2010年5月 3日

団結ひろば 投稿コーナー

週刊『前進』10頁(2438号6面1)(2010/05/03)

団結ひろば 投稿コーナー

 前進社への不当捜索に抗議しカンパする ドイツ エーリヒ・メルツ

 革命の砦(とりで)、前進社に対する不当なガサ攻撃がまた行われたと聞きました。怒りに堪えません。しかも携帯電話を何台も押収していったというではありませんか。絶対に許すことができないと思います。少額で申しわけありませんが、カンパさせてください。
 きのう私たちは仲間とケン・ローチ監督の映画「大地と自由」を見て、いろいろと討論しました。レーニンやローザ・ルクセンブルクの組織論についても討論になりました。その際、「日本の革共同がどうしてそんなに長い間存在し、かつ勢力を強めていっているのか」が重要なテーマになりました。また、労働組合内での工作のあり方、さらにスターリン主義の問題もテーマになりました。全学連の歴史をめぐっても討論になりましたが、私たちにとってはまだまだ分からないことが多いです。
 4・23法大解放総決起集会へ向けたドイツからの連帯メッセージがお役に立ったとのこと、大変うれしく思います。この連帯メッセージの取りまとめにあたっては、先日「団結ひろば」にも投稿した仲間の女子学生、ローラが、教育スト実行委員会内部で議論が百出する中、しぶとい力を発揮してがんばってくれました。彼女にそんな力があるのは私にとっても大きな驚きでした。
 日本のすべての同志の皆さんに社会主義者として連帯のあいさつを送ります。私たちはいつも皆さんとともにあります。ともにがんばりましょう。

 団結を基軸にした労働運動をつくろう 東京・南部労組交流センター 林田兼好

 昨年9月から始まった東京南部労働学校が最終回の第8回「戦後労働運動史」によって完結した。戦後から今日までの労働運動の歴史を単なる事実の羅列ではなく、一定の系統的な流れとしてとらえ、その後の展開にどのようにつながったのかを検討するという立場から講師の話がなされたことは、学ぶところが多くあった。
 特に印象に残ったのは、スト権ストのみじめな敗北と動労千葉の今日の運動の基礎をつくった「船橋事故闘争」との対比である。この二つの事柄への評価を分けるものとして、労働運動指導部、組合幹部が職場の団結を基盤として運動を展開したか否かがある。
 我々が学ばなければならないものは、何を基軸として過去の運動を評価するかである。今日の国鉄1047名解雇撤回闘争指導部の変容をみれば明らかなように、スト権ストが現場労働者の団結を無視したものであり、一部労働組合幹部のためのものでしかなかったということであろう。そのことは後の闘う労働運動の終息、衰退の歴史が証明することとなった。
 我々すべての労働者にとって、まず何よりも心がけ、つくりあげていかなければならないものは団結である。このことは同時に団結を破壊し、解体するものへの徹底した闘いでもある。団結を破壊しようとするものは必ずしも資本であるとはかぎらない、労働者の側にも自ら自覚することなく、資本の手先となって団結を破壊する者はいる。したがって常にこれらの者への闘いが求められているのである。
 南部地区労働者は団結を基軸にした労働運動に決起する。

 『共産主義者』を読み星野文昭さんを思う 東京東部 Y・M

 先日、『共産主義者』164号の野上論文「第2次再審闘争の前進で星野文昭同志を取り戻そう」を読みました。
 なぜ、無実を百も承知で、星野文昭さんがでっち上げられ、獄中35年を強いられているのか、取り戻すにはどのような闘いが必要なのか、この論文は的確に示しています。
 また「星野闘争は同時に沖縄闘争である」と鮮明に宣言しています。
 1971年の秋、沖縄県民の米軍支配に対する怒りのコザ暴動、「沖縄返還協定粉砕」をかかげた10万人を超す人々のゼネストなど、島ぐるみの闘いに呼応して、星野さんたちは決起しました。東京都内の集会・デモ禁止、1万2千人の機動隊による戒厳態勢がつくられる中、渋谷に向かって進撃して行きました。そ して、沖縄闘争の爆発に対する報復として、権力は「殺人罪」をでっち上げ、星野さんを無期懲役にしたのです。
 今、国鉄1047名闘争がたたきつぶされてしまうのか、あくまで解雇撤回を貫いて新しい日本の労働運動を切り開くことができるのかの、激しいせめぎ合いが展開されています。
 沖縄においては、「基地はいらない」の闘いが、鳩山政権を打倒する勢いで噴き上がっています。星野さんの不屈・非妥協・非転向の獄中35年の闘いは、日帝・国家権力と労働者階級の非和解的対決の上にある問題です。
 階級的労働運動の力で星野文昭さんを取り戻そう! 星野さんを取り戻す闘いで階級的労働運動をよみがえらせよう!

 盗聴・監視、治安管理最末期の米支配階級 東京 穂積万作

 堤未果著『アメリカから<自由〉が消える日』(2010年4月1日発行、扶桑社新書)を読んだ。
 2001年9・11を口実とする米「愛国者法」をはじめとした治安立法によって何が生じたかが明らかにされている。街頭と公共スペース、電話、FAX、メール、個人ブログの内容、図書館で借りた本の記録、アマゾンで買った書籍の購入データ、インターネットの閲覧記録等々考えられるすべてを対象とした恐るべき盗聴・監視・密告社会になった。「テロリスト」と決めつけられただけで正当な司法手続きを経ない拉致・監禁、拷問、言論弾圧などの実態が次々と報告されている。
 他方で、クラウド・コンピューター技術によって膨大な画像・映像・音声・位置(携帯電話に付けられたGPS)・文書データの蓄積が技術的に可能となり、「社会保障番号」(日本の場合は「住基ネット」)をベースに全個人データをリンクさせて国家による住民一人ひとりの治安管理、日常的スパイ・監視が現実となりつつある。
 まさにジョージ・オーウェルの『1984』の世界だ。それは外に向かっての侵略戦争と一体の国内階級戦争の一環だ。
 逆に言えば、これほどまでに支配階級の危機は深いし、腐りきって、なんの確信も正義性も展望もないということ。だから労働者が労働組合の階級的団結を取り戻して立ち上がる時、こんなものは木っ端みじんに吹き飛ばすことができる。ロシア革命をはじめ数多くの革命の歴史に明らかである。