藤江明世同志を悼む 70年闘争以来の激戦を最期まで貫いた革命家 革共同九州地方委員会

週刊『前進』06頁(2711号06面02)(2015/12/21)


藤江明世同志を悼む
 70年闘争以来の激戦を最期まで貫いた革命家
 革共同九州地方委員会


 7月8日、九州地方委員会のかけがえのない同志であった藤江明世同志が帰らぬ人となった。享年64であった。
 藤江同志は、2006年、九州地方委員会の平田派の集団脱落・逃亡後、中四国地方委員会から九州に駆けつけ、地方委員として九州地方委員会再建のために全力で闘いぬいた。
 その藤江同志が、昨秋、重いがんに侵されていることが分かった。だが藤江同志は、抗がん治療を続けながら、国鉄決戦とひとつになって合同労組レイバーユニオン福岡の書記長として、最後まで闘いを続けた。

日本原の現闘で

 藤江同志は、岐阜県の宗教家の息子として生まれた。人一倍戦争を憎み、高校生のとき、「ベトナム戦争に反対する」というプラカードを一人で持ってデモに駆けつけた。広島大学に入学すると、直ちに学生運動に身を投じ、70年安保・沖縄闘争、大学闘争を先頭で闘った。
 若くして革共同に加盟し、長年、岡山県の陸上自衛隊日本原演習場反対闘争を現地闘争本部員として不屈に展開してきた。また国鉄分割・民営化以降は、国鉄決戦を闘いつつ中四国地方委員会を支えぬいた。

合同労組を指導

 さらに闘いの場を九州地方委員会に移した後も、増大する非正規職労働者の現状に怒り、合同労組の数々の争議を指導してきた。また、九州の国労原告団の物販闘争を先頭に立って推進したのも藤江同志だった。障害者解放、被爆者解放にも深い関心をもち、大変な課題も率先して担いぬいた。
 その最期は、病院のベッドで眠りにつくような死であった。臨終を看取った医師は、「とっくに亡くなっていてもおかしくなかった。ここまで生きたのは、生きようとする意志の強さです。驚嘆させられました」と語った。
 藤江同志は、迫る死を感じながら、生きぬくことで、われわれを最後まで激励してくれた。革命の日を迎えることなくこの世を去らざるを得なかったことは、さぞかし無念だったに違いない。

遺志継ぎ勝利へ

 「労働者が主人公の社会はつくれる」と死の間際まで訴えていた藤江同志の声がよみがえる。その訴えがあらためて問われる時代がきている。
 資本主義の末期を示す大恐慌と戦争が世界と日本を覆い、労働者への搾取と抑圧、安倍政権の横暴と悪政は、怒りなしには語ることができない。まさにプロレタリア革命が求められている。その声は地の底から湧き起こるかのようである。
 藤江同志! 本当にありがとう。君が残した足跡を、われわれはしっかりと踏みしめて進むつもりだ。そして必ずプロレタリア革命を実現する。それが革命家人生を貫き斃(たお)れた君への手向けだ。
 2016年は、まさに階級決戦の年である。九州地方委員会は、藤江同志の闘いを引き継ぎ、動労総連合・九州を結成し、階級的労働運動と国際連帯を強化し、強大な地方委員会をつくるために全力で決起を開始する。どうかわれわれの闘いを空の上から見守っていてください。
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