京大弾圧を絶対に打ち破り戦争反対!第2京大ストを 6学生奪還へ総決起の地平 革共同中央学生組織委員会

週刊『前進』04頁(2733号03面01)(2016/03/21)


京大弾圧を絶対に打ち破り戦争反対!第2京大ストを
 6学生奪還へ総決起の地平
 革共同中央学生組織委員会

(写真 6学生奪還を訴え京都の繁華街をデモ【3月13日】)

 京都大学同学会の昨年10月の反戦バリケードストライキに対する「威力業務妨害」デッチあげ弾圧は、米日帝の朝鮮侵略戦争の超切迫情勢下で、大学での戦争反対のストライキを絶対に許さないという安倍政権の意を受けた大政治弾圧として仕掛けられた。戦争に反対する学生自治会や労働組合の絶滅を意図した戦争攻撃そのものだ。だが、不当逮捕された作部羊平・同学会委員長や斎藤郁真・全学連委員長ら6学生を先頭に、同学会と全国学生は敢然と弾圧を受けて立ち、6学生奪還へ怒りの火の玉となって総決起した。6学生奪還闘争は労働者階級全体の戦争への危機感と結びつき、巨大な社会的反撃を巻き起こし、敵権力を徹底的に追い詰めた。京大スト弾圧粉砕闘争の切り開いた地平を明らかにし、安倍・山極打倒の第2の京大スト―全国大学反戦ストへの総決起を訴えたい。

6人と団結し京大生が続々と反撃に立つ

 「京大反戦ストライキ弾圧」を打ち破る闘いは幾重もの密集した反動を打ち破りながら闘いぬかれた。
 3月14日に京都地裁(京都簡易裁判所)で開かれた勾留理由開示公判(第1グループ)で上垣猛裁判官は、学生たちを勾留すべき理由として「黙秘を行い取り調べに非協力的」であることを挙げた。これに対する当然の抗議を前にして上垣は「全員退廷」を命じ、のみならず京都府警機動隊を導入し、傍聴者を排除するという前代未聞の暴挙を行った。この裁判に向け裁判所は数十ページものマニュアルを用意し、機動隊の法廷への導入も用意周到に準備していた。
 また、3月17日に予定されていた京都大学の副学長情報公開連絡会(学生と副学長との一種の団交の場)は突如中止された。他方では4人の京大生に昨年10月の反戦ストライキの件に関する「呼び出し」が来ている。
 一連の事態が示すことは今回の弾圧が「京大の転換」や学内民主主義の問題にとどまらず、安倍政権・国家権力中枢が主導した戦争に向けての治安弾圧だということだ。
 起訴粉砕への闘いの後半過程は、連日のように警視庁公安部が監視・弾圧体制をとっていた。報道によると京大当局による刑事告訴は11月18日の京大構内での現場検証と同時に行われている。ここから逮捕までなぜ約4カ月もの月日を費やしたのか。警視庁公安部による逮捕者の選定が行われていたということだ。
 今回の京大生4人への呼び出しに向け、従来の教授会の枠組みを越えた新組織がつくられた。これは2014年改悪の国立大学法と学校教育法と一体のものだ。これらの条文の中では教授会の議決機関から諮問機関への転換(教授会自治解体)と一体で、学長権限の独裁的強化が盛り込まれている。大学を戦争体制の一環に組み込むことを意図したものだ。弾圧の過程をも通して、大学における戦争体制が構築されているということだ。
 しかし、これらの大反動を生み出したものこそ弾圧に対する渾身(こんしん)の反撃、とりわけ京大生の決起だ。京都市内デモ、勾留理由開示公判には2桁の京大生が結集した。何人もの京大生が初めてビラをまき、署名を集め、マイクを握り、デモに立った。弾圧は新たな団結を生み出し、第2の京大ストに向け情勢が整いつつある。

共産党の敗北のりこえ新たな労働者党を

 われわれは今回の弾圧粉砕闘争を、戦前の日本共産党スターリン主義の敗北をのりこえ、「新しい労働者の党」をつくるための闘いとして積極的攻勢的に闘いぬいた。
 日本帝国主義が第2次世界大戦へと向かった過程を捉え返す時、大学の問題、そして革命党の問題を抜きに物事を考えることはできない。戦争と大学をめぐる激突の最初の舞台となったのはやはり京都帝国大学だった。
 日本国内で最初の治安維持法適用事件となった「京都学連事件」(学連=日本学生社会科学連合会)では、1925年12月に京大生を始め学生33人が検束されたが、1週間ほどで釈放された。しかし翌26年1月、再び京大生ら38人が治安維持法で逮捕された。第1次弾圧の失敗から、第2次弾圧の際は今回の弾圧と同様、東京の権力中枢から捜査関係者が送り込まれたと言われる。
 そして33年「滝川事件」で京都帝大が国家権力に屈服したことを契機に大学は戦争体制に深々と組み込まれていく。しかしこの過程は何の抵抗もなく進んだわけではない。滝川事件の際は法学部教授全員による辞表提出を始め、京大生3千人による抗議の学生大会開催、東北帝国大生提唱による「大学自由擁護連盟」結成(12大学の代表者30人、傍聴者約100人)など、広範な運動が展開された。
 そもそも学連は1924年にロシア革命の日本への波及を背景として、マルクス主義を中心的イデオロギーとして結成された。労働者階級と学生は弾圧をものともせず、不屈に闘いぬいた。戦争が近づけば近づくほど、マルクス主義と革命が多くの人びとに求められていった。
 しかし滝川事件と同年、日本共産党幹部の佐野学と鍋山貞親が獄中で転向する。革命党、とりわけその指導部の敗北が戦争への道を準備したのだ。
 革共同は日本労働者階級の戦争に対する根底的怒りと日本共産党スターリン主義を思想的・綱領的にのりこえる中から誕生した。そして50年にわたる歴史は国家権力中枢との死闘戦であり、弾圧をも糧として自らを打ち鍛えてきた。
 京大反戦ストは、日本共産党やシールズとの党派闘争に勝ちぬき、「戦争をいかにして止めるか」という問いへの回答と展望を指し示すものとして打ち抜かれた。われわれは今回の弾圧を粉砕する中で、300万学生、6千万労働者を真に代表する党として革共同を打ち立てていく。

国家と資本の下僕=京大山極体制を倒そう

 「威力業務妨害」をもって反戦ストを弾圧する現在の事態を打ち破った時、革命に向けての道が一挙に切り開かれる。
 勾留理由開示公判(第2グループ)で、辻秀樹裁判官は「大学の自治の中に学生自治は含まれる」と明言した。これは元最高裁判事・伊藤正己も自身の書で述べている通り、70年闘争によって刻み込まれたものだ。学生が学問・研究の主体ならば、その変革・弾劾の手段としてのストライキも当然認められなければならない。
 しかし戦争の時代の到来とともに学生自治は全面的に否定されている。今回の「威力業務妨害」による弾圧のみならず、現在の大学は学生の決起を抑え込む論理として、「営業権」などむき出しの資本の論理を振りかざしている。戦後の営々たる闘いの中で戦前の天皇制イデオロギーのような国家主義に基づく治安法規での弾圧が徹底的に粉砕されてきたことが背景にある。
 革共同の創設者である本多延嘉同志は「資本制社会と大学―『人間解放の学』のために」(『本多延嘉著作選第6巻』収録)で、次のように論じている。
 「帝国主義段階における大学の深まりゆく危機は、……資本制社会の根本的矛盾の解決を基礎としてその解決の前提をもつ。『真理の大学』回復は、利潤を動機とし価値法則を媒介としてのみ学問と産業の結合を実現するところの、したがって現実には学問が独占資本の下僕としてしか生存することができないところの資本制的経済法則の廃棄をとおして真の実現をみるであろう」
 「威力業務妨害」という罪名の中に「学問が独占資本の下僕」となった現実が示されている。京大反戦ストこそ人間に敵対し社会発展の桎梏(しっこく)となった大学・学問を打ち破る論理と人格を荒々しく生み出す闘いとして打ち抜かれた。
 また、「威力」とは学生の団結した力を指し示す。「一人の仲間も見捨てない」と団結のみに依拠し立ち上がった6人の仲間を始めとする闘いの中に「新しい社会秩序を建設する『人間解放の学』の全面的発展のための思想的・学問的担い手を創造する」(同上)萌芽(ほうが)が宿っている。そして今回の弾圧粉砕闘争は、「資本制的経済法則の廃棄」へと連なる労働者階級のストライキ、根底的社会変革へ引き継がれようとしている。
 京大スト弾圧粉砕闘争の切り開いた地平を発展させ、今こそ第2の京大スト―全国大学反戦ストに向けて総決起しよう。
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