2009年8月24日

11月1万人決起のために 〈階級的団結〉はいかにして形成されるか 元教育労働者 駿河俊彦

週刊『前進』06頁(2404号4面1)(2009/08/24)

11月集会1万人決起のために
 労働者の〈階級的団結〉はいかにして形成されるか
 関東・元教育労働者 駿河 俊彦

 地区で闘っている労働者同志から、〈絶対反対論〉や〈党建設論〉と一体のものとしてある〈階級的団結論〉についての、以下のような力ある論考が寄せられました。階級的労働運動路線をさらに推進し、11月1万人決起を組織する今秋の闘いにとって、有効な武器になると考えます。掲載に当たっては、スペースの関係で編集局の責任で原文をかなり圧縮し、編集し直しました。多くの同志と読者の皆さんの積極的な活用を訴えます。(編集局)

 人間の根源的共同性に根ざした類に生きる力

 6・14集会で法大文化連盟の洞口朋子さんは次のように発言した。
 「全員が完全黙秘・非転向で団結を固め暴処法弾圧との闘いの第一ラウンドに完全勝利しました」「私たちは仲間を絶対に裏切っちゃいけない。それが法大闘争の核心です。戦争を止め、この社会を根本的に変革する道は、資本家と徹底的に闘い、奪われてきた団結を取り戻していく闘いの中にこそあります」(本紙2396号)
 私たちは法大決戦の先頭で不屈に闘う、文化連盟と全学連の若き戦士の闘いを目の当たりにするとき、動労千葉と革共同が血と汗を流して闘いとってきた階級的労働運動路線が若き青年たちをとらえ、力強く根づいて発展していると確信することができる。彼らは、動労千葉労働運動とその階級的団結論に徹底的に学んで闘ってきたのだ。
 法大解放闘争は、日本階級闘争の最前線に躍り出た。この闘いに勝利することが、労働者階級の勝利の展望を切り開く。法大解放闘争をわがものとし、一日も早く獄中の学生同志を奪還し、国鉄1047名解雇撤回闘争を基軸に4大産別決戦に猛然と決起しよう。
 本稿では階級的団結論について考えてみたい。階級的団結は、労働者階級が資本家階級を打倒してプロレタリア革命に勝利するための唯一無二の武器である。しかし、それは体制内指導部によって踏みにじられ、ないがしろにされてきた。今こそわれわれは、マルクス主義の原理である階級的団結論を復権しなければならない。
 階級的団結の力をもってすれば、いかなる試練も困難ものりこえられる。それは人間の根源的な共同性に根ざしているがゆえに、死の恐怖さえのりこえることのできる力である。個に死して類に生きる力である。
 階級的団結を質的に深化し、量的に拡大していけば、その先にプロレタリア革命がある。ブルジョアジーはこのことを本能的に知っているからこそ、労働者の団結を恐れ、それを破壊するために手段を選ばず攻撃してくるのだ。
 では、労働者の階級的団結はいかにして形成されるか。11月労働者集会1万人決起のために、以下、いくつかの視点から考えてみたい。

 「絶対反対論」と不可分一体

 第一に、「階級的団結論」と「絶対反対論」は不可分一体である。階級的団結は、職場生産点において、資本と国家権力に対して日常的に非和解的に闘い抜くことをとおして形成される。「賃金制度を撤廃せよ」——資本・権力に対する根源的な批判と怒り、これが絶対反対論である。したがって「絶対反対論」は、資本主義・帝国主義打倒をめざす革命の論理なのである。
 今日、ブルジョアジーはのたうち回りながら、労働者階級に対する極限的な搾取と侵略戦争に突き進んでいる。ブルジョアジーは労働者を奴隷としても食わせていけなくなった。帝国主義の最後の延命策である新自由主義政策が破綻し、その矛盾が世界大恐慌となって爆発しているにもかかわらず、ブルジョアジーは新自由主義政策を絶望的に推し進めるしかないのである。道州制攻撃こそ、むき出しの市場原理、弱肉強食の競争原理を振り回して、民営化を全社会的規模で推し進めるものである。それは労働者階級の9割を非正規化し、低賃金化と首切りをもたらす。それは、改憲と戦争への道である。
 体制内指導部は、民営化攻撃と闘っても勝てるはずがないとあらかじめ屈服し、労働者を敵の攻撃の前に武装解除させ、敵に売り渡そうとしている。労働者にとって、より良き民営化などあるはずがない。これでは労働者の団結は破壊されるばかりだ。民営化は絶対反対あるのみだ。体制内指導部を打倒し、労働者の階級的団結を取り戻そう。

 労働組合が基礎的団結形態

 第二に、労働者階級の階級的団結は、労働組合の闘いをとおして形成される。
 労働組合は労働者の基礎的団結形態である。だから、労働組合のないところでは労働組合を建設しよう。また、既成の労働組合の大半は民同やスターリン主義者に支配されている。体制内指導部を打倒して、闘う労働組合をよみがえらせよう。そのためには、労働組合の権力を取ることを目指して目的意識的に闘わねばならない。
 労働者階級の究極的団結が革命だとすれば、それは、労働組合の階級的団結の強化と発展によってかちとられる。労働組合はソビエトの萌芽形態であり、プロレタリア独裁の樹立に向けて、階級的団結を拡大するためにある。とりわけ4大産別の労働組合の階級的団結を強化することが、プロレタリア革命勝利に向かっての最重要な課題である。

 階級の指導部の世界観と路線と労働者観が鍵

 第三に、階級的団結を形成する闘いは、革命的指導部(党)の建設なしにはありえない。陶山健一同志は「70年闘争において労働者が主力たりうるか否かは、労働者一般の問題ではなく、どれだけ多くの『革命的労働者』が、『革命家』が生まれるかによって測られるであろう」(『反戦派労働運動』第4章)と言っているが、その言葉は今も生きている。また、動労千葉の中野洋前委員長は、「労働者が団結するには核となる中心がなくてはならない」と言っている。
 労働者は活動家(指導部)を中心に団結する。活動家になるとは、階級の指導部になっていくということである。
 また、労働者階級の団結の力と質は、指導部の世界観=時代認識と路線、労働者観によって決まる。動労千葉の労働者は、「連合の団結がスポンジだとすれば、動労千葉の団結は鉄の塊だ」と言っている。鉄の塊のように強い団結は、中野さんの思想とその路線によってつくられたものである。
 中野さんの労働者観は、「労働者は必ず決起する」という信念と、労働者の持つ戦闘性、革命性に徹底的に依拠して闘うという立場に示されている。労働者階級の解放は労働者自身の事業であるということだ。この思想はマルクス主義の核心であるが、中野さん自身、労働者はすべからくマルクス主義者にならねばならぬと言っている。
 マル青労同5回大会報告の中で、以下のような総括文があった。「2人の同志に共通するのは……『隣の仲間』を徹底的にオルグしている。労働者の怒りに依拠して、階級的に怒りをあおって、職場の労働者を闘いの渦中に置いている。そうした時、職場の青年たちが階級的に急速に自己変革する。そして、この闘いの中で自分自身も自己変革したということだ」(『ソリダリティ』5号、6㌻)
 私はこのくだりを読んで、目の覚めるような思いをした。そうなのだ。隣の仲間と団結するとは、ただ仲良くなることではない。肝心なのは、「仲間を闘いの渦中に置く」ということだ。ともに闘うことで仲間が変わり、自分も変わる。指導部自身も自己変革しなければならない。これこそ、マルクスがフォイエルバッハテーゼで提起した、実践的唯物論(共産主義)の立場ではないだろうか。
 指導部が絶対に正しくて、労働者はそれに無条件に従えばよいのだ、という態度は、労働者の上に党を置くという、カクマルや日共スターリン主義者の官僚主義である。ここには、労働者の主体的な自己解放の闘いが完全に欠落している。これはマルクス主義ではない。マルクス主義の解体だ。
 動労千葉元副委員長の水野正美さんは、「中野前委員長は、けっして上から命令するような人ではなかった」「中野前委員長は、動労千葉の労働者たちによって最高の指導者に育てられた」と証言している。
 私はここに「党は階級そのものである」「党と労働組合は限りなく一体のものである」という、革命的共産主義運動と動労千葉が到達した歴史的地平を見る。一人ひとりの労働者の中に革命のヒドラが宿っているという確信をもち、労働者から徹底的に学び、その戦闘性と革命性を引き出そうとする努力。指導部と組合員、組合員相互、指導部相互の強固な団結と信頼関係の形成の闘い。動労千葉の階級的団結はこのようにして形成されたのだ。
 動労千葉は義理人情に厚いと言われるが、水野さんが「動労千葉の真の強さは、路線の正義性にある」と言っているように、「義理人情に厚い」「仲間を大切にする」というのは、正しい時代認識と路線で闘う中で形成された階級的団結の別の表現にほかならない。

 一人の解雇も許さない原則

 第四に、「一人は万人のために、万人は一人のために」「一人の首切りも許さない」という原則を貫いて闘うことが重要である。
 この問題を考える上で、やはり、動労千葉の船橋事故闘争に触れないわけにはいかない。1972年3月の船橋事故で、動労千葉の高石正博運転士が逮捕され起訴された。この事故はスクラップ・アンド・ビルドという、徹底した合理化と運転保安無視・労働強化の結果として起きた。
 これに対して動労千葉は、一人の組合員を守るために全組合員が処分を覚悟して立ち上がった。数波にわたるストライキ、何十波にわたる順法闘争、道路を埋め尽くす街頭デモ、裁判闘争には動員指令の2倍の組合員が参加した。
 この闘いをとおして、動労千葉は反合・運転保安闘争路線を確立し、その精神は今日も脈々と受け継がれており、動労千葉の階級的労働運動の原点となっている。ここにわれわれは、階級的労働運動の神髄を見ることができる。階級的団結は徹底的に労働者の立場に立って闘うことから形成されるのである。

 団結の強化・拡大が総括軸

 第五に、労働者の階級的団結は、〈団結〉を総括軸にして闘うことによって形成される。
 職場・生産点における資本とのゲリラ戦では、労働者は負けることの方が圧倒的に多い。政治闘争においても、現在的に彼我の力関係から、たとえばソマリア沖への自衛隊の派兵を阻止することはできていない。しかし、こうした闘いをとおして、仲間が一人増えたとか、ともに闘った労働者の階級意識が形成されたとか、自己変革がかちとられたとなれば、圧倒的に勝利したのである。
 法大決戦では、逮捕され起訴されても誰一人屈服せず完黙・非転向で闘い、団結はより強固なものとして形成されつつある。また獄中の仲間に鼓舞されて、陸続として学生や労働者が新たに決起している。これだけでも、法大解放闘争の偉大な勝利の展望が切り開かれているのだ。
 あらゆる闘いは、階級的団結を形成するために闘うのだと言っても過言ではない。

 労働者階級自己解放と諸階級・諸階層の解放

 第六に、階級的労働運動路線と「07年7月テーゼ」は完全に一体のものである。差別・抑圧や排外主義との闘いは、労働者階級の階級的団結とその強化にとって絶対不可欠の柱である(本紙08年新年号論文)。
 資本・権力による差別・抑圧、排外主義攻撃の本質は、労働者階級の団結破壊である。したがって、労働者階級の階級的団結を形成する上で、被差別・被抑圧人民の自己解放の闘いに学び、支援・連帯・防衛の闘いを断固貫徹していくことが必要である。
 しかし、塩川一派は「日本の労働者は排外主義・差別主義にまみれているから、そのままでは革命の主体にはなれない」と言って、労働者の自己解放能力、革命的本質を否定し、部落解放闘争、障害者解放闘争、女性解放闘争等の闘いをプロレタリア革命の上に、あるいは並列的に並べ、党はこれらの戦線の連合体であるとして、労働者階級の単一の党の建設に反対し、プロレタリア革命を永遠の彼方に追いやろうとした。
 労働者人民の中に初めから差別意識があるわけではない。それは、資本・権力の分断攻撃に屈服した結果としてある。したがって、われわれはまずもって、差別・抑圧の元凶である資本・権力と闘わなくてはならない。資本・権力の分断攻撃に対して、労働者は階級的団結を打ち固め、資本と非和解的に闘い、プロレタリア革命を実現していく中で初めて差別を克服していけるのである。その逆ではない。
 また、諸戦線の闘いは労働者階級の革命的な闘いと一体のものとして闘う中でこそ、勝利できる。
 階級的団結を形成する上で、労働者階級の自己解放性と、労働者階級が革命の主体であることを否定する一切の党派、潮流と闘い、粉砕することが重要である。
 血債主義、糾弾主義は一時期、わが地区党の中にも横行したことがある。それが本来の党のあり方をゆがめた。今こそ、血債主義、糾弾主義を粉砕し、真のマルクス主義を復権しよう。
 第七に、労働者階級への階級移行の問題である。
 労働者階級が革命の主体であるというとき、私も含めて党の常任、個人商店主、学習塾の経営者、小説家、画家、音楽家などの芸術家、農民、漁民、その他、直接には賃金労働者として職場・生産点に身を置いていない者は革命的たりえないのだろうか? そんなことはない。
 「労働者階級以外の諸階級、諸階層の人民は、労働者階級の解放のなかに自らの究極的解放があることを直視し、労働者階級の立場に自らを立たせ、労働者階級と一体となって闘うこと(階級移行するということ)によってプロレタリア革命の一翼を形成するものとなっていくのである」(07年7月テーゼ)
 この階級移行のための闘いは、労働者階級とともに闘うことでしかなしえない。労働者階級との階級的団結を命がけで形成することである。

 インターナショナルな本質

 第八に、労働者の階級的団結は本質的には国境を越えたインターナショナルなものである。労働者階級の存在は世界的なものであり、帝国主義もまた世界的なものである以上、プロレタリア革命は一国では完結せず、世界革命としてしか勝利できないものである。
 時代認識をゴリゴリと確認することから、動労千葉の労働者は、自己の産別の課題だけでなく、日本の全労働者、世界の労働者階級の利益のために闘ってきた。三里塚闘争に連帯してジェット燃料貨車輸送阻止のストライキを闘った。戦後政治の大転換攻撃であった国鉄分割・民営化攻撃に対し、権力の集中砲火を浴びながらストライキで闘って団結を守った。また、動労千葉は02年3月にイラク戦争開戦に断固反対し、72時間のストライキを打ちぬいた。
 これらの闘いは直接的には動労千葉の個々の労働者にとって一銭にもならない闘いである。しかし、全日本と世界の労働者の利益を守る闘いであった。だからこそアメリカのILWU(国際港湾倉庫労組)や韓国の民主労総をはじめ、世界の最も戦闘的な労働組合が注目し、高く評価し、動労千葉の闘いから根底的に学ぼうとしているのである。ひとつの職場における闘いが職場を超えて、やがては世界の労働者にもつながっていく。教育労働者、根津公子さんの「日の丸・君が代」反対の不起立闘争は、アメリカの闘う教育労働者につながっているではないか。世界大恐慌=革命情勢の到来にあって、今こそ世界の労働者階級の団結が死活的に求められている。

 体制内指導部との党派闘争

 第九に、階級的団結を形成する上で、体制内党派との党派闘争を推進することが決定的に重要である。
 今日、帝国主義が崩壊的危機に陥り、資本主義の枠組みそのものが崩壊し始めるや、体制内党派はブルジョアジーの完全な下僕になり下がった。国労、全逓、自治労、日教組指導部に巣食う社民・協会派、日共スターリン主義は打倒対象となった。彼らは資本主義の枠にしがみついて生きてきたので、それを壊そうとする者に対して、ものすごい憎しみをもって襲いかかってくる。革命勢力と体制内勢力との間に中間の道はなく、非和解的な敵対関係になったのである。体制内指導部を打倒し、そのもとにいる膨大な労働者の中に分岐をつくり出し、獲得しなければならない。

 大恐慌と革命的情勢は国際的団結拡大の好機

 第十に、国内的・国際的に、階級的団結が急速に進む条件が成熟している。
 世界の支配階級は統治能力を完全に失っている。経済的下部構造の崩壊は、その上部構造である統治形態とブルジョアイデオロギーの根底的崩壊をもたらす。自民党麻生内閣の支持率の急速な低下はこのことを如実に示している。また、資本主義は永遠であるとか、会社のために一生懸命に働けば労働者も幸せになれるとか、こうしたブルジョアイデオロギーをもはや誰も信じなくなっている。
 現代の青年労働者・学生は、戦後民主主義の恩恵にあずかっておらず、資本主義に何の幻想も期待もしていない。新自由主義は2千万人のワーキングプア、非正規労働者を生み出した。労働者は資本主義を倒さなければ生きていけなくなっている。また、新自由主義は人間の本質である労働とその共同性を極限にまで奪いつくしたため、労働者は、資本に対する怒りとともに、階級的団結を渇望している。
 だからこそ、「団結」という二文字が、青年労働者・学生が生き、闘っていく上で、欠くことのできない死活的問題となっているのだ。そうした中で、動労千葉と革共同の思想と路線が青年労働者、学生をとらえる情勢がますます煮詰まっている。
 また、ブルジョアジーは金もうけのために巨大な交通手段とインターネットなどの通信手段をつくり出した。ブルジョアジーは自らに向かってくる武器と、それを使う墓掘り人=労働者を生み出したのである。労働者階級はこれらを十分に使わせてもらって、労働者の階級的団結を世界的規模でつくり出すことがより一層、容易になったのである。

 党建設と党の団結の強化を

 最後に、階級的団結論の結論は、革命的労働者党の建設と党の団結ということである。
 労働者階級の中に階級的団結を形成するということは、労働者階級の中に深く根を張った党を建設していくことにほかならない。あらゆる職場、とりわけ4大産別の中に、党の細胞を建設していくことを追求しなければならない。労働者階級は自分たちの真の党なくしては、プロレタリア革命は絵にかいた餅となる。
 ブントから革共同に結集した陶山同志は、「われわれが60年安保の総括をとおして『党』の形成を執拗に追求してきたのは、いざという時にものを言うのは結局、『党』の力だからである」と言っている。
 党と労働者階級の生き生きとした関係は、党がもっともっと階級的団結を強め純化していくことによって形成される。塩川一派との闘いは、自己の内にある体制内的な思想と発想との決別であり、一切のあいまいさなく党の同志の思想的、路線的一致をかちとることである。階級的団結を土台にして、同志間の激突を恐れぬ活発な路線論議を進めることが、党の団結を一層強化するものとなる。
 戦争か革命かが問われる今日の時代に、インターナショナルな党の建設が焦眉(しょうび)の課題となっている。世界大恐慌をプロレタリア革命の勝利に転化するために断固、この課題をなし遂げよう。11月労働者集会1万人決起のために、全力で闘おう。