三里塚耕作権裁判 雨をつき地裁へデモ NAAの予備的主張を追及

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週刊『前進』04頁(2791号03面03)(2016/10/24)


三里塚耕作権裁判
 雨をつき地裁へデモ
 NAAの予備的主張を追及

(写真 降りしきる雨をついて反対同盟は地裁へ向けデモを貫徹し裁判に臨んだ【10月17日 千葉市】)

 10月17日、千葉地裁民事第2部(内田博久裁判長)で、市東孝雄さんの耕作権裁判が開かれた。三里塚芝山連合空港反対同盟は、顧問弁護団、支援の労農学市民とともに全力で立ち上がった。
 千葉市葭川(よしかわ)公園で午前9時、強い雨が降りしきる中、太郎良陽一さんの司会で集会が始まった。萩原富夫さんが「第3滑走路建設の攻撃を地元住民の怒りと結んで粉砕しよう。市東さんの農地を守ろう」と千葉市民に訴え、直ちにデモに出発。反対同盟は先頭で「耕す者に権利あり」との横断幕を広げて行進し、宣伝カーからは宮本麻子さんがシュプレヒコールをリードした。デモ隊は千葉地裁前で、怒りを込めてこぶしを突き上げた。
 全員がデモの勢いそのままに傍聴に臨み、70近い席をすべて埋め、10時30分に開廷した。
 この間成田空港会社(NAA)は市東家の賃借地の場所特定問題について、「予備的主張」として唐突に、「少なくとも1988年の『同意書』『境界確認書』と添付の測量図面で(旧地主と市東東市さんが)合意した」と言い出した。つまり、「市東家が実際どこを耕作してきたかはともかく、88年の合意で〝賃借地はここ〟と決めたのだから、その通りでいいじゃないか」という意味だ。このあまりにもデタラメで無責任な主張に、弁護団の怒りの追及が集中した。
 NAAが証拠として提出した「同意書」「境界確認書」は偽造文書だ。これにあくまですがりつき、しかもその図面を、実際の耕作場所を特定するものではなく、その場での合意を表したものだと言い出したのだ。
 またNAAは1950年に交わされた旧地主と市東家の農地の賃貸借契約について、「場所が特定されていない。南台41番地の中ならどこでも耕作してよい、という契約だった」と言い出した。
 こんな苦しまぎれの珍解釈は成り立たない! そもそもこの耕作権裁判と農地法裁判は、市東家の賃借地はどこなのか、とりわけ南台41―9が市東家の賃借地なのかどうかをめぐって、具体的に争ってきたものだ。市東家は41―9を一度も耕作したことがなく、そこは石橋家が植木を育てていた土地だった。
 弁護団の激しい追及に対し、NAAの代理人は「書面で応じる」旨を繰り返すのみ。裁判長も「先ほどと同じ答えですか」などと助け舟を出すので、傍聴席からは「まともに答えさせろ!」との怒りの声が続々と上がった。市東さんも被告席から「自分らがつごう悪くなったら、そんなことを言うのか!」とNAAを一喝した。
 次回期日を1月30日と確認し閉廷した。千葉県弁護士会館で、伊藤信晴さんの司会で報告集会が開かれた。
 最初に市東さんがあいさつに立ち、「空港のそばの土地はすべて空港のものという考えが表されていた。許せない! NAAの言い分を必ず崩す」と決意を述べた。
 葉山岳夫弁護士をはじめ弁護団がNAAの新主張を詳しく解剖し、しかもそれを「予備的主張」という形で出してきた卑劣さを指摘した。これは土地の特定問題でのNAAの完敗宣言だ。
 さらに内田裁判長が2回8年にわたる訟務検事(行政訴訟などで国の代理人を務める)の経歴を持つことが暴かれ、反動判決を下すために送り込まれた裁判長であることが指摘された。あの多見谷裁判長と同じだ!
 動労千葉、関西実行委、市東さんの農地取り上げに反対する会に続き、全国農民会議共同代表の小川浩さんが連帯発言に立った。「耕作地がどこでもいいと言うなら、市東さんへの〝不法耕作〟という訴えがうそだったことになる。周辺住民を市東さんの農地を守る運動に獲得する」と決意を述べた。
 最後に萩原富夫さんが10・9全国集会の成功へのお礼を述べ、「住民の怒りを結集し第3滑走路を阻止しよう。署名を集め運動を拡大し、市東さんの農地を守り抜こう」と一同の奮起を促した。
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