2010年5月 3日

4・25尼崎 事故弾劾480人がデモ

週刊『前進』10頁(2438号2面4)(2010/05/03)

4・25尼崎
 事故弾劾480人がデモ
 安全を解体したJRに怒り

 尼崎事故から5年目の4月25日、尼崎現地で事故弾劾の集会と事故現場までのデモが闘われ、480人の労働者・学生が結集した。この闘いは、4月25日を「静寂な慰霊の日」からJR資本弾劾の「怒りの日」へと塗り替えた。また、国労臨時大会を翌日に控え、1047名解雇撤回をあくまで貫く大決戦への出撃の場になった。
 さらに、この闘いは米軍基地撤去を求める沖縄県民集会10万人決起と連帯し、民主党・連合政権打倒へ進撃するものとしてかちとられた。
 JR西日本の歴代社長は起訴されJR体制は破産をさらけ出している。だが、JR資本を真に裁くことができるのは現場労働者の怒りの決起だ。

 国労臨大を前に解雇撤回の決意

 尼崎事故は国鉄分割・民営化によって引き起こされた。その国鉄分割・民営化を全面承認し、「国鉄改革完遂」の先兵になれと迫るのが、政府の「1047名問題解決案」だ。集会では、「解決案」と、それを受諾した国労本部への怒りが渦巻いた。
 呼びかけ人を代表してあいさつした動労千葉の長田敏之書記長は、JR東日本の検修全面外注化4月実施を阻止した勝利の大きさを強調し、1047名闘争解体攻撃に抗して新たな国鉄闘争をつくり上げると宣言した。
 国労5・27臨大闘争弾圧被告団の富田益行団長が基調報告を行った。富田さんは、尼崎事故を引き起こしたJR西日本を徹底的に弾劾、また翌日の国労臨大への総決起を宣言して、「和解案」とその受け入れを強行する国労本部を全面的に批判した。そして、動労千葉の反合理化・運転保安闘争の到達地平を総括し、沖縄や青年労働者の怒りと結びついて職場生産点からの反合・安全闘争を貫けば民営化・道州制阻止闘争に勝利できると確信に満ちて言い切った。
 満場の拍手を浴びて国労闘争団と動労千葉争議団が発言に立った。和解絶対反対を貫く国労闘争団員は、国労本部を激しく弾劾、解雇撤回まで闘いぬく烈々たる決意を表明した。動労千葉争議団の中村仁さんは、1047名闘争は青年を始めとした全労働者の命運を決する闘いであり、絶対に負けるわけにはいかないと訴えた。この時点で政府「和解案」は根底において粉砕されたのだ。
 5・27臨大闘争弾圧被告の原田隆司さんは、労働者を事故現場に動員し、懺悔(ざんげ)を強いているJR西日本への怒りをたたきつけた。5・27臨大闘争弾圧裁判弁護団の山本志都弁護士は、国鉄闘争の勝利をかけて控訴審闘争へ総結集をと呼びかけた。
 動労千葉とともに検修全面外注化阻止闘争に決起したJRの現場労働者からの決意表明が続いた。全国から結集した国労組合員はいずれも、臨大決戦を全力で闘い、国労本部を打倒して1047名解雇撤回を貫く固い意志を表した。動労水戸の組合員は、青年を組織して検修外注化を絶対阻止すると決意を述べた。
 動労西日本の山田和広副委員長は、自身にかけられた雇い止め解雇を弾劾し、解雇撤回・契約社員制度粉砕へ闘いぬくと断言した。
 さらに、自治体の青年労働者、全学連の冨山小太郎書記長の決意表明が続いた。若いエネルギーに満ちた発言は、国鉄と沖縄を基軸に民主党・連合政権打倒−プロレタリア革命を切り開く勝利の路線を照らし出した。
 行動提起を5・27臨大闘争弾圧被告の橘日出夫さんが行い、1047名解雇撤回闘争を貫徹して階級的労働運動を力強く歴史に登場させようと熱を込めて訴えた。

 権力とJR西の厳戒体制を破り

 集会後、参加者は直ちに事故現場までのデモに打って出た。怒りのシュプレヒコールを響かせて進むデモ隊に、沿道から熱い注目が集まった。この闘いがJR体制を根底から揺るがしていることに恐怖した警察権力は、JR西日本と一体となり、事故現場への献花に向かう代表団を阻止しようとデモ隊に襲いかかった。だが、デモ隊はこれと真っ向から対峙し、怒りの声を上げ続けた。この日の闘いは、現地の労働者のJRへの憤りと緊密に結びつき、権力とJR資本を圧倒しきった。