2010年3月 1日

金属労働者のアピール 反合闘争を推進し産別に党細胞建設を

週刊『前進』08頁(2429号3面2)(2010/03/01)

金属労働者のアピール
 職場で反合闘争を推進し金属産別に党細胞建設を

 資本主義の擁護か労働者権力樹立か

 世界大恐慌は労働者階級に革命の問題を突きつけ、資本主義体制擁護か、労働者権力樹立かをあらゆる党派に迫っている。社民党や日本共産党を始めあらゆる党派が資本主義を支え、労働者を救済対象とし、プロレタリア革命を投げ捨てた。
 昨年8・30総選挙で、自民党政権はついに倒された。戦後の自民党支配は破綻し、ブルジョアジーは支配の危機に陥った。プロレタリア革命を阻止するために民主党・連合政権が誕生したが、労働者の反乱は止まらない。体制内労働組合がいくら職場を抑圧し民主党政権を支えようとも、労働者は闘いに立ち上がることを11月労働者集会は示した。新自由主義と対決する全世界の革命的労働者も、11月労働者集会に労働者階級の未来と展望を感じて合流を始めた。ここに「労働者階級は国境を持たない」というマルクス主義の真理を実感した。全世界の労働者階級は反帝国主義・反スターリン主義を求めていたのだ。
 80年代の国鉄分割・民営化とは新自由主義の最先端の攻撃であり、国鉄1047名闘争が新自由主義と全面対決する階級闘争であることをわれわれはつかみ、動労千葉型労働運動が世界の階級闘争のど真ん中にあることを確信した。われわれは、09年階級闘争において、国鉄・4大産別を先頭に、常に労働者階級の最先頭で闘い抜いて勝利をつかんだ。この勝利の地平から、2010年をわが金属労働者も闘い抜き、革命情勢をたぐり寄せる主体となるのだ。

 革命情勢は自らの職場にある

 2010年は、世界大恐慌がさらに進行し、プロレタリア世界革命が現実の課題になる。資本救済のあらゆる方策は、新たな、より大きな崩壊を招くのみだ。支配階級は、労働者をさらなる失業にたたき込み、賃下げ・リストラを強制してくる。今こそ資本主義社会に終止符を打ち、労働者権力を打ち立てる時だ。階級的労働運動の前進こそが時代を決するのだ。
 連合は10春闘について、資本の危機の前に早々と定期昇給確保・ベアゼロを打ち出している。これに呼応して日本経団連は、1月19日に出した経営労働政策委員会報告で、民主党政権の「子ども手当」の支給開始に伴い「家族手当の廃止」を打ち出し、定期昇給凍結=賃下げ方針を出した。そして、非正規雇用化と賃下げ攻撃はますます激しく進行している。
 労働者のリストラ・首切りを推進しているのが民主党政権であり、連合なのだ。連合を職場で打倒する闘いは民主党政権打倒に直結する。JR検修外注化阻止の決戦で労働者の総反乱を切り開こう。職場における11月集会派—階級的労働運動の前進、そして10春闘の階級的爆発がブルジョア権力打倒の闘いに転化するのだ。革命情勢は自分たちの職場にある。

 体制内労働運動の限界を打ち破れ

 世界恐慌で破綻した資本は、新自由主義を一層進めることでしか延命できない。そして、さらなる破綻を繰り返し、労働者を死に追いやる戦争にまで行き着くのだ。
 11月労働者集会を勝利に導いた国鉄1047名闘争は、階級闘争の最火点となった。われわれは09年決戦を、1047名闘争を柱に大失業と民営化、戦争と改憲攻撃を撃つ闘いとして闘った。そして1047名闘争こそが、大恐慌下で大失業攻撃と対決する階級的水路であることを実証したのだ。JR東日本における検修全面外注化をめぐる攻防は、この1047名闘争と表裏一体であり、これから各産別・職場で起きる攻撃の最先端だ。動労千葉がこれに対して反合理化・運転保安闘争で対決している意味は限りなく大きい。
 民間・金属産別では、合理化攻撃に対して階級的に反撃することがほとんどできてこなかった。「合理化問題には手を出すな」「合理化は阻止できない」ということが、総評を含めた旧来の労働運動で言い伝えられてきた。合理化とは、利潤を追求する資本の本質的攻撃であり、これに反対することは資本主義を否定することになる。戦後労働運動、すなわち体制内労働運動の限界性を示すのが合理化問題に対する態度であった。
 合理化絶対反対で階級的団結をかちとるためには、職場支配権を労働者が握り、資本と全面対決すること抜きにはありえない。かつて炭労・三池労組は「安全が確保されなければ就労しない」と安全闘争を闘い、職場支配権を打ち立てた。「総労働対総資本」と言われた1960年三池闘争で、資本は「経営権奪還」を掲げて総攻撃を仕掛けた。この階級決戦で、総評・協会派は敗北し、職場からの反合闘争を放棄して「政策転換闘争」に転じ、合理化容認に転落した。こうして職場支配権が奪われた結果、63年三池三川鉱での炭塵(たんじん)爆発で458人の死者を出す大事故が引き起こされた。国鉄における62年三河島事故や63年鶴見事故、そして2005年JR尼崎事故と同じである。
 労使協調路線の同盟はおろか、総評系の労組も合理化には無抵抗だった。せいぜい労使協議会で事前説明をやらせるか、合理化の緩和や交換条件をかちとるものでしかなかった。
 大手労組や体制内労組が合理化闘争に屈服・敗北する中、全金港合同・田中機械での倒産攻撃との闘い、全金本山の解雇・ロックアウト・別棟就労攻撃との闘い、ミツミ電機労組の組織破壊攻撃との闘いは、反合理化闘争として歴史的な闘争となった。全金本山は34年間の闘争の末に職場復帰をかちとった。金属労働者は、職場で体制内労働運動と対決しながら反合闘争を闘ってきたのだ。
 現在、連合は「生産性の向上で雇用を守る」「合理化を推進して企業を守る」と言っている。合理化問題は、資本主義のイデオロギーを含めて対決すべきものなのだ。
 72年船橋闘争を機に動労千葉は、「合理化は安全問題として現れる」「安全こそ合理化と闘う武器である」と反合・運転保安闘争を闘い、階級的団結をつくりあげてきた。資本主義の中においてさえ、誰も安全を否定できない。「安全を犠牲にしてもいい」とは資本も公然とは言えない。どこの工場でも「安全第一」の看板を外すことはできない。
 だが資本には「安全」は守れない。資本は、労働者をただの「モノ」と規定し、人間として考えていないからだ。「生産のために安全は邪魔だ」とは言えないから、資本は安全問題を「労働者の個人の問題」にする。資本の言う「安全」は企業の安全だ。
 連合は、安全問題を「労使でつくる職場の秩序」の問題としている。「事故を起こすと生産性が下がる」「労働災害が出る企業では補償負担が増えるため、賃上げ原資が減ってしまう」、だから「労災のない職場を」ということが平然と語られる。労働者の「命と健康」は二の次である。企業の安全衛生委員会での活動も、労働者の自覚や意識の問題にすり替えられている。「闘いなくして安全なし」のスローガンを労働組合自らが投げ捨てているのだ。
 動労千葉は、単なるスローガンとしてではなく、船橋闘争で絶対反対の具体的な反合闘争を闘い抜いた。その闘いは、国鉄分割・民営化という大合理化攻撃に対する反対闘争へと進んだ。「第2の分割・民営化」攻撃であるJR検修全面外注化との闘いは、大恐慌下で闘う労働者の広範な共感を生み出す。この攻防を突破口に、民主党・連合政権打倒の総決起が必ず生まれる。金属労働者はその闘いを全力で闘うのだ。安全問題を資本との反合闘争として闘おう。

 連合支配を打破し10春闘の最先頭に

 金属労働者の職場の闘いは、世界大恐慌の現実との闘いである。合理化や首切り、賃下げの現実はどの職場にもある。そして、民主党・連合政権との対決も職場にある。11月労働者集会で提起されたあらゆる課題が自らの職場にあるのだ。今こそ職場で機関紙・誌を拡大し、職場細胞を建設し、階級的労働運動をつくりあげることが必要なのだ。
 ある金属の職場では09春闘を、体制内労働運動を超えるための闘争として、細胞と地区党の団結で蜂起的に闘った。これまでの組合の歴史をのりこえる闘争として春闘ストライキが打ち抜かれた。だが、「ストライキの中に革命のヒドラ」を見た資本は、大反動攻撃に出てきた。職場を揺るがす合理化攻撃と革命派排除の攻撃が起きた。会社と体制内派の野合により一時的な敗北を喫したが、職場細胞の拡大と職場闘争の推進、労働者の組織化が不十分であることを総括し、過去のあり方から決別して、青年労働者が先頭に立って、職場細胞と地区党が共同で職場と地域の闘いを推進している。
 また、ある職場では解雇撤回闘争後の職場での闘いが課題となり、ストライキ闘争を契機に階級的労働運動の実践に入っている。まさに全職場で革共同政治局1・1アピールを実践することが必要なのだ。
 09年の職場での闘いの苦闘と前進が切り開いた地平に確信を持ち、職場にマル青労同、革共同を建設しよう。「革命への情熱は、何よりも組織建設への欲求として発現されなくてはならない」という意味を、観念ではなく実践の問題としてとらえ、「機関紙拡大×職場細胞建設×動労千葉型労働運動と労働組合建設」の通年的実践をやりぬこう。勝利の環は国鉄決戦である。
 金属労働者、とりわけ青年労働者はJR検修全面外注化を阻止する闘いの最先頭に出よう。それは職場の闘いでも同じだ。10春闘は資本の大合理化との対決になる。労働者を資本主義擁護の「連合春闘」に屈服させてはならない。10春闘で労働者が社会の主人公であること示そう。