2009年8月17日

三里塚反対同盟の発言(2009年8月革共同集会)

週刊『前進』08頁(2403号2面3)(2009/08/17)

三里塚反対同盟の発言(2009年8月革共同集会)

 三里塚は再び決戦人生かけた闘いを 事務局長 北原鉱治さん

 三里塚闘争は43年目に突入しました。駒井野砦や岩山大鉄塔の大攻防、そして代執行阻止決戦。皆さんの先輩から何百人も逮捕者を出し、歴史に残る闘いがあった。そしていま、現地は再び市東孝雄さんの農地収奪との決戦が近づいている。再び決戦の時が来ました。
 いまの政治をどう思いますか? 総選挙で民主党政治になって政治は変わるか? 実は政治を変えるのは私たちだ。そのための今日の集会です。
 おじいさんの代から90年続いた市東孝雄さんの農地を、国が農地法で奪う。法律を作った者が法を破る。こういう社会を変えるのです。ここに集まった人たちを先頭に1億3千万の人民が立ち上がる。そこで世の中は初めて変わる。労働者は武器を運ばない。農民は生命の糧、食糧を生産する。そこに本来、政治は要らない。この立場で私たちは闘ってきました。
 サンフランシスコ国際連帯会議の成功をうれしく思います。私も提案文をつくり託しました。労働者と農民が世界人類の反戦・平和のために連帯すれば戦争は防げます。
 あなた方が人生をかけた闘いは、必ず革命の勝利につながる。どうか三里塚の勝利のために、人生をもう一度かけて下さい。法政大学キャンパスを奪還し、若い学生の将来を取り戻そう。未来をつくりだそう。
 闘えば必ず勝てる。三里塚は地球の未来をかけて闘います。

 農地死守・実力闘争と労農同盟の決意 事務局次長 萩原進さん

 三里塚闘争の歴史は、政府・権力との真正面からの対決と同時に、われわれの戦線から脱落していった部分との攻防、デマ情報の操作による運動破壊、そのような闘いが42年間、続いてきた。
 われわれは空港絶対反対です。単なる反対ではない。「一切の話し合い拒否」だ。権力とわれわれは水と油だ。しかも時には武装し、実力で闘う。だからこそ今日がある。多くの大衆運動の中で、既成政党をある意味では排除し、実力闘争で政府と四つに組んで闘いぬいた運動は、おいそれとはありません。私が言いたいのは、そういう闘いを今後も継続するという強い決意です。
 この7月、権力は「への字」誘導路にある一坪共有地を裁判で奪い取った。そして暫定滑走路を6カ月も早く前倒しで供用する。そして”第3の誘導路”建設。敵の切羽つまった大攻撃ですが、大きな構図としては戦時下における攻撃です。市東さんの農地強奪も戦時下における徴発だ。
 ならば、これとの闘いは、1971年の強制代執行との闘いのような決戦となる。その決意をいま全国の皆さんに発しなければならない。
 どう闘うか。やはり労農同盟の闘いだ。動労千葉の闘いが全国の労働者を動かし、組織化して、今日の労働運動を支えている。この動労千葉との両輪をもう一度、大きな層として、うねりとしてつくり上げていく。それができる闘いが三里塚闘争ではないですか。これをつくり上げなければ勝利はありえない。
 反対同盟は決起します。全国の人民の決起を訴えます。

 「闘魂ますます盛んなり」の遺志を胸に 敷地内 市東孝雄さん

 また新たに、私の家を誘導路が取り囲む攻撃が始まりました。このかんの私の裁判への傍聴闘争や現地闘争に、忙しい中を多くの皆さんが駆けつけて下さり、ありがとうございました。
 私が三里塚現地に登場したのは、1999年の3月28日、親父(故・市東東市さん)の追悼集会です。あれから早いもので10年がたちました。親父の大好きだった言葉があります。「闘魂ますます盛んなり」。この言葉は今でも私の胸の中にあります。
 反対同盟43年、農地死守、軍事空港反対。この考え方はこれからもずっと続く闘いです。ですから反対同盟は、残っている者はわずかですが、心をひとつにして一本になっています。敵の攻撃に対して「来るなら来い」という気持ちでいます。
 ここにお集まりの革共同の皆さま。どうかもう一度力を貸していただいて、空港廃港の勝利までともに闘いましょう。