2010年3月15日

全学連訪米団バークレー校ストを共に闘う カ州100万教育ゼネストと合流

週刊『前進』06頁(2431号4面1)(2010/03/15)

全学連訪米団 バークレー校ストを共に闘う
 “教育費削減と民営化を許さない”
 カ州100万教育ゼネストと合流

 3月4日、米カリフォルニア大学バークレー校で教育の民営化に反対する全学的大ストが敢行され、全学連訪米団6人がともに決起した。このストを中軸に全州で100万人がゼネストに合流。州の財政破綻と教育予算の大幅削減、教育労働者の大量解雇、学費の超大幅値上げ、公教育の破壊と民営化に対する、学生と労働者の怒りの総決起となった。全学連とアメリカ学生運動とのこの歴史的な合流は、世界の階級闘争の歴史的な転換点となった。(次号以降に続報)
 早朝7時半より「セイザー・ゲート」と呼ばれる正門にピケットラインが張られた。全学連も前日にバークレーの学生たちと作った「団結」横断幕を掲げてスクラムを組んだ。ハンドマイクでのコールが始まった。
 「削減も値上げも反対! 教育を無償に!」
 1964年、この同じ場所、セイザー・ゲートとスプラウル・ホール前の広場に学生が大挙結集し、フリースピーチ運動(政治活動禁止への抗議)が大爆発した。バークレーはその反権力と自由の気風に満ちた大学ゆえに、その後、新自由主義攻撃の発端を作ったレーガンによる学生運動つぶしの標的となった。
 ストに参加した学生にマスコミのカメラやマイクが向けられる。コールが続く中で気温も上がり、数十人のピケットが百人、数百人と増え、色とりどりの旗、幕、プラカードが密集し熱気が高まる。大学職員の組合も参加し、高校生たちも駆けつけた。時おりピケットを越えて通ろうとする者がいると、学生たちは総出で説得してピケットを守った。法大闘争で鍛えた日本の訪米団も全力でコールを唱和し、ともにピケを守りぬいた。
 正午、広場の熱気は最高潮に高まり、満を持して学生たちはキャンパスから飛び出した。大学前の目抜き通り・テレグラフアベニューの十字路に大スピーカーを搭載したトラックを停め、大集会が始まった。学生・労働者が教育破壊攻撃に満身の怒りをアピールした。
 午後1時、テレグラフ通りを大デモ行進。オークランドまで6マイル(8㌔)の長大コースを速いペースで進んだ。広い道路がデモで完全に占拠され、奔流が流れ出したようだ。沿道の人びとが笑顔でエールを送り、デモに合流した。子どもたちも多い。色鮮やかな横断幕の全学連に多くの人びとが話しかけた。
 到着地点のオークランドのオガワ・プラザで3千人規模の大集会が開かれた。高揚したアピールが続くなかで「日本から来たゼンガクレン」が紹介された。全員が登壇し、法大生・洞口朋子さんが元気いっぱいのアピールを行い、全学連書記長代行の松室しをりさんが通訳した。「法政大学では4年間で118人の学生が逮捕された」と報告すると怒りのブーイングが起きた。「私たちの敵は一つ、大学資本と資本主義だ。ともに教育の民営化と闘おう」と叫んだ。
 最後に洞口さんが英語で「大学は誰のものか」と叫び、全会場が割れるような声量で「われわれのものだ!」と応じた。
 「誰の社会か」「われわれの社会だ!」「誰の世界か」「われわれの世界だ!」「誰の未来か」「われわれの未来だ!」
 夕方から全学連は、サンフランシスコのシビックセンター前で1万人集会に参加した。バークレーのブランカ・ミッセさんは赤い団結はちまきで登壇し、全学連との海を越えた連帯を力強くアピールした。
 カリフォルニアは、元大統領レーガンが州知事時代に新自由主義の原型を作った中心地である。この地で100万人が民営化反対のストに決起、組織化の中軸となったバークレー校で、全学連がアメリカ学生運動指導部と団結を固め、21世紀の不抜の国際連帯を切り開いた。まさに法大闘争4年間の死闘がたぐり寄せた歴史的地平である。