2010年2月 1日

検修外注化とは安全解体だ 反合・運転保安闘争で反撃を

週刊『前進』08頁(2425号3面3)(2010/02/01)

検修外注化とは安全解体だ
 反合・運転保安闘争で反撃を

 動労千葉は「検修外注化阻止、ライフサイクル制度撤廃、反合理化・運転保安確立」を掲げて2月1日早朝から第1波48時間全面ストライキに立つ。動労千葉の渾身(こんしん)の決起に続こう! この攻防は、民主党・連合政権との一大激突に突入した国鉄1047名解雇撤回闘争と一体の闘いだ。2・13全国労働者総決起集会に結集し、検修・構内外注化の「4月1日実施」を絶対に阻止しよう。とりわけ平成採の労働者のみなさん、今こそJR東労組と決別し、動労千葉—動労総連合に総結集しともに闘おう!

 NTT・日航の合理化上回る大攻撃うち砕け

 ただただ利潤追求のために安全も何もかも放り投げ、労働者を将棋の駒のように強制配転し、あげくの果てに出向・転籍にまで追いやるJRのやり方が許せるか! 動労千葉の組合員は、津田沼支部の滝厚弘運転士の津田沼駅へのライフサイクル配転、そして幕張支部の小沢勇副支部長の強制配転に対し、心底からの怒りを爆発させて総決起している。職場からの徹底抗戦に闘いの軸を据え、丸投げ外注化の問題点をえぐり出し、矛盾点・破綻点を次々と突きつけて当局を追い詰めている。
 この検修外注化阻止の闘いは、国鉄1047名解雇撤回闘争と表裏一体の階級決戦そのものだ。金もうけのために鉄道事業の根幹を放り出し、丸投げ的に外注化・分社化を強行するJR東日本の攻撃は、1987年の国鉄7分割の比ではない。鉄道事業をバラバラに解体し、数百社もの下請け・孫請け会社に丸投げする究極の大合理化だ。鉄道は、車両・線路・信号・電気などの設備が混然一体となって構成されるひとつの巨大システムだ。こんな攻撃を許せば職場の団結はバラバラにされ、安全は根底から破壊される。
 検修外注化阻止の闘いは、2000年に始まった「第2の分割・民営化」攻撃との闘いの本番中の本番だ。そして、重大な決戦局面を迎えた1047名闘争とともに、二十数年にわたる国鉄分割・民営化反対闘争の決着をかけた決戦だ。
 87年国鉄分割・民営化以降、官民を問わず、あらゆる職場で洪水のような外注化、非正規職化、分社化・子会社化の攻撃が吹き荒れた。新自由主義の典型的な攻撃だ。
 腐った労働組合の幹部どもは、この攻撃の手先に成り果て、膨大な労働者を非正規職に突き落としてきた。人件費削減のために熟練労働者が職場から追われ、技術継承や安全原則が投げ捨てられてきた。
 NTTでは、85年の民営化時に31万4千人いた職員のうち、NTT本体に残ったのは03年の時点で3万6千人(11%)に過ぎない。全体で11万人もの人員削減が強行され、17万人の労働者が347社もの子会社・孫会社に転籍させられた。この攻撃の過程をとおしてNTT資本は、膨大な非正規職を生み出し、労働条件切り下げと労働強化を進め、NTT労組を徹底的に当局翼賛の組合に変質させてきた。
 日本航空も、持ち株会社「日本航空」のもとに徹底した分社化・子会社化、機体整備の外部委託を進めてきた。06年度の機体整備海外委託率は約68%にまでなった。民主党・連合政権は、帝間争闘戦に勝ち抜くために日本航空に対してさらに徹底したリストラを求めたが、それが逆に日航への信用を最後的に失墜させ今回の経営破綻にまで行き着いた。こうした合理化の上に、さらに1万5700人もの解雇を強行したら、安全の根底的崩壊をもたらし、第2の”御巣鷹山事故(85年、死者520人)”に直結することは明らかだ。日航の各労組は、この攻撃になすすべもなく屈服し、労働者を資本に差し出している。
 JR東日本は、鉄道業務の全面外注化で日航と同じことをやろうとしているのだ。動労千葉は85〜86年の2波のストライキで「国鉄分割・民営化阻止!」とともに「運転保安確立—国鉄を第2の日航にするな!」のスローガンを掲げて立ち上がった。これとまったく同じ闘いが今、より死活的に問われているのだ。
 JR東日本の外注化攻撃は、労働組合の抵抗が一切ないことを前提にしてしか成り立たない。資本の先兵となった東労組カクマルを打倒し、断固として反撃に立てば、絶対に勝てる。第2、第3の尼崎事故を絶対に許してはならない! 青年労働者を先頭に、今こそ立ち上がろう!

 事故の責任押しつける資本への怒り解き放ち

 安全崩壊や事故問題は、資本の合理化攻撃が生み出す決定的な破綻点だ。しかし、この問題に対して労働組合が真正面から闘うことは容易なことではない。
 05年4月の尼崎事故を引き起こしたJR西日本経営陣は、自らは事故調査委員会の報告書の改ざんを企て、事故原因の隠ぺいに奔走する一方で、尼崎事故すら労働者支配の道具として使ってきた。全社員を事故現場に立たせ、「乗客への懺悔(ざんげ)」を繰り返させることで、「会社あっての労働者」というイデオロギーのもとに縛り付けているのだ。それは、日勤教育による恫喝的な労務支配の継続だ。そして、あらゆる体制内労働組合が、この攻撃に屈服してきた。
 こうした攻撃を打ち破ったのが、動労千葉の1972年船橋事故闘争だった。
 動労千葉がこだわったのは安全一般ではない。労働者にとっての安全だ。さらに言えば、労働者が起こす事故の問題、労働者への事故責任転嫁の問題だ。
 船橋事故は、死者こそ出なかったものの重軽傷者758人という大事故だった。事故の直接の原因は、無理に無理を重ねた過密ダイヤの中、停電のために信号機の表示が消えたことにあった。当時、国鉄当局は、過密ダイヤを維持するため、「信号が赤でもATS(自動列車停止装置)のスイッチを切ってゆっくり進め」と運転士に指示してさえいた。こうした当局のやり方が事故を引き起こしたにもかかわらず、高石運転士はその場で逮捕され、マスコミをあげた「たるみ運転士」というすさまじいキャンペーンが吹き荒れた。こうした現実は、今のJRにおいても何ひとつ変わってない。
 現場労働者はいつも事故の危険にさらされ、当時、船橋事故を知った誰もが「明日はわが身」という切実な思いでいた。いくら職場や危険個所の改善要求を組合が出しても放置しておいて、いざ事故が起きたら”運転士が悪い”と言われて納得できるか!——こうした怒りが渦巻いていた。
 「高石運転士への事故責任転嫁を許すな!」というスローガンは、組合員の気持ちをがっちりととらえた。動労千葉は、組合員の怒りと団結に徹底的に依拠し、現場労働者の自己解放的決起をとことんまで引き出し、戦後労働運動の限界を突き破る地平をこじ開けた。

 労働者に屈服を強いる体制内労組幹部倒そう

 この動労千葉の反合・運転保安闘争路線は、産別の違いを越えて通用する普遍的教訓に満ちている。そして、戦後世界体制が崩壊し、階級対立がむき出しになった今こそ威力を発揮する路線だ。
 資本は、もうけのためなら平気で安全を無視し、労働者の生命を犠牲することもいとわない。労働者にとって合理化は常に、生命を脅かす事故に直結する。
 民同・協会派・カクマル・日共も、かつて口先では「合理化反対」を唱えてきた。しかし、資本と労働者の非和解性の問題として反合闘争を位置づけることは絶対になかった。彼らはたえず「合理化と非和解的に闘い続けることなど不可能」「なんらかの歯止めをかける条件闘争を」という敗北主義をまき散らし、路線的屈服と変質を深めてきた。
 合理化は当局がかけてくる攻撃だから、実行されてしまえば闘争が終結するという難しさをはらんでいることは事実だ。民同が展開した反合闘争では、絶えず合理化に伴う「安全投資」「教育訓練」などに議論が収れんされ、「闘争」は数字をめぐる「交渉」にすり替えられた。現場労働者の闘いは幹部のボス交を後押しする圧力手段におとしめられ、合理化攻撃のたびに団結が崩されてきた。
 しかも、こうした民同の対応は、いざ事故が起こった時には、「あれだけ投資したじゃないか」「教育もちゃんとしたのに」と、労働者にますます事故責任を転嫁していく当局の攻撃を引き出すものだったのだ。
 今や、こうした反革命党派、中間主義的勢力のすべてが、大恐慌と世界戦争の時代に突入する中で雪崩を打って総転向を遂げ、日帝ブルジョアジーの純然たる手先に転落して労働者階級に襲いかかっている。こんな屈辱的な現実を、なんとしても覆さなければならない。
 動労千葉は、資本・当局が生み出す破綻点である事故・安全問題をつかんで離さず、合理化絶対反対の持続的・永続的な闘いを切り開き、闘うたびに団結が強化される新たな反合闘争をつくり上げてきた。この闘いの路線のもとに、いよいよ全労働者を獲得すべき時代が来ているのだ。
 戦後労働運動の限界を突き破ってきたこの反合・運転保安闘争路線を武器に、検修外注化阻止—JR体制打倒の総反乱をまき起こそう!
 4大産別を始めとするあらゆる職場から、労働者の怒りを根底から解き放つ反合闘争を切り開こう。労働運動の階級的再生をかちとり、職場に細胞を建設し、現場労働者の手に労働組合を取り戻そう。決然と闘いに立てば、勝利できるのだ。
 国鉄1047名闘争と検修外注化阻止の闘いこそ、こうした怒りと闘いのすべてをひとつにまとめる結集軸だ。2・13全国労働者総決起集会を突破口に、国鉄分割・民営化以来の我慢ならない社会の現実を打ち破り、連合指導部を打倒し労働者の壮大な反乱の時代を切り開こう。
 (日高 隆)