、ラジカルに生きようとする自らが革命そのものであり、自分の飛躍に応じて革命が進むと信じ切る以上、革命の学校として獄中闘争を徹底的にやり抜こう。

 4・24の勝利を再確認しよう

 6・15法大弾圧粉砕全国労学総決起闘争の勝利性を認識するために、4・24法大解放闘争とは何だったのかをはっきりさせよう。
 ポイントは一つに、4・24の1500人決起によって、法大闘争の主導権が3万法大生および法大文化連盟と全学連の手に移りつつあるということ、二つに、4・24の1500人決起という歴史的事実は、指導部の強烈な党派闘争的な意志によってのみ歴史に刻印されるということ、この2点です。
 敵の対応が、われわれの行動に規定され、後手にまわり始めた。このことは非常に重要です。敵および体制内派との党派闘争は、4・24は1500人集会だったのか否かという点をめぐって闘われている。
 法大当局は集会を「違法」として被害届を出し、「参加した学生は利用されたのだ」と言い張る。しかし学生の思いはどうだったのか。仲間が逮捕されて怒ったり、心配したりしない学生などいない。気がついたら外まで出てきていた学生だっているはずだ。誰もがあの場で「こんな大学ふざけんな」と思った。これが当日起こった事実だ。
 学生が主体的に意思を示して行動した、このことをわれわれは1ミリの揺るぎもなく確信する。「1500人集会など無かった」という敵の攻撃に、指導部が確信をもって立ち向かおう。敵は確定した史実の数々すら歪曲しようとする連中なのだから!
 法大当局は集会を呼びかけた仲間を国家権力に売り渡した。指導部を屈服させ、4・24を歴史から抹殺しようとした。しかし指導部は4・24の地平を守り抜き、本物の指導部が登場した。6・15では全社会の怒りが示され、3万法大生の怒りは当然の怒りであることがはっきりした。
 法大当局は1500人の声に回答していないのではない。権力と法大当局の逮捕・処分・キャンパス封鎖こそが、「学生は黙って従え」という明確な回答ではないか! 6・15における法大当局の対応は、それを鮮明にした。
 だから学生は獄に奪われた指導部を返せと立ち上がること、その中で新たな指導部を生み出すことこそがなすべきことだと自信を持ってつかみとろう。動労千葉派の労働者が生で法大の現実を見、また学生がその労働者に大学の問題を訴えることから、トータリティのある内容がさらに生まれてくると思います。
 全学連大会へ、悩み、のたうちまわってほしい。壁にぶつかることは、組織に責任をとろうとしていること、その組織が革命をかけた組織であること、11月労働者集会1万人結集のでかさを真に理解していることの表れです。そして悩んだ分だけ大衆が応えてくれます。

 自民党倒した労働者の怒り

 都議選の結果は、やはり労働者階級の怒りは半端じゃないことを示しています。労働者階級が決起すればものすごい力があるというのが総括でしょう。民主党が政権をとっても何も変わりませんが、そこに本質はない。みんな怒っているんだと労働者階級が確信したことに巨大な意味がある。
 エンゲルスは、選挙は労働者階級の成熟度を測る温度計だと言いましたが、都議選で支配階級がこれまでどおりの形が続けられず、大衆は誰もが現状の変革を求めていることが示された。
 この支配の危機的状態の突破をかけ、ファッショ的な動きも進む。橋下は「国と地方は奴隷の関係」と疑似革命を叫び、田母神も「つくる会」も「国民運動」をあおる。
 国鉄分割・民営化はとんでもなく不当な攻撃であり、国鉄1047名がこの怒りを忘れるはずはなく、動労千葉派の絶対反対の柱は立ち続ける。だから自民党は自らの存立基盤を破壊していく過程で革命的労働運動を産み出すことになる。
 解散・総選挙は時代が回転する号砲になる。そして、いかに流動化した大衆を組織するのか、これが私たちの課題です。

 サミット総括と8・6闘争

 8・6ヒロシマは、日米帝の北朝鮮に対する侵略戦争策動と排外主義に対する対決になります。帝国主義の側が侵略しようとしているのです。その上で戦争の動力はあくまで帝国主義間争闘戦である、ということが重要だと思います。
 歴史を見ても、世界戦争を決断した帝国主義は、他国の兵器規制を始めるのであって、米ロ会談やオバマのプラハ演説もそうです。侵略宣言であると同時に他帝への争闘戦、武装解除要求として激しくある。北朝鮮・イランへの戦争の本質もそこにある。
 今、中東とアジアという帝国主義とスターリン主義の世界体制が一貫して支配しきれてこなかった地域から戦争・革命が噴出している。
 〈段階・過渡・変容・再編・危機>という構造で把握した場合、第2次大戦で帝の支配が崩壊したが、スタの裏切りでなんとか再編された。だが、それはきわめて危機的なものだった。
 とりわけ中東とアジアでは安定支配を構築しえず、力による支配以外になくなった。朝鮮革命と朝鮮戦争、中国革命、朝鮮半島の南北分断体制。パレスチナ問題と01年9・11反米ゲリラ戦争。とりわけ74—75年恐慌と一体の米軍の中東における軍事拠点の崩壊としてあった1979年のイラン革命。だから、中東・アジアをめぐる現在の情勢は、帝国主義とスターリン主義の戦後支配体制の根底的崩壊そのものです。
 ラクイラ・サミットに向かって帝国主義各国は危機を深めながら、保護主義の拡大、通貨戦争、戦争への準備の加速と、他帝の軍事力の規制などを進めた。そしてまさに机の下で蹴りあう歴史的サミットとなった。
 これに対決するものとして国際労働者会議が重要です。国際プロレタリアートにとって歴史的な意味を持ちます。今年の11月集会が「国際的な労働者の党」をめぐってさらに輝きを放つことは明白で、全学連大会でも、こうしたダイナミックなインターナショナル的な党建設が位置づく可能性が出てきています。
 マルクスの『哲学の貧困』を読みました。最後に団結について書いている部分はいい!
 大工業はまったく知らない人びとを一つの場所に集め、競争を激化し、個々の労働者の利害を分断する。しかし、資本に対するという一点で共通の利害を生み出す。資本が団結することに対して、労働者は経済的な問題より組合の団結を維持することを優先させるようになる。そしてその団結は政治的性質をおびてくる。労働者は、一つの共通の利益を持っているという点で一つの階級をなすが、彼らが相結合することで、自身のための階級を形成する。まさに「階級的団結論」です。
 現場から出てくる一つひとつの困難に向き合い、資本に対決することをとおして労働者はようやく団結できるとマルクスは述べています。

 「ラジカルな思想を持つ」とは

 われわれが「ラジカルな思想を持つ」ことの可能性とは何か?
 圧倒的な労働者がいまだに中間的であったり、戦後民主主義的であったりする中で、ここにラジカルな内容をぶつけて、ある意味「違い」を鮮明にするだけで満足していていいのか。
 われわれの主張は中間層をも獲得しなければならない。自己満足的な純化と大衆迎合、そのどちらも排して止揚するには、もっとラジカルになるということではないのか。
 法大闘争では、大学とは、教育とは何か、社会とは、人間とは何か、そうした根本的な主張が始まり、ものすごく突破感がある。「ラジカルな思想」には無限の可能性があります。マルクス主義・レーニン主義こそ今もその土台として光彩を放っている。法大闘争と階級闘争の勝利の地平として、学習する時間を与えられ、革命のリーダーとしてその無限の可能性を獲得していきたい。
 「ラジカルな思想」をどう語れば獲得力が生まれるのか。これは裁判の意見陳述を含めた全体の課題です。11月集会1万人結集のかぎもここにあると思っています。