原発事故「関連死」1704人 国と東電の責任だ 川内原発再稼働許すな

週刊『前進』06頁(2636号06面02)(2014/06/16)


原発事故「関連死」1704人
 国と東電の責任だ
 川内原発再稼働許すな

93歳の女性が遺書を残し

 2011年3・11福島第一原発事故の「関連死」が増加の一途をたどり、きわめて深刻な状況となっている。5月27日、復興庁などが公表した福島県の「震災関連死者数」(14年3月31日現在調査結果)は1704人であり、「直接死」の1603人を上回った。
 政府・福島県などの「震災関連死」という言い方は人を欺く表現だ。原発事故によって地震・津波の被害者を救えなかった事実が示すように、すべての人が原発関連死と言って過言ではないのだ! また発表された人数は、福島県の市町村が「関連死」と認定した人だけであり、死亡した人は、さらに多いと断じて間違いない。
 安倍は「原発事故で死者はいない」との大うそで原発推進・再稼働を策動している。そんなことは絶対に許さない。福島原発事故で無念にも亡くなった人たちの最期を、一部だが紹介したい。
■避難命令により救助できず
 原発事故による避難命令によって、地震・津波で倒壊家屋の下敷きになった人などが救助できず、多くの人が亡くなった。それについて、12年に郡山市開成山野球場で行われた3・11福島県民大集会で発言した浪江町から避難している女性は「事故の避難のために、その捜索もできずに消防団を始め、救助の人も町を去らなければならなかった」と悲痛な体験を語っている。
■避難に伴う死亡
 福島県の場合、原発から20㌔圏内に七つの病院が存在し、合計850人の患者が入院していた。これらの人たちは避難の際の長時間の移動と、避難所の劣悪な条件により、移動中および避難所に到着後、死亡が続出した。11年3月末までに七病院関係だけで少なくとも60人が亡くなった(本紙2632号参照)。
■「自殺」
 11年6月上旬、相馬市の酪農家の男性が堆肥(たいひ)舎で、自ら命を絶った。堆肥舎の壁には、白いチョークで「原発さえなければ」のメッセージが残されていた。男性は家族とともに約40頭の乳牛を飼い、懸命に働いていた。だが3月21日、原発事故で原乳が出荷停止となり、収入の道が閉ざされた。
 同年6月下旬には、南相馬市の93歳の女性が自宅庭で首をつって亡くなった。女性は、以前から足は弱っていたが、家事もこなし日記もつけていた。遺書には「私はお墓にひなんします」「(避難の)あしでまといになる」とあった。知人は「長寿をお祝いされるようなおばあちゃんが、なぜこんな目に遭わなければならないのですか」と声を詰まらせたという。

過酷な仮設住宅での生活

■仮設住宅での死亡
 仮設住宅で孤独死する人も多数出ている。二本松市の山あいにある仮設住宅で暮らす70代後半の一人暮らしの男性は、長引く避難生活で13年夏ごろから体調を崩した。仮設住宅の自治会の関係者らが見守っていたが悪化していった。10月下旬、男性の容体が急変、訪問していた女性が救急車を呼んで一命を取り留めたが、約1カ月後に亡くなった。この女性によると、以前、男性宅の冷蔵庫にはヨーグルトと乳飲料しかなかったという。女性は「栄養失調で餓死寸前だったのでは」と推測している。
 今年3月31日現在、福島県内の仮設住宅で「孤独死」した人は報道されているだけで34人。ほかにも、家族などにみとられながら亡くなった人、また県外の避難先で「孤独死」した人なども含めれば、さらに数が膨れ上がることは確実だ。
 仮設住宅の現状は過酷の一語に尽きる。狭いうえに老朽化し、戸がきちんと閉まらない、雨漏りがするなどの支障も出ている。そもそも仮設住宅は3年居住を想定して造られた。まさに「仮設」にすぎないのだ。
 さらに長引く避難生活での疲弊、ストレスの高まり。また、広野町全域などの緊急時避難準備区域の指定が11年9月に解除され、翌年8月、住民は1人当たり月10万円の精神的損害賠償を打ち切られた。その結果、生活に困窮する避難者が多い。一人暮らしの高齢男性が月4万円余の国民年金だけで暮らしているという現実まであるのだ。

動労水戸&診療所と共に

 どの人も、原発事故さえなければ死ぬことはなかった。この人たち一人ひとりが、家族や周りの人びとにとって愛する人であり大切な存在だった。一人の例外もなくかけがえのない命であり、語りつくせぬ人生があったはずだ。原発事故がそれを奪ったのだ!
 これらの人びとは、原発を推進してきた歴代自民党政府と東京電力、そして資本家階級、原子力ムラの連中によって殺されたのだ! この連中が責任をあいまいにすることなど絶対に許さない。
 安倍政権はこの事実を「なかったこと」にしようとたくらんでいる。だが、3・11以降のフクシマの現実の数々を覆い隠し、フクシマの怒りを圧殺することなどできない。ふくしま共同診療所の粘り強い苦闘が切り開いている地平と、動労水戸の被曝労働拒否の5・30、31ストライキの勝利は、福島の人びととつながり、その根底的な怒りを解き放ち始めている。この「原発と再稼働には絶対反対!」の闘いこそ勝利の道だ。全国の労働者民衆の力で福島圧殺を打ち砕き、川内原発の再稼働を必ず阻止しよう!

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