2009年9月28日

福島清一同志を追悼する 革共同東京中部地区委員会

週刊『前進』06頁(2409号6面4)(2009/09/28)

福島清一同志を追悼する
 郵政民営化絶対反対貫き強靱な地区党建設を誓う
 革共同東京中部地区委員会

 8月26日、わが全逓労働者・福島清一同志が亡くなりました。肺ガン発病から闘病2年半。享年55歳でした。東京中部地区委員会は福島同志に哀悼の意をささげ、志半ばで倒れた彼の遺志を引き継ぐ強靭な地区党建設をここに誓うものです。
 福島同志は、1972年高校卒業と同時に東京中央郵便局に入局し、74年9月に日比谷公園を11万人の労働者・部落民が埋めた狭山闘争の過程で革共同に結集しました。
 福島同志にとって、同じ東京中郵・高橋範行同志の反革命カクマルによる虐殺(74年9月10日、享年25歳)は大きな衝撃でした。彼は反革命カクマルによる高橋同志や橋本秀次郎同志の虐殺に怒りをたぎらせ、持ち前の反発力と不屈の精神で二重対峙・対カクマル戦争の先頭で闘いました。
 二重対峙・対カクマル戦は、とりわけ全逓労働者が党の様々な任務を担い勝利を切り開いたのです。福島同志は、東京中郵という対カクマル戦の最も激烈な職場で、党と労働者階級の未来のために奮闘してきました。
 福島同志は入局以来、第3普通郵便課の分会長をはじめ常に現場の責任を担い、全逓労働運動の先頭に立ってきました。75年の歴史的な東京中郵ストライキを皮切りに、78年越年物ダメ・ストを闘い、これに対する4・28不当処分と全逓中央の裏切り・敵対を粉砕して闘いぬき、ついに07年免職処分撤回の勝利を切り開いたのです。
 三里塚闘争や狭山闘争の現場には、必ず福島同志の姿がありました。何よりも動労千葉との固い絆のもと、ジェット燃料貨車輸送阻止の闘い、さらに国鉄分割・民営化との闘いの現場にも必ず福島同志の姿がありました。動労千葉の御宿選挙闘争には、必ず年休を取って彼の生まれ故郷である御宿町に帰って勝利のために闘いました。
 そして郵政民営化の攻撃に対して先頭で決起したのも福島同志です。2004年に導入された過酷な深夜勤労働が福島同志の身体をむしばんだ原因にもなったことを思うと、郵政当局・民営化攻撃への怒りがあらためてこみ上げます。毎年11月労働者集会には、職場の仲間を引き連れた福島同志がいました。闘病中も「今年の11月集会にはなんとしても参加する」というのが口癖でした。
 地区党の先頭で闘ったのも福島同志です。89年の中部労組交流センター立ち上げの時に、代表を引き受け今日まで地区交流センター運動を引っ張ってきました。彼は細胞の団結を最も重視し、会議・機関紙・財政の党の三原則で細胞が団結することを自ら厳しく貫きました。また塩川一派の分裂・脱落過程では、全国労組交流センター全逓労働者部会の代表として闘い、階級的労働運動路線を堅持しました。
 今日、福島同志の闘いを引き継いだ全国の仲間の郵政民営化絶対反対・JPEX子会社化粉砕の闘いがJPEX10月スタートを粉砕しました。銀座局をはじめ彼の闘いを引き継いだ全国の同志の闘いが、福島同志にとって何よりの喜びだったと思います。
 東京中部地区委員会は、福島同志の遺志を引き継ぎ地区党建設の前進を実現し、地域に革共同の拠点職場を必ず打ち立てます。11・1労働者集会1万人結集を必ず実現します。
●福島清一同志略歴
 1954年千葉県御宿町に生まれる/72年東京中郵郵便課に入局。第3普通郵便課分会長などを歴任/74年マル青労同に結集/84年革共同に結集/96年東京中部労組交流センター代表就任/01年人事交流で新東京郵便局に強制配転/04年全国労組交流センター・全逓労働者部会代表に就任/07年6月肺ガンを発病、闘病生活へ/09年8月26日永眠。享年55歳。