楢葉町を訪れて 〝とても帰れない〟 被曝強いる避難解除に怒り

週刊『前進』06頁(2700号04面04)(2015/10/05)


楢葉町を訪れて
 〝とても帰れない〟
 被曝強いる避難解除に怒り


 福島県楢葉町の避難指示が解除された9月5日、NAZEN埼玉の仲間が現地視察ツアーを行いました。そのレポートをNAZEN埼玉のリーフレット9月発行号から一部省略して転載します。(編集局)

 3・11直後に越谷市に避難され、現在はいわき市の仮設住宅に転居されて楢葉町のパトロールを続けておられる方と「道の駅ならは」で待ち合わせをして、楢葉町の案内をしていただきました。
 最初に楢葉遠隔技術開発センターを見ました。福島第一原発から20㌔メートルの場所で、日本原子力研究開発機構が850億円をかけて建築中の巨大な施設で、福島第一原発とそっくりの模型をつくって、燃料デブリの取り出しや廃炉作業や開発したロボットのテスト、作業者の訓練などを行うところです。
 近くには、原子力災害対策センター(仮称)の建物もあり、福島第二原発で災害発生時の活動拠点となる施設だそうです。視察でわかったことは、楢葉町が「復旧」「廃炉」という新たな原発ビジネスの前線基地として位置づけられようとしていることでした。
 楢葉町の水源となっている木戸ダムを視察。湖底のセシウム濃度は1万3千〜1万6千ベクレル/㌔グラムだそうです。「町は『24時間モニタリングしているから大丈夫』と言いますが誰も信じていません。帰ってきている人も水だけは買って飲んでいます。毎日飲む水の安全が確保されないで何が帰還ですか⁉」と、一升瓶で手づくりした湖底の模型を使い説明してくださいました。
 海岸近くの高台にある天神岬からは、広野火力発電所やフレコンバッグの山がよく見えました。フレコンバッグの山は、楢葉町に20カ所もあり周辺は線量が高い。そこに学校を再開し、子どもたちを戻そうとしています。「楢葉北小学校、南小学校、中学校の3校が17年度に開校される予定です。15年度の児童生徒数は27人。皆、いわきの学校で学んでいます。17年度は36人、いわきまでスクールバスを走らせて、いわきから楢葉まで連れてくるようです」とのこと。ええっ⁉ いわきに避難している子どもをわざわざ楢葉に運んで、被曝させてまで⁉ 「それって強制なんですか?」と思わず疑問というか怒りの声、質問が出ました。「なるべくそのようにしてください、という言い方ですが、何度も同じことを言われます。特に役場の職員や東京電力の社員はできるだけ協力してくださいと言われている」そうです。
 動労水戸の被曝労働拒否の闘いの最前線・竜田駅近くは、「250人規模の東電の一般職員向け社宅とルートインホテル(ビジネスホテル)を建てる」計画だそうです。
 案内された方のご自宅は室内の空間線量でも0・1〜0・2㍃シーベルト/時、外は地上1㍍付近で0・3〜0・5㍃シーベルト/時あります。雨どいの水が流れる排水口では7㍃シーベルト/時という恐ろしい数字が出ました。「帰るときは孫も含めて家族一緒に、と決めていますが、とても帰れません」
 そのあと、福島第一原発近くまで国道6号線を北上しました。富岡町、大熊町は居住制限区域のため道路両脇のガードレールの切れ目をふさぐように鉄のフェンスが設置され、許可なく立ち入りできません。内気循環にしてあるのに車内の線量計の数字はどんどん上がり、第一原発の煙突が見えてくるあたりでは7㍃シーベルト/時に! これ以上は危険と判断し、Uターンしました。
 「楢葉は昼と夜で全然違う風景になる。皆さんにはぜひ夜の楢葉を見て欲しかった。夜の風景を見れば、本当に人が住めるところなのかわかる」とのこと。家々が立ち並ぶ昼間の(一見のどかな)光景が、夕闇が訪れるとともに真っ暗な闇になってしまう姿を見て欲しかったというのです。
 3・11から4年をへて、新たな原発ビジネスの最前線基地となり、ねずみが大繁殖しイノシシが闊歩(かっぽ)する空家、廃屋、荒地、フレコンバッグの山ばかりとなった楢葉町。マスコミの「住民が戻ってくる町」という宣伝とは裏腹の現実がそこにはあった。東電職員や自治体労働者に早く帰還して家族とともに住め、被曝しろという攻撃は本当に許せない。
 東電や自治体の労働者は自分と家族、仲間の生命を守るために動労水戸とともに被曝労働拒否のストライキに立とう。
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