2010年4月 5日

第2次再審勝利へ 「三里塚の役割大きい」と星野さん 千葉「取り戻す会」三里塚現闘 岸本豊和

週刊『前進』08頁(2434号8面4)(2010/04/05)

第2次再審勝利へ
 千葉「取り戻す会」が面会
 「三里塚の役割大きい」と星野さん 真実は必ず通じると決意を新たに
 千葉「取り戻す会」 三里塚現闘 岸本豊和

 星野暁子さん、千葉・取り戻す会の方と私の3人で3月9日、徳島に向かいました。午前11時半ころ徳島空港に到着すると地元徳島の会の仲間が迎えに来ていました。雨と風が強く気温は4度。大変寒い日でした。

 星野さん笑顔で

 受付を済ませ面会番号18番が呼ばれるまでの間に差し入れをしました。私は2種類の便箋(びんせん)、千葉の方は記念切手(多数)を入れました。星野暁子さんは絵の宅下げを受けました。
 面会室で座っていると星野同志が満面のニコニコ顔で入って来ました。すぐに暁子さんが2人を紹介してくれました。星野同志は暁子さんから送られた写真で「お顔はよく知っています」と千葉の方に話しかけました。
 私が「三里塚現闘の岸本です」とあいさつすると暁子さんが「沖縄出身なの」と紹介してくれました。反対同盟の北原鉱治事務局長や現闘同志のコメントを伝えると、星野同志は、北原さんや現闘の岸上さんとの面会の印象を楽しそうに話しました。それから「三里塚、国鉄、沖縄、法大、いずれも重要な闘いになった。世界の階級情勢がどの闘いも決戦化させているし、どの闘いも負けられない。三里塚現闘も頑張ってください」と語りました。
 昨年、千葉の地でも「取り戻す会」を立ち上げたことを報告しました。6人の事務局体制を伝えると、星野同志は一人ひとり確認し「動労千葉の滝口さんは以前、1970年だったかな、千葉駅で一緒に逮捕されたのでよく知っています」とのことでした。

 人民の司令塔に

 立ち会いの刑務官が「再審の話をするように」と言うので私から『第2次再審請求書パンフ』の感想を述べました。「星野同志の無実・無罪が完璧(かんぺき)に証明されています。私自身、確信を持ちました。このパンフをどのように生かすかは獄外の私たちの任務だと思っています」と伝えました。
 これに対して星野同志は「階級的労働運動の重要性は、革命運動の基軸が労働者階級である以上、間違いない。それと同時に各階層人民の獲得も重要だ。三里塚闘争の果たす役割は今まで以上に大切にすべきで、各階層人民に与える影響力は非常に大きいと思う。三里塚反対同盟が農民や各階層人民の司令塔になるよう期待している」と答えました。私は「了解しました。肝に銘じます」と答えました。
 さらに『再審パンフ』の内容の話が続きました。星野同志は「デモ隊の3分の2が労働者、3分の1が学生だった。権力の捜査は労働者に向けられたが完黙で破産した。それで検察官主導で学生たちを逮捕し検察官のストーリーに沿って自白を強要していった。これは冤罪であり断罪されるべき犯罪だ」と訴えました。

 アクリル越しに

 話しながら星野同志が頻繁に暁子さんの顔を見るので、千葉の方が「良い夫婦だなぁ。もっと近くに寄れればいいのに」と感想をもらしました。
 暁子さんは、闘争当日に星野同志が持っていた鉄パイプに関して、検察官が持っている写真とネガの開示を求めていくと伝えました。
 最後に千葉の方が「真実は必ず通じるし、明らかになる。そのために頑張りましょう」と激励の声をかけました。3人はアクリル板越しに星野同志と手を合わせ、決意を固め直して別れました。
 その後、降り続く雨の中、徳島駅前で街宣をやり抜きました。徳島の会の方たちには本当にお世話になりました。
 星野同志と面会して、彼は無実・無罪への確信を持っていると実感しました。星野同志を取り戻すためにもっともっと頑張らなくてはと思いながら徳島を後にしました。