2010年2月 1日

JR西・米子支社を徹底弾劾 伯備線事故4年

週刊『前進』08頁(2425号2面5)(2010/02/01)

JR西・米子支社を徹底弾劾
 伯備線事故4年 集会と街宣

 1月23日、JR米子駅前に50人近い労働者の怒りのシュプレヒコールが響き渡った。3人の保線労働者が列車にはねられ死亡した2006年1月24日の伯備線事故から4年、米子・山陰、岡山、広島、関西の闘う労働者・学生はJR西日本・米子支社を徹底弾劾する行動に立った。
 事故当日を思わせるみぞれが降る中で、闘いの熱気は冷たい雨雪を吹き飛ばした。正午から米子駅前で街頭リレートークが行われ、2・13集会の賛同署名が1時間で30筆以上集まった。さらに、横断幕を押し立てて米子支社の入口前まで肉薄し、シュプレヒコールをたたきつけた。

 “国鉄闘争こそ社会変革の闘い”

 参加者はその後、米子コンベンションセンターで集会を開催した。動労西日本の組合員が司会を務め、国労共闘米子の労働者が基調を提起した。国労5・27臨大闘争弾圧被告の東元さん、小泉伸さんがユーモアあふれる特別報告。動労西日本の山田和広副委員長は、不当処分撤回の労働委員会闘争を開始したとアピールした。
 社保庁解雇撤回闘争を闘う平口雅明さんや、大阪から駆けつけた八尾北医療センター労組の労働者、広島大学の学生が、新自由主義と民営化・労組破壊に対して断固闘おうと訴えた。
 さらに、60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争を闘った山陰の闘士が、日本共産党=スターリン主義の腐敗と堕落、反労働者性を徹底的に暴露・弾劾した上で、「労働者は救済の対象では断じてない。解放の主体だ。ここに闘いの軸を置かないでどうして勝てるのか」と熱い思いを語った。
 国労共闘米子の決意表明に続き、動労西日本の大江照己委員長が集会をまとめ、「格差と貧困の現状は、国鉄分割・民営化から始まり今や社会を覆い尽くしている。労働者は闘わないと生きられない。闘いの基軸に座るのは国鉄労働運動だ。それは社会を変える革命運動だ。私たちが呼びかける2・13集会に大結集を」と熱く訴えた。
 事故からちょうど4年目の翌24日、山陰の闘う労働者は、JR西労組のペテン的な「安全の集い」に集まる労働者に対し、2・13集会への結集を訴えるタブロイド判チラシを配布した。

 すべての責任はJR西にある

 伯備線事故の責任の一切は、「稼ぐ」という経営方針のもと、保線業務の合理化による極限的な人員削減の中で、悪天候にもかかわらず工事を強行したJR西日本にある。この事故では、JR本体の労働者3人が殺された。JR西日本は事故当日、線路閉鎖の措置もとらず、列車を走らせたまま、その間を縫って保線作業を行わせた。「定時運行」が一切に優先され、安全は片隅に追いやられていた。すさまじい合理化の結果、線路の両方向に見張りを立てることもできない作業体制が強制され、労働者は、見張りのいない方向から時速100㌔のスピードで進行してきた特急列車にひかれたのだ。
 だがJR西日本は、すべての責任を当時24歳だった現場の労働者に押しつけて、卑劣な生き残りを図っている。絶対に許せない。
 1・23米子闘争は、このJR体制打倒を掲げて闘い抜かれた。闘う労働組合を復権させることこそが勝利の鍵だ。
 2・1〜2の48時間ストへ突き進む動労千葉と連帯し、動労千葉のような団結をつくり出そうと、山陰労組交流センターや百万人署名運動山陰連絡会はこの間、職場ビラまきを始めとした闘いに決起してきた。その軸に国労共闘米子ががっちりと座り、闘う労働者のかつてない団結がつくり出されたのだ。
 (投稿/O・T)