2010年3月15日

労働者を愛し労働運動にかけた生涯 中野さんの遺志継ぎ労働者解放を誓う

週刊『前進』06頁(2431号2面1)(2010/03/15)

労働者を愛し労働運動にかけた生涯
 中野さんの遺志継ぎ労働者解放を誓う

 動労千葉の中野洋前委員長の通夜と告別式には、動労千葉の組合員やOBはもとより、11月全国労働者集会をともに闘ってきた全日建運輸連帯労組関生支部や全国金属機械労組港合同を始めとする広範な労働組合、さらに三里塚芝山連合空港反対同盟を始めとする闘う人民など全国各地から実に多くの人びとが参列した。固い国際連帯の絆(きずな)で結ばれた韓国・民主労総ソウル本部のイジェヨン指導委員、コジョンファン指導委員らも駆けつけた。あらためて日本階級闘争と戦後労働運動における中野さんの存在の大きさを実感させた。葬儀委員長を務めた田中康宏動労千葉委員長のあいさつ、三里塚反対同盟の北原鉱治事務局長と民主労総ソウル本部のコジョンファン指導委員の弔辞、会場で朗読された海外からの2通の弔電を紹介します。(編集局)

 葬儀委員長あいさつ 中野顧問の“見果てぬ夢”引き継ぎ 国鉄千葉動力車労働組合委員長 田中康宏さん

 本日は、お忙しい中を参列いただきましてまことにありがとうございます。故人は、自分の近くに人を集めて話をするのが何よりも大好きな人でしたので、今日は本当に喜んでいることと思います。
 実は4年少し前に胆管にガンが発見され、医者には手術もできないと言われました。「年内には起きられなくなるでしょう」というのがその時の医者のご意見でした。それから4〜5年間、私はそばで見ていましたが、本人は本当に頑張ったんです。
 中野顧問にはやりたいこと、やらなければいけないことが頭の中にはまだまだ山ほど詰まっていて、見果てぬ夢がいっぱいあったと思います。1959年国鉄入社ですからちょうど半世紀、労働運動にすべての人生を捧(ささ)げた人でした。労働者が大好きで、泣き、笑い、怒り、こういう一人ひとりの労働者が本当に大好きで「労働者が団結した時には何でもできるんだよ」と言い続けてきました。労働組合というのは本当に素晴らしいものなんだ、だから自分は一生これに人生のすべてをかけるんだ。これが彼の生き方でした。
 でも現実の労働組合はそうではないということに本当に烈火のごとく怒り、この現状を変えるために50年間、半世紀を費やしました。いわばその結晶が動労千葉です。
 ですから動労千葉は、中野顧問のあの人情深さ、人なつっこさが乗り移って、本当に人間くさい家族以上の団結をした労働組合になりました。僕は中野顧問が残してくれた動労千葉が、本当に他の何にも代えがたい宝石だと思ってずっとやってまいりました。
 本人は国鉄に就職してからちょうど半世紀、やれることをやり尽くしたと思っているんです。あと、彼の見果てぬ夢は、残された私たちが引き継ぐ決意でおります。
 まだまだ私は、本当に中野顧問の足元にも及びません。でも、中野顧問がやってきたことを一つも割り引かず、それに付け加えることもなく、同じことをやり続けたい。私たちが願っていることは、社会のすべてを動かしている労働者が胸を張り、一歩でも前に進み、明るい顔をすることです。それだけを目ざして顧問の遺志を引き継ぎたいと思っています。
 労働運動に本当にすべてを捧げた方ですから、ご家族には本当にご迷惑をかけながら組合員に尽くしてくれました。私からもお礼を申し上げたいと思います。
 本日は本当にありがとうございました。
あなたが心砕いた三里塚は勝利する

 弔辞 あなたが心砕いた三里塚は勝利する 三里塚芝山連合空港反対同盟事務局長 北原鉱治さん

 中野洋さん! あなたの突然の訃報(ふほう)に大変驚いています。「早すぎる! もっともっと長く生きてほしかった」というのが率直な気持ちです。本当に惜しい人物を亡くしたと残念な思いでいっぱいです。
 思えば、あなたとの出会いは三里塚闘争が始まった翌年の1967年でした。それ以来、動労千葉と空港反対同盟は「車の両輪」として固い絆のもとで今日まで闘い続けてきました。とりわけ、ジェット燃料貨車輸送阻止闘争のときには、当時の委員長であった関川さんと書記長であった中野さんの3人で深夜2時ごろまで闘争をめぐって真剣に語りあったことを鮮明に覚えています。「労働者には労働者としての闘いがある。労働者が職場を追われることは、農民が農地を奪われることと同じ。労働者の闘いと農民の闘いは一体のものだ」と、お互いの共闘関係を深めました。そして動労千葉の労働者のみなさんは鉄路を武器に、ストライキでジェット燃料貨車輸送阻止闘争に決起し、5名もの解雇処分攻撃を受けながらも三里塚闘争をわがものとして闘い抜かれました。この歴史的闘いを契機にして反対同盟と動労千葉との絆は切っても切れないものとなりました。
 しかしこの闘いに対して動労本部が「三里塚闘争との絶縁」を迫り、あらゆる妨害や破壊攻撃をかけてきましたが、これを断固としてはね返して動労千葉は本部からの分離・独立をかちとり、労農連帯を不動のものとして今日まで闘ってこられました。労働者の皆さんは「一人は万人のために、万人は一人のために」を実践して、仲間を絶対に見捨てない、裏切らない闘いを資本・国鉄当局と真っ向から対決して貫いて来られました。私たち反対同盟も国家権力と不屈・非妥協で「空港絶対反対・農地死守、実力闘争、一切の話し合い拒否」の闘いを44年にわたって貫き、今なお国策を阻み続けて、敵を追いつめています。
 あなたが先頭に立って牽引(けんいん)してきた動労千葉の闘いは、いまや韓国、アメリカ、ブラジル、ドイツなど国際連帯の拡大を切り開くに至っています。世界の労働者人民と連帯して社会を変えようという、あなたが目指した闘いは大きく発展しつつあります。
 看護にあたった動労千葉の同志から、意識が行きつ戻りつする中で、中野さんは北原の名を呼んでいたとお聞きしました。最期まで三里塚の勝利のために心を砕いて下さったことに、身の震えを抑えることができません。
 洋さん、本当に長い間頑張ってこられました。あなたが切り開いた足跡は決して消えることはありません。三里塚はあなたの遺志にこたえ必ず勝利します。そしてそれは必ずや多くの若い青年労働者に引き継がれるでしょう。どうか安らかに眠って下さい。
国家越え“労働者
はひとつ”を実践

 国家越え“労働者はひとつ”を実践 韓国・民主労総ソウル地域本部指導委員 コジョンファンさん

 中野同志!
 あなたとは7年前に民主労総ソウル本部で初めてお会いしましたね。私たちは互いに言葉は通じなかったものの、労働者だというその一点で連帯を始めました。
 誰も手を付けようとしなかった国家を越えて労働者は一つだということを実践しようとしたのはまさにあなたでした。あなたが踏み出されたその1歩を、韓国民主労総ソウル本部の労働者が2歩、3歩とさらに前に進めるために努力します。
 あなたの献身的な労働運動と理念、実践と闘い。私たちはそのすべてを尊敬します。そして大切にします。
 生涯を労働者のために生き、そして逝かれたあなたを私たちは絶対に忘れません。また忘れることもできません。
 あなたが恋しくなった時、あなたの歩んでこられた道が無駄にならぬよう、韓日労働者の連帯をさらに打ち固めるよう努力します。
 中野同志よ! 安らかにお眠り下さい。あなたの大志は常に私たちの胸の中にあります。ご心配なさらずに安らかにほほ笑んで下さい。
 この世で成し遂げられなかった労働解放。あの世の労働者解放の世の中で、あなたの大志をとどろかせて生きて下さるようお願いします。
 同志よ! 私は悲しい。しかし立ち上がります。