英EU離脱は資本主義の終わり 大恐慌と戦争危機が激化へ 階級の怒りと支配の総破綻

週刊『前進』04頁(2761号04面01)(2016/07/04)


英EU離脱は資本主義の終わり
 大恐慌と戦争危機が激化へ
 階級の怒りと支配の総破綻

「EU解体」への過程が始まった

 EU離脱の賛否を問う英国民投票で52%対48%で離脱が多数を占めた。支配階級は大恐慌と新自由主義政策のもとでのイギリス有権者の鬱積(うっせき)した不満や怒りを見誤った。
 EU(欧州連合)は、大恐慌と戦争の世界情勢の中で、日米中ロと並んで、経済的・政治的・軍事的に重要な位置を占めている。現在加盟国は28カ国であり、うち19カ国がユーロを共通の通貨に採用している。EU分裂・解体の危機と帝国主義戦後体制の崩壊は、全世界の労働者人民にとってプロレタリア世界革命、反帝・反スターリン主義世界革命の時がきたことを意味する。

第2次大戦後の帝国主義延命策

 EUは、全体として一つの国家になることを目指しつつも、そこまでには至っていない「たえず緊密化する連合」(EU基本条約前文)であり、中央集権国家ではない。
 アメリカに追いつくことを目指して西ヨーロッパの戦後復興を図るために、1952年にECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)を発足させ、58年にEEC(欧州経済共同体)とEuratom(欧州原子力共同体)が創設された。3共同体は67年にEC(欧州共同体)に統合された。68年に関税同盟をつくった。さらに物、サービス、資本、人、企業などの自由な移動を可能とする域内市場を92年に完成した。99年には単一通貨ユーロを導入した。
 それに先立って89年11月にベルリンの壁が崩れ、90年に東西ドイツが統一され、91年にソ連が崩壊する。当時イギリスのサッチャー首相はドイツ統一に大反対した。フランスのミッテラン大統領が統一に同意したが、その代価を求めた。ドイツはドイツ・マルクを新たな欧州統一通貨ユーロの母体にする案を提出した。英サッチャー首相は、「女王陛下像のない紙幣は使えない」と、単一通貨の導入に反対した。93年に経済・通貨同盟に加え、共通外交・安全保障政策及び警察・刑事司法協力を担うEU(欧州連合)が発足した。
 第2次大戦後、イギリスは、大英帝国の唯一の重化学工業国として、植民地に重化学工業品を輸出しようとしたが失敗した。その後、ヨーロッパとの統合に活路を見いだそうとしてEECへ加盟申請したが、仏ドゴールから「イギリスはアメリカのトロイの馬だ」と断られた。イギリスのEEC加盟はドゴールが引退した73年である。
 イギリスは、99年のユーロ導入にあたっては「導入しない権利」を確保した。加盟国間で国境検査なしで行き来できることを定めたシェンゲン協定にも不参加、ユーロ圏内の債務危機対策や再発防止策にも距離を置くなど、EU加盟国として特別なスタンスをとってきた。EUの規制で企業行動や労働市場が拘束されることへの不満がかねてからあり、緊縮財政と格差の拡大への不満があった。
 新自由主義の破綻によって世界金融大恐慌が2007年パリバ、08年のリーマンと爆発し、全世界に広がったが、ヨーロッパではそれが欧州債務危機としてより深化・継続している。

新自由主義破綻で利害対立激化

 特にギリシャは、09年に顕在化した債務危機以降、幾多の救済策にもかかわらず12年3月と12月の2度、デフォルト(債務不履行)に陥り、いまだに危機が続いている。
 ヨーロッパ中央銀行(ECB)は11年12月と12年2月の2度にわたって、市場金利より安い金利で最長3年間の無制限融資を行った。債務危機国の国債償還は一定進んだが、デフレからは脱却できなかった。ECBはついに14年6月には政策金利にマイナス金利を導入し、15年3月には量的緩和を開始した。しかし、ユーロ圏では銀行の不良債権が多く残存しており、企業向け貸し出しを伸ばすことができない。ECBは今年3月には政策金利をマイナス0・4%にしたが、副作用が懸念されマイナス金利の限界に直面している。
 イギリスのEU離脱は、EUの分裂の危機と戦争を促進する。EUは第2次世界大戦の惨禍から生まれた。ジャン・モネとロベルト・シューマンの二人のフランス人はEU創設の父と呼ばれている。フランスは1870年の普仏戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦と3度にわたってドイツ軍に惨敗した。だが、帝国主義国家の統合で平和がもたらされるだろうか。断じて否だ。帝国主義は資本主義の最高の発展段階であり、そのもとでは資本主義の矛盾は激化し、大恐慌と帝国主義戦争の爆発はともに不可避である。
 1917年のロシア革命によって、帝国主義打倒のプロレタリア世界革命の突破口を切り開き、搾取も戦争もない社会主義社会への世界史的過渡期に突入した。ロシア革命に続くドイツ革命―ヨーロッパ革命に続くアジア革命・世界革命が激しく闘われていた。この「恒久平和の闘い」を圧殺して国際連盟や国際連合が、あたかも平和のための機構であるかのごとく組織された。
 ジャン・モネはコニャック商人であったが、第1次大戦時には英仏間の戦時共同物資調達を提唱し、大戦後は国際連盟事務次長に就任した。第2次大戦時には英仏共同調達の調整委員会の議長となった。こうした経験のもとに石炭鉄鋼をヨーロッパで共同管理するアイデアから、50年のシューマン・プラン(欧州石炭鉄鋼共同体)をつくった。EU(帝国主義国家連合)の本質は、反戦闘争とプロレタリア革命への敵対である。

プロレタリア革命こそ唯一の道

 「資本主義のもとでは、破壊された均衡をときどき回復する手段は、産業における恐慌と政治における戦争よりほかはありえない」(レーニン全集第21巻「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」)
 一国社会主義論をもってマルクス主義・レーニン主義を破壊し、ロシア革命を変質させたスターリン主義は、労働者国際主義を裏切り、逆に帝国主義の世界支配の補完物になった。ナチス・ドイツとの不可侵条約を結び、それがヒトラーによって裏切られると一転して米英帝国主義の側につき、第2次大戦に突入した。
 労働者階級にとって問題はEUからの離脱か残留かではない。ゼネストでプロレタリア革命に勝利して労働者が社会の主人公になることによって、帝国主義戦争を根絶することである。
(常木新一)

EUの歴史とイギリス
1952 仏独など6カ国で欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立
 58 欧州経済共同体(EEC)
 67 欧州共同体(EC)発足
 73 英がEC加盟
 75 英でEC残留の是非を問う国民投票。3分の2で残留
 86 スペインとポルトガル加盟
 93 欧州連合(EU)発足
 95 オーストリアなど3カ国加盟
 99 共通通貨ユーロ導入。英は不参加
2004 旧ソ連圏を含む10カ国加盟
 13 キャメロンが国民投票公約 クロアチア加盟で28カ国に
 16 英国民投票でEU離脱多数に
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