2010年2月22日

東正策同志を追悼する 革共同宮城県委

週刊『前進』06頁(2428号6面3)(2010/02/22)

東正策同志を追悼する
 遺志継ぎプロレタリア革命勝利へ突き進もう
 革共同宮城県委員会

 革共同宮城県委員会のかけがえのない同志、革命家・東正策(ひがし・しょうさく)同志は、2010年1月5日午前11時29分、家族に見守られながら永眠した。享年46。10年、「国鉄決戦でプロレタリア革命に勝利しよう」と労働者階級の総反撃が始まったそのとき、革命の道半ばにして帰らぬ人となった。彼の無念、悔しさは言葉に表すことができない。われわれは、東同志の遺志を引き継ぎ、プロレタリア革命の勝利に向けて進撃することを誓う。
 東同志は昨年6月、体の痛みを訴え、検査の結果、すい臓がんであることがわかった。7月の革共同東北政治集会に際して自らの病を仲間に知らせ、以来、革命に勝利するまで生きて生きて生き抜くと決意し、壮絶な闘病生活に入った。入退院を繰り返し、病と闘いながら、一時も闘う仲間のことを忘れず、お見舞いに訪れた仲間を、どんなに苦しいときも笑顔で迎え、話をていねいに聞き、そして核心をついたアドバイスをし、同志を励ました。自分の体のことではなく、いつも仲間のことを心配し、革命勝利のために闘いぬいた。
 東同志は1963年12月、京都府木津町(現木津川市)で教育労働者の両親のもとに生まれた。83年、東北大学理学部に入学。同年にマル学同東北大支部に加盟し、革命勝利に人生をかけることを決意し、サークル協議会議長を担い、東北大自治会運動の前進のために奮闘した。東北大学日就寮に入寮し、寮自治運動の先頭に立った。また三里塚、沖縄など全国を駆け巡り、宮城の地では、全金本山闘争、女川原発阻止の闘いを闘いぬいた。85年、成田用水決戦で国家権力・機動隊に実力で立ち向かい不当逮捕され、完黙・非転向を貫き、三里塚・国鉄決戦の最先頭で闘った。
 92年、5月テーゼを貫徹するために労働運動に身を投じ、地域の仲間とともにみやぎ労働組合交流センターを結成し、動労千葉に続く階級的労働運動の不抜の拠点を築く闘いに突入した。東北春闘集会の事務局を担い、動労千葉物販を宮城県内のすみずみに広げるために駆け回った。物販でともに行動した全金本山の労働者は「初めて訪問して話を聞いてもらえなくても、何度も足を運び、労働者の信頼をていねいにつくっていった」と、東同志の誠実でひたむきな姿勢を語っている。
 2003年、マル青労同再建の闘いの先頭に立ち、青年労働者の話を聞き、学習会を積み重ね、青年労働者とともに革命に全人格を賭けた。党の革命のただなかで全国単一党の建設のために仁王立ちし、08年、革共同宮城県委員長に就任した。階級的労働運動路線を貫徹し、宮城県党を革命的労働者党として屹立(きつりつ)させる闘いの先頭に立った。「生きさせろ!ゼネスト」を切り開き、国鉄闘争を軸とする4大産別決戦の路線を貫いた。
 労働者を心の底から信頼し、愛し、不正義を憎み、正義を貫く革命家だった。また、早朝のビラまきから深夜に及ぶ討論を連日担いながら、党の革命を貫徹し、労働者自己解放の思想、マルクス主義を生きた闘いの武器として労働者階級の手に取り戻すために、日夜学習を欠かすことはなかった。闘う仲間に勇気を与え、信頼され、愛される革命のリーダーだった。
 09年11月集会には、酸素ボンベを抱えて参加し、「命ある限り可能性を信じて頑張ろう。また来年来てやるぞと思いました」と、全国の仲間と会えたことを心から喜んでいた。(写真)
 東同志、あなたの革命貫徹の思いは、ともに闘いぬいた私たちが貫徹し、実現する。10年、動労千葉のストライキ決起を号砲に、帝国主義を打倒する激しい闘いが始まっている。第2次国鉄決戦は巨万の労働者の決起で労働者階級の勝利を切り開く。労働者をとことん信頼し、青年労働者と全身全霊をかけて向き合って、厳しくほがらかに団結を固め突き進んだあなたの姿を、私たちが日々職場で体現し、プロレタリア革命の勝利を切り開く。世界革命の勝利をつかむ日まで、東同志、あなたはいつもともに闘い進撃する誇り高き同志だ。