「国事行為」を超えた天皇の膨大な「公務」は憲法の破壊 天皇ビデオメッセージ 戦争・革命の時代の大反革命

週刊『前進』02頁(2774号02面01)(2016/08/25)


「国事行為」を超えた天皇の膨大な「公務」は憲法の破壊
 天皇ビデオメッセージ
 戦争・革命の時代の大反革命


 8月8日に天皇アキヒトがビデオメッセージを通じて「生前退位の強い意向」を表明して以来、安倍政権とマスコミ、日本共産党などすべての体制内政治勢力が一体となって、「陛下のお気持ちを重く受け止め制度改正に着手せよ」という大キャンペーンが連日展開されている。本紙2771号1面のアピールでも明らかにしているように、これ自体が改憲に向けた大攻撃であり、その背景には天皇制そのものの危機、そして日本帝国主義の体制的危機と革命への恐怖が貫かれている。

戦後体制崩壊と戦争の危機

 今日、世界大恐慌がイギリスのEU(欧州連合)離脱をもって新段階に入り、戦後世界体制の崩壊と新たな世界戦争の危機が急切迫する中で、労働者階級の怒りの大反乱・大ゼネストが全世界を覆いつつある。まさに資本主義の終焉(しゅうえん)と世界革命の時代が始まったのだ。
 この中で、日帝・安倍政権は自らの延命をかけて、この秋にも安保戦争法の発動と改憲攻撃の本格化に踏み出そうとしている。アキヒトはこれと連動して自らを「国民統合の象徴」として強烈に押し出し、「戦争する国」の精神的支柱として天皇制を強化し押し立てようとしているのだ。
 「戦争か革命か」の歴史選択の時が来たという時代認識で現在の天皇問題をとらえ、8・8ビデオメッセージを徹底弾劾し、天皇制打倒を労働者階級の立場として鮮明にしなければならない。
 そもそも天皇自身が「お気持ちの表明」などと称して政治の前面に登場したこと自体が、完全に憲法違反のクーデター的暴挙である。さらにはアキヒトの代になって大幅に増加した「公務」なるものの大半が、本来は憲法上許されないはずの政治的行為なのだ。

公務でPKO部隊を「謁見」

 現憲法は第1条〜第8条でいわゆる「象徴天皇制」を規定しているが、その第4条で「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」とされる。この「国事行為」は、第7条で10項目にわたり厳密に規定されているが、実際にはこの限定を無視する形で膨大な「公務」が行われているのだ。
 国民体育大会や政府主催の式典への出席、外国訪問や外国元首との交流(これは事実上天皇が日本の「国家元首」として振る舞っていることを意味する)、災害被災地などへの「慰問の旅」、自衛隊PKO(国連平和維持活動)派遣部隊の「謁見(えっけん)」、さらにはイラクやインド洋派兵から帰還した部隊を宮中に招いて「懇談」までした。これらは天皇個人の行為ではなく、巨額の国費を投じ警察権力を総動員した国家的事業として行われている。
 憲法上根拠のないこれらの「公務」は、すべて「国民の上に天皇を戴(いただ)く国家」としての天皇制を再び確立し、人民大衆をそこに取り込んで平伏させる狙いをもって行われてきた。アキヒトはこれを断固継続せよと、危機感もあらわに叫んでいるのだ。
 だが、こうした形で天皇および「象徴天皇制」が政治の前面に出てきたということは、あらためて「国家と革命」が真正面から問題になっているということだ。それは「象徴天皇制」を規定した現憲法の成立過程を見ても明らかである。

戦後革命と「象徴天皇制」

 第2次大戦終結直後、アジア全域で戦後革命が爆発し、日本の労働者階級も焼け野原から労働組合をつくってストライキ・生産管理闘争へ決起した。その闘いは当然にも最大の戦争犯罪人=昭和天皇ヒロヒトへの巨大な怒りを伴って爆発した。
 1946年5月12日、米よこせ大会に集まった労働者人民は「天皇よ人間ならば人民大衆の悲痛な声をきけ、即時宮城内の隠匿米を人民大衆に開放せよ」と声明を発し、皇宮警察の制止を実力で突破して皇居へ突入、赤旗を押し立て革命歌を歌いながら皇居内の食糧を摘発した。「天皇は神聖にして侵すべからず」などという神話は、労働者の実力決起の前にもろくも崩れ去った。この知らせは全都に広がり、続く5月19日の食糧メーデーでは皇居前に30万人が結集、米軍は装甲車を出動させてこれを鎮圧した。
 こうした中、ヒロヒトは米帝マッカーサー元帥率いるGHQ(連合国軍総司令部)にすがることで延命を模索し、GHQは戦後革命鎮圧の手段として天皇制を利用した。
 「天皇は日本国民を統合する象徴である。天皇制を破壊すれば日本も崩壊する。......(もし天皇を裁けば)行政は停止し、ゲリラ戦が各地で起こり共産主義の組織的活動が生まれる。これには100万人の軍隊と数十万人の行政官と戦時補給体制が必要になる」(1946年1月26日、マッカーサーの報告)
 すなわち米帝は、戦犯ヒロヒトの処罰と天皇制廃止が日本の統治形態を最後的に崩壊させ、それが人民大衆の一層の革命的決起に転化することを恐れ、天皇制を「国民統合の象徴」として延命させる方針を固めたのだ。
 その後、労働者階級は46年10月の大闘争の勝利から47年2・1ゼネストへと突き進むが、日本共産党がGHQの恫喝に屈してゼネストを中止させたことで、戦後革命は敗北した。革命を乗り切った米日支配階級は同年5月3日、新憲法を施行させ、「象徴」として天皇を延命させたのである。
 このように、「象徴天皇制」を含む現在の憲法は、戦後革命の敗北に伴う「譲歩と妥協」の産物にほかならない。
 今日、日帝・安倍が憲法を転覆し、再び天皇制のもとで戦争に踏み出そうというなら、労働者階級は当時の闘いでやり残したプロレタリア革命を今度こそ完遂し、天皇制もろとも一切の既存の国家機構と支配階級を打倒・一掃するのみである。そして労働者が主人公の新しい社会を全世界の労働者人民と団結してともにつくりあげよう。
 11月国際共同行動をその歴史的な第一歩としてかちとろう。
(水樹豊)

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