2009年9月14日

日共の「建設的野党」論を斬る 総選挙の結果が示したもの

週刊『前進』06頁(2407号5面1)(2009/09/14)

日共の「建設的野党」論を斬る
 大恐慌下で資本主義の防波堤となる屈服路線に未来はない
 総選挙の結果が示したもの

 世界大恐慌と8・30総選挙情勢のもとで、日帝・自民党支配が大崩壊し、労働者の総反乱の中で革命的情勢が一層成熟するというかつてない事態が生み出されている。既成のすべての政治勢力がこの中でふるいにかけられ、生き残るために右往左往している。労働者階級の闘いを裏切り、抑圧するスターリン主義反革命・日本共産党も例外ではない。彼らは「こんな社会は我慢ならない。こんな体制は打ち倒してしまえ」という労働者人民の怒りの前に立ち往生している。総選挙で前議席を確保したことで「善戦・健闘」と強がっているが、得票率を落としており、大後退だ。

 裁判員制度に賛成し4大産別決戦に敵対

 8・30総選挙は、世界大恐慌の情勢、そして自民党支配の歴史的崩壊という事態の中で、日本の政治支配構造の根底的崩壊をはっきりさせた。何よりも、労働者階級が、小泉の構造改革の結果生み出されたものに心の底からの憤激を表し、投票行動という形ではあれ、大反乱を起こした。まさに革命の始まりというべき情勢が生み出された。
 このことに、日本共産党も震撼(しんかん)している。彼らの一貫した路線である議会主義的・階級平和的なあり方が根底から吹き飛ばされる危機にうろたえているのである。
 結論的に言えば、今度の総選挙をとおして日共は、反革命的な延命のために、①「ルールある経済社会」を押し出して、「資本主義の枠内での民主的改革」路線にしがみつく、②オバマの「核のない世界」演説を礼賛し、世界が平和に向かって進んでいるかのように宣伝する、③民主党・連合政権に対して、「建設的野党」を名のって「是々非々」の協力姿勢を押し出す、などの方向で延命を図った。この一つひとつを徹底批判しなければならない。
 その前にまず、09年前半に日共は何をやったのかを確認したい。裁判員制度推進であり、4大産別決戦への敵対である。
 今年5月にスタートし、8月に実際の裁判が始まった裁判員制度は、国家の統治行為に人民を動員する「現代の赤紙」であり、憲法改悪攻撃の最先端をなす攻撃である。しかも8割の国民が反対の意思を表示しているまったく不正義の制度だ。これに日共は賛成し推進してきた。「冤罪を防ぐ」などというペテン的理由で、最高裁が推進する制度にもろ手を挙げて賛成し協力したのだ。
 「赤旗」は、「凄惨(せいさん)な遺体の証拠写真を見ることもある裁判員の多様な心理的負担に配慮し、最高裁が『心のケア』実施へ」などというコラムを載せ、ちょうちん持ちをした。裁判員制度は即時廃止しかないのに、ほころびを繕って盛り立てたいというのだ。こんな改憲攻撃そのものの悪質な制度を持ち上げておいて、一方では「憲法改悪に反対」などと言う。こういうヌエ性に人民は怒っているのだ。総選挙で後退するのは当然だ。

 1047名解雇撤回を放棄

 次に、道州制・民営化・労組破壊の攻撃に対する闘い=4大産別決戦への日共の敵対をしっかりと確認したい。
 最も大きな問題は、国鉄1047名解雇撤回闘争を裏切り、「解雇撤回」を引き下ろし、動労千葉を排除して「政治解決」をお願いする4者4団体の中心になって策動していることである。そもそも日共は国労5・27臨大闘争弾圧で、正当な抗議行動をした国労組合員を権力に売り渡した国労本部の共犯者、弾圧の張本人でもある。
 日共が牛耳る建交労の大会で、8月30日、全動労争議団の一員でもある北海道の代議員は、「総選挙後の国会の構成がどう変化しようとも、すべての政党の一致で政府の決断を迫っていく」と、破産した政治解決路線にしがみついている。

 郵政民営化に「反対」の理由

 彼らは、今日の日帝の道州制・民営化・労組破壊の攻撃と闘うことに敵対している。
 郵政民営化について、日共のマニフェスト(基本政策)では、「郵政民営化を中止します」と言っているが、そこで掲げていることは「国民サービスの拡充、どんな利権も許さない郵政事業に」として、「国が保有している郵政株の売却を中止し、郵政民営化路線を根本から転換する」などというものだ。
 日共の郵政労働者後援会は、「日本共産党は、国民サービスを守るためにも非正規労働者の労働条件改善や正社員化を求めています」と宣伝している。全逓労働者の問題は付け足しなのだ。
 日共は、公務員削減の攻撃について、「公共サービス切り捨ての公務員削減」と言う。

 道州制攻撃との闘いも敵対

 つまり「公共サービス」を軸にし、国民に犠牲を強いるから公務員削減に反対という論理になっている。「公務員が少ないほどよいといって減らせば国民の安全や安心を守れない」「貧困と格差が広がるなか、国民の暮らしを支える行政サービス拡充とそのための人員確保こそ必要だ」というのだ。
 公務員労働者が労働者として首切り・賃下げ攻撃と闘うということが否定され、「国民全体の奉仕者」として「国民の生活と権利を守る重要な役割を担っています」と言い、公務員の人員確保は「国民全体の奉仕者」の「役割を担う」ために求められるとする。本末が転倒してしまっているのだ。
 日共も「道州制反対」を掲げてはいる。しかし、それは民営化・労組破壊・公務員労働者大量首切りに反対の観点からではまったくない。そもそも「道州制反対」と言いながら、360万人公務員いったん全員解雇・選別再雇用という最も核心的な攻撃にまったく言及しないのである。
 日共は、4大産別決戦によって階級的労働運動の一大突破口がこじ開けられることを日帝と同様に恐怖しているのだ。
 資本主義を擁護し、階級的労働運動に襲いかかる日共スターリン主義を打倒しよう。

 オバマ礼賛と大企業擁護を貫いた選挙戦

 総選挙をとおして明白になった日共の反革命性の第一は、「ルールある経済社会」を目指すということにしがみついていることである。
 新自由主義的な一切の延命策動にもかかわらず、資本主義がアメリカを始め世界で大崩壊の過程に入り、「資本主義の終わりの始まり」が明白になったことは、「資本主義の枠内での民主的改革」なる日本共産党の綱領的路線が破産したことを意味している。
 にもかかわらず日共は、今日の大恐慌を大恐慌と認めず、「ルールある経済社会」を築けば、資本主義の繁栄は可能であるかのような宣伝を繰り広げ、「資本主義の墓掘り人」である労働者階級の闘いを抑えつけ、資本主義を守る防波堤の役を買って出たのだ。
 総選挙の中でも、「異常な財界・大企業中心の政治を根本からあらため、経済のあらゆる分野で、国民のくらしと権利をまもるルールをつくる道にすすむべきです」などと言って、資本主義の枠内で解決可能かのように宣伝しているのだ。
 また、「財界・大企業いいなり政治の根を断ち切る」と言いながら、同時に「大企業は敵ではない」「大企業の健全な発展を」と言っている。
 資本主義の崩壊的危機の中で、労働者階級にあくまでそのルール(秩序ということだ)のもとに従えと強要しているのだ。何という「共産党」か!

 オバマ演説の礼賛が「売り」

 第二は、この5月以来のオバマ礼賛である。日共は「核のない世界」をうたうオバマ米大統領の4・5プラハ演説を称賛し、オバマに書簡を送ったこと、それに米政府から返書が届いたことを最大の「売り」にして、今回の選挙戦に臨んだ。
 オバマ演説が「核兵器のない世界」に向かっての「世界の歴史の劇的な変化への大きな一歩」と言えるのか。
 今日の大恐慌情勢を見よ、オバマによるアフガニスタン侵略戦争の拡大を見よ、オバマ演説自体が「核兵器拡散への断固たる対応」と言って米帝による核独占を維持することを宣言していることを直視せよ、ということである。
 日共はオバマ演説を美化し、勝手にさまざまな意義付与をして持ち上げたが、これは、アメリカが帝国主義国であり、オバマが帝国主義の頭目であって、それを根本から打倒することなしに核戦争の危機も、核兵器の脅威も取り除くことはできないという階級的真理を覆い隠すものだ。
 何よりも、オバマ演説には、全世界の労働者階級人民の反戦・反核闘争を解体・圧殺する目的が込められている。日共は、この策動にさおさし、闘いの破壊に手を貸しているのだ。
 大恐慌は、大失業と戦争を不可避とする。その動きは次々に現れている。ところが日共は、この現実を覆い隠し、「世界の前向きの変化」と称して、あたかも平和な世界が訪れつつあるかのような宣伝をしている。
 資本主義の総破産を認めず、帝国主義戦争の不可避性を認めず、平和の幻想をあおった上で、麻生・自公政権がオバマに続かないと言って「批判」する。日共は帝国主義の代弁者に成り下がった。

 議会主義路線の行き詰まりと一層の転落

 第三は、「建設的野党」を掲げて、民主党・連合政権に対する協力を表明したことである。
 日本共産党は、この世界大恐慌下、昨年来の『蟹工船』ブームや、「派遣切り」の攻撃に対する青年の怒りが広がる中で、党勢を拡大していると盛んに宣伝していた。あたかも、青年学生の怒りを一手に吸収して「日本共産党が脚光を浴びる」時代が来たかのように言ってきた。
 だが、現実は、自民党に対する広範な怒りにもかかわらず、日共への票は伸びず、長期低迷の惨状をさらした。
 最近5回の総選挙で日共の議席数は減り続けている。衆議院は、96年総選挙で26人、00年20人、03年9人、05年9人、09年9人。参議院は、3年ごとに半数改選だが、その改選議席を見ると、98年15人から01年5人に激減、04年4人、07年3人となっている。ついでに都議会議員は、97年26人、01年15人、05年13人、そして今年の都議選で8人に転落した。12年前から3分の1以下の没落だ。
 志位和夫が日共委員長になったのは2001年の第22回大会からだが、それ以後、衆院選でも、参院選でも、さらに都議会議員選挙でも、ずっと後退し続けている。
 96年総選挙で26議席、98年の参院選で15議席を獲得し、得票率も13〜15%を記録し、当時の委員長不破哲三は政権入りが可能なのではないかと幻想し、「よりまし政権に加わる用意がある」と態度表明した。当時の民主党を中心とした政権に入ることを宣言した。
 それは、①安保・自衛隊の承認、②天皇制の容認=承認、③「日の丸・君が代」の法制化の提起=承認、④「資本主義の枠内の改革」を事実上綱領の中心に据えることの宣言、⑤総じて、安保堅持派の野党諸党の連立政権に参加することの宣言など、決定的な転向の宣言だった。
 この路線のもとに21世紀に突入した日本共産党は、志位新体制のもとで、その議会主義路線の行き詰まりに突き当たっている。しかし、問題は日共指導部が、次々と帝国主義に屈服する以外に延命の道を見出し得ないことである。
 彼らは2004年1月の第23回大会で党綱領の全面改定を行い、綱領から階級的な要素を一掃した。これまでの「労働者階級の前衛政党」という規定を「日本国民の党」に変えた。階級的立場を完全放棄し、階級融和を積極的に進めることを綱領的に明記したのだ。逆に言えば、階級的原則を守って闘い抜くものは排除するということだ。

 総選挙方針を転換して臨む

 7月都議選では、日共は「民主党は自民党と同じ」「都議会オール与党体制」と叫び、共産党の「唯一野党」性を押し出した。その結果、日共は13議席から8議席へと大惨敗を喫した。都議選は単に都政レベルの選択ではなく、自民党政治に対する労働者人民の怒りがたたきつけられる国政級の選挙だったが、日共はそれをまったく読めなかった。
 この手痛い敗北から、日共は総選挙政策の手直しを行った。それがこれまでの「たしかな野党」というスローガンから「建設的野党」への転換である。
 日共が都議選でのように「民主党は自民党と同じだ」と言っているだけでは、もっと惨めな敗北を繰り返すことになる、として「自公政権を終わらせる“審判”をくだすために日本共産党は全力をあげます」ということを前面に押し出す方向にかじを大きく切ったのである。
 「こんどの総選挙で、民主党中心の政権ができる可能性が大きいことは事実です」として、「民主党中心の政権がつくられた際には、日本共産党は、建設的野党としての立場を堅持し、国民の利益にてらして、『よいものには賛成、悪いものにはきっぱりと反対』という態度でのぞみます」(マニフェスト)と表明したのだ。
 そしてこの「建設的野党」を掲げることで、民主党に票が流出することを防ごうとしたわけだ。日共は、これまで300選挙区ほぼすべてに候補を立てて選挙をやってきた。しかし、00年以来小選挙区では1人の当選者も出していない。そこで今回は約半数の選挙区で立候補を見送った。日共はいわば小選挙区を投げることで「比例選挙に全力」という布陣で臨んだのである。
 日共は今回の選挙結果を「善戦・健闘」と総括し、これから「建設的野党」として、「現実政治を前に動かし、国民要求を実現する仕事」をやっていくと言っている。しかし、日帝のおかれている体制的危機は、平和的・整合的に解決されていくものではまったくない。むしろ日々危機を深め、それに対して民主党・連合政権は労働者階級に犠牲を押しつける方向で凶暴化することは明白である。「国益」を振りかざして、ブルジョアジーの利益を貫徹する政権である。
 日共の言う「建設的野党」とは、民主党・連合政権に「是々非々で臨む」としつつ、ブルジョアジーの危機を救済する役割を果たすものだ。
 日共の本性は、裁判員制度、国鉄決戦、三里塚闘争、法政大学闘争の四つを見れば鮮明だ。どこでも、日共はバリケードの向こう側だ。日共の支配を職場、学園から打ち破る度合いに応じて、闘いは前進する。
 日共反革命を打倒し、10・11三里塚から11・1全国労働者集会に向かって突進しよう。
 (高田隆志)