5・15〜17沖縄闘争に参加して 青年指導部の熱意に感動 沖縄も福島も怒りは同じ

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週刊『前進』06頁(2683号04面04)(2015/06/01)


5・15〜17沖縄闘争に参加して
 青年指導部の熱意に感動
 沖縄も福島も怒りは同じ

(写真 「復帰」43年5・16沖縄集会【那覇市】)

 5月15日から17日まで、沖縄闘争に参加してきました。
 16日のIJBS労組支援共闘会議総会と「復帰」43年集会の中で、非正規職撤廃の闘いが青年労働者を中心に非常に力を持っていることが印象的でした。青年労働者が、絶対に自分の生殺与奪(せいさつよだつ)を資本家に握らせないと確信を持っていることを感じ、それがさらに非正規職労働者を鼓舞(こぶ)するのだと思いました。
 辺野古の海を背にして話された富田晋さんの苦闘が、現在の非正規職撤廃の原動力になっていました。おじいやおばあの思い、「銃剣とブルドーザー」の歴史や70年前後の苦難を体現するのは自分であること、彼の中にその闘いが染みこんでいました。
 動労千葉や動労水戸に触れ、絶対非和解で闘うことに確信を深めた青年指導部の熱意と誠実さに感動しました。
 3万5千人の県民大会に参加してきた県民に、敗戦から脈々と続いている沖縄の揺るぎない怒りが表れていました。基地撤去は絶対に陳情などによってではなく、人民の力によってしかかちとれません。韓国ゼネストに表れた労働者の決起によって基地撤去、非正規職撤廃は勝利します。県民大会参加者がゼネストを訴えるビラをのぞき込んで受け取る反応に、勝利の方針を求めていることを感じました。
 私は70年闘争ころに学生で、10・8羽田闘争での山崎博昭さんの死をかけた闘いで自分の生き方が問われました。また中学時代に60年安保時で虐殺された樺美智子さんの遺稿集『人しれず微笑まん』にも触れて、このような人生を送りたいとも考えていました。そして全学封鎖中の大学で4・28沖縄闘争が呼びかけられました。当時の『前進』の「沖縄奪還、安保粉砕・日帝打倒」のスローガンの「奪還」の響きに、人民の力によって、革命によって沖縄の現状は変えられると確信し、決起しました。そして現在、星野文昭さんの40年間闘いを貫くという強さに共感し、自分自身も闘いを続けています。
 2011年の大震災・原発事故後、福島に来て感じることは、権力の卑劣なやり口が沖縄でも福島でも同じであることです。72年の沖縄の「復帰」は、沖縄の労働者の思いを逆手に取って、米軍基地と自衛隊の強化につながりました。振興策も非正規職の増加でしかありません。その怒りが県民大会で表れています。福島でも同じです。ふるさとに帰りたいという県民の思いを利用して、年20㍉シーベルトもの放射能汚染を心配いらないと納得させようとしています。
 また、労働者の闘いの決定的位置も確信しています。基地労働者が、基地を動かすことによって米軍に協力せざるをえず、一方で闘う中で基地を止めてなくすことができるという矛盾を背負った存在であること。原発労働者も原発を動かすことによって生きてきたことから、地域住民の人たちとともに原発を廃炉にしていかなければならないと感じています。
 これからも政府は「小児甲状腺がんは放射能とは関係ない」と言い続けます。しかし実際に健康被害が出てくる中で人びとは必ず立ち上がります。原発再稼働の攻撃の中で自分たちの思い、体験したことを訴える力がもっと湧いてきます。ともに闘っていきましょう。
(福島市・医療労働者 野枝静)
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