動労水戸・辻川慎一副委員長に聞く 動労水戸&福島がドイツを訪問 「組合変えるため現場を組織」強烈な執念と闘いを日本でも 国際連帯のきずなを深めた9日間

週刊『前進』04頁(2793号03面01)(2016/10/31)


動労水戸・辻川慎一副委員長に聞く
 動労水戸&福島がドイツを訪問
 「組合変えるため現場を組織」強烈な執念と闘いを日本でも
 国際連帯のきずなを深めた9日間

(写真 ベルリン都市鉄道支部の事務所で記念撮影。左から2人目がクルトさん【9月4日 ベルリン】)



 9月3~11日、動労水戸の辻川慎一副委員長と木村郁夫書記長、大子支部の會澤憲一さん、動労福島の倉岡雅美さんが動労千葉国際連帯委員会の仲間とともにドイツを訪問した。これはGDL(ドイツ機関士労組)ベルリン都市鉄道支部のクルト・シュナイダー支部長に招かれたもので、国際連帯の新たな地平を切り開いた。訪独団は、ベルリンでは都市鉄道支部の労働者と交流し、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の事務所を訪問。ハンブルクでは港湾労働者と交流した上で左派活動家の定例会議に出席した。ベントラント(ゴアレーベン)では核廃棄物処分場建設反対の闘争現場を訪れ、ベルリンに戻って住宅追い出し反対のデモに参加した。このドイツ訪問でつかんだことを、動労水戸の辻川副委員長にうかがった。(聞き手・編集局)

ベルリン都市鉄道支部と交流 動労千葉と出会って2年で支部を握りストライキ実現

 ----今回のドイツ訪問に至る経過を聞かせてください。
 ドイツとの交流が始まったのは2009年の11月労働者集会に左派活動家のラーベン・ブロンシュタインさんが参加してからです。ラーベンさんは11月集会に衝撃を受けて、GDLのクルト・シュナイダーさんたちのグループと接点を持つようになりました。13年の11月集会にはクルトさんも参加して、動労千葉の存在に衝撃を受けて、「ここに自分の目指すものがあった」と受け止めたのではないかと思います。クルトさんは韓国にも行き、民主労総のすさまじい闘いにも出会った。彼は、自分たちが目指すべきもの、実践すべきものを具体的に日本と韓国を通して見たと思うんです。
 クルトさんは13年にはGDLの一組合員だったけれど、15年にベルリン都市鉄道支部の支部長になり、同年6月に強力な6日間のストライキを実現した。動労千葉と出会って2年もたたずに、GDLの主軸になったんです。
 15年の11月集会に来たクルトさんは、動労水戸と交流し、福島にも行きました。クルトさんとは同じ鉄道労働者として、すぐに意気投合できた。その時にクルトさんから「動労水戸は世界に出るべきだ。ドイツに来い」と熱烈に呼びかけられて、今回の訪独になりました。
 ベルリン都市鉄道の労働者には東ドイツ出身の人が多い。彼らは東西ドイツ統一前はスターリン主義国家と闘い、統一後は民営化を強行する帝国主義と闘ってきた。だから彼らの感性は反帝・反スタです。われわれも民営化と闘ってきたから、ものすごく息が合いました。
 ----ドイツの労働運動の現状は。
 ドイツは2007年から08年ころに「ストライキ共和国」と言われたことがあったけれど、労働運動の現状は実はそんなに日本と変わらない。ドイツの階級支配は強烈で、その力でドイツ帝国主義は争闘戦に打ち勝ち、EUの経済を圧倒的に握ってきた。それは国内のすさまじい階級支配の結果です。
 ドイツの首相のメルケルは東ドイツの出身です。東西ドイツ統一は、スターリン主義の支配層が西ドイツ帝国主義の支配層に飛び込んでいくような形で行われた。そして今、メルケルのような東ドイツ出身者でなければドイツを仕切れない状況になっている。
 フランス労働者の闘いは激しく燃え上がっているけれど、ヨーロッパの帝国主義支配の要はドイツ。ドイツの労働者階級がドイツ帝国主義を打ち倒すことがヨーロッパ革命の核心だと思います。
 ----クルトさんはどのように労働者を組織しているのでしょうか。
 ドイツ鉄道は民営化されてドイツ鉄道株式会社になっていますが、株は100%政府が持っています。労働組合には「ドイツの国労」と言われるEVG(鉄道・交通産業労組)とGDLがあって、EVGは21万3千人、GDLは3万4千人。くしくも国鉄分割・民営化の時に国労が20万人くらいで動労が3万人くらいだったのと同じです。EVGは完全に御用組合で、GDLもストはやりますが中央は完全に体制内派です。
 ベルリン都市鉄道支部1千人の支部長のクルトさんは、動労千葉と出会って「ベルリン都市鉄道支部をランク&ファイル(現場労働者)の力で変え、それを起点にドイツの鉄道労働運動、ドイツの労働運動そのものを変えよう」と考えたんです。GDLの3万人だけではなく、戦闘的な左翼を全体として獲得しようとしている。だから彼は、ベルリンでもハンブルクでも、左翼の集会に私たちを連れて行って話をさせました。ベルリン都市鉄道支部を起点に市内外、そしてハンブルクなどへ、点から線へ、線から面へという構想を彼は持っている。
 ドイツでは二重三重にストライキに対する縛りがあります。本社と労組本部が協約を結んでいたらストはできない。スト権は労組の中央本部にあり、支部には交渉権もスト権もない。政治ストは一切禁止されている。日本より厳しい状況の中で、ベルリン都市鉄道支部は15年の6日間のストを打ち抜いた。これはものすごいことです。本部がストを承認しなかったら、ベルリン都市鉄道支部の組合員はどうなるかわからないというくらいの組織化をした。本部としてはストはやりたくないけれど、認めざるを得ない。
 彼らがしたたかなのは、経営協議会の委員になって資本との実質的な交渉権を確保していることです。日本で経営協議会と言うと、資本が御用組合を取り込み労働者を支配するためのものだけれど、ドイツの経営協議会は全然違う。ベルリン都市鉄道の職場全体から協議委員を比例代表選挙で選びます。EVGもGDLも組合として名簿を出す。それに対してクルトさんは、EVGの戦闘的組合員と一緒に独自のグループをつくり、その名簿を出す。得票率に合わせて当選者が決まるので、クルトさんたちは3人の委員の枠を取っている。そして、経営協議会で会社の合理化提案と闘っている。
 労働組合とは別の名簿で立候補するのだから、普通に考えたら統制処分の対象です。それを聞いたら、「当然、処分の対象になるが、それは現場の力関係だ」と答えました。クルトさんは、「GDL本部に対する言葉での批判は一切しない」と言っていました。しかし、資本の合理化提案の内容や、それが強行されたら現場労働者に何をもたらすのかは徹底的に暴露する。それで現場労働者の支持を獲得するから、GDL中央はクルトさんたちを簡単には統制処分できない。
 クルトさんはものすごい執念で現場労働者を組織しています。私たちをいろんなところに案内してくれたけれど、その間も、駅に電車が入ってくると運転席に駆け寄り、組合員にあいさつして話し込んでいる。彼は経営協議会の委員だから、いわば会社公認の専従です。乗務をしなくても会社から金は出る。でも彼は、専従の仕事がない時は乗務して、絶えず現場労働者のことを把握している。
 GDLベルリン都市鉄道支部の「夏祭り」にも参加しました。市内の超巨大な森林公園に組合員が集まって、ビールを飲んだり料理を食べたりしながら話をする。祭りが終わって組合員が帰る時、青年部がみんなで彼の名前をコールするんです。彼は本当に組合員、特に青年たちに愛され信頼されている。祭りの後片付けも彼は自分でやります。とにかく現場組合員を大事にする。ものすごく誠実に現場労働者に向き合う。その姿勢と熱意に圧倒されました。ドイツの労働組合を変えようという彼の強烈な執念から、われわれが学んだものはものすごく大きい。彼にできていることが、われわれにできないはずがない。これがドイツ訪問の一番の収穫です。
 ----ドイツの鉄道労働者をとりまく状況はどのようなものですか。
 ドイツ鉄道の合理化はものすごく進んでいます。都市鉄道も地下鉄も列車はワンマン運転で車掌がいない。駅もほとんど無人化されている。だから、乗客が全部乗ったかどうかは、運転士がホームの先端に設置されたミラーで確認する。
 信号所やポイント転轍(てんてつ)所も廃止されています。以前はいた安全監視員もどんどん仕事を外されている。少なくなった地下鉄の監視員も紹介してもらいましたが、彼女たちは「監視の仕事はやらなくていい」と言われて放送の業務だけをやっている。40年くらい働き続けた労働者からその誇りを奪っている。
 運転士の詰め所もどんどん廃止され、運転士の交流の場が奪われている。これに対してクルトさんは「制服に着替える場所も奪ったのだから、私服で乗務させろ」と闘い、私服での乗務を認めさせている。こういう状況だから、運転士が戦闘化するのも無理はないと思いました。
 検修職場にも行きました。郡山総合車両センターと同じ規模の電車基地で、400~500人が働いています。ここは、職場廃止・外注化の提案に対して全社員大会を開かせて全員で会社を弾劾し、攻撃を粉砕した歴史があるところだと聞きました。保線などの施設部門は完全に別会社にされています。鉄道の合理化は日本より激しく行われていると感じました。

「ゴアレーベンの反核闘争に学ぶ われわれと福島は一体だ」この国際連帯の感覚に感銘

(写真 ケアスティンさん【左から2人目】宅前。ドアには「X」マークが【9月9日 ゴアレーベン】)

 ----ゴアレーベンではどのような交流をしてきたのですか。
 ゴアレーベンで一番学びたかったのは、どうしてあの壮絶な闘争に40年近くも勝ちきっているのかということ。ゴアレーベンでは核廃棄物処分場建設阻止の闘いをし、中間貯蔵施設は造られて使用されているけれど、最終処分場は完成させていない。その力は何なのか。福島を闘っていくために、そこから学びつくしたいという問題意識でした。
 80年代には何万人も集まって処分場建設阻止闘争をし、核廃棄物の搬入に対しては木に体を縛り付けたり火炎瓶が飛びかったりと、まるで三里塚闘争のような実力闘争を展開した。そういう時もあれば、社会民主党や緑の党が「脱原発宣言」みたいなのを出したら、運動が急速に下火になって、数十人でデモをしている時もあった。けれど、数の増減に落ち込んだりせず、頑強に闘っている。
 闘いの象徴の黄色いXのマークが各戸に貼られていて、これは「核廃棄物処分場絶対反対」の意味と「Xデーには必ず立ち上がる」という意味が込められている。一人ひとりが断固とした決意で闘っているんです。
 核廃棄物処分場建設反対同盟の前委員長のケアスティン・ルーデックさんのお宅にホームステイさせてもらったので、夜はいろんな人が話を聞きにきます。福島の現状を話すと、「常磐線を全線開通させて福島に帰還させるなんて信じられない。絶対に認められない」とすごく怒る。倉岡さんが地図で「(自分の職場の)郡山はここ」と示したら、「なぜ避難しないんだ」と強力に説得される。
 彼らは、「自分たちが負けたら福島も負ける。福島が負けたら自分たちも負ける。自分たちと福島は一体だ。原発や核と闘っている世界の人たちと自分たちは一体だ」と強烈に思っています。闘争現場にある巨大な年表には、アメリカのスリーマイル島原発事故や日本の東海村のJCO事故、福島原発事故のことも書かれている。最後は「福島は警告する」という大きな横断幕を持って、現委員長のマーティン・ドナートさんを先頭にデモしている写真が飾ってある。初めから彼らの感覚は国際連帯なんです。
 日本国内だけを見ると、原発事故への怒りを表に出すことが圧殺される構造があって、われわれの主張は孤立してるように見える。けれど、世界に行ったら全然そうじゃない。こういう国際連帯の感覚は非常に重要だと思いました。
 「核や放射性物質に絶対反対で一致し、闘いを妨害しなければ、誰でも受け入れることをルールにしている」と言っていました。これはすごく勉強になりました。巨大な資料館に、70年代から今まで、ゴアレーベンにかかわった人たちすべての資料が残されている。どこどこの党派だからこれは消しちゃう、なんてことはしない。13年に3・11反原発福島行動実行委員会の椎名千恵子さんやNAZEN事務局長の織田陽介君たちが訪問した時に渡した動労千葉を支援する会やNAZENののぼりも、みんな大切にとっていて、とても義理堅い。
 集められているポスターも一つひとつが創意工夫されていて、アートみたいな感じで、どう大衆に訴えるかを考え抜いてつくられている。「○・○集会に結集せよ」とかじゃなくて、考えることを促すようになっている。この点、われわれはまだ貧困だと思います。
 ゴアレーベンの人たちは「闘いにとって大事なことは、闘いの記憶が残ることだ」と言っていました。人民の闘いが継承されていくことをものすごく大事にしている。これにも感銘を受けました。
 ----動労水戸の被曝労働拒否の闘いはどう受け止められましたか。
 ゴアレーベンでもハンブルクでも、動労水戸が労働組合として被曝労働拒否をストライキで闘い、原発と闘っていることを紹介すると、みんなの顔つきが変わってきます。どんどんくらいついてくる。「労働組合が福島県民の支持を得ながらストライキを闘っている。これはまったく新しい考え方だ」「勉強させてもらった」という反響です。

日独階級闘争の直面する課題 プロレタリア革命の路線と徹底した「現場労働者主義」

(写真 住宅追い出しに反対する大規模デモに参加【9月10日 ベルリン】)

 ----訪独を通して、日独の階級闘争が直面する課題をどうとらえましたか。
 ドイツの労働者階級は、ヒトラー政権の独裁とスターリン主義の独裁に対する深い反省から立ち上がっています。だから独裁を嫌う。これは簡単には言えないことだけれど、結構大変なのは、独裁を嫌うあまり、今の延長にはプロレタリア国家論がないことです。プロレタリア革命は、プロレタリア国家の樹立を通して、全人民が生きていくための基本的な条件を用意することです。その過渡性なしに共産主義社会は実現できない。
 ブルジョアジーが労働者人民の人間的な権利の一切を奪っている今、ブルジョア国家を打倒してプロレタリア国家を打ち立てることが切実に問われている。だからスターリン主義の問題がものすごくリアルな課題になっている。
 ドイツではまだしっかりとした党派はない。トロツキストは四分五裂していて、いかに労働者にわからない話をするのかを競っているような状態です。その中でクルトさんやラーベンさんは、労働者階級の現実の闘いを基軸に階級の党をつくり出そうと考えているのだと思います。だから彼らは革共同の存在を意識し、それが人としてどういう現れ方をしているのか、よく見ていたと思います。
 偉そうに言うわけではないけれど、われわれが動労千葉―動労総連合を先頭に、労働組合の闘いを基軸にゼネストを実現し、プロレタリア革命=プロレタリア国家権力樹立という明確な路線と党を持って時代に対応しているのは、すごいことです。それがドイツの階級闘争の課題になっている。われわれも、2017~18年をにらんで、プロレタリア革命の路線をめぐりもっと鋭くなければいけないと思います。
 それと、クルトさんに学んで徹底した現場労働者主義を貫くこと。クルトさんのあり方は、まったく権威主義的じゃない。「労働組合幹部が偉いわけじゃない。俺は一労働者だ」と常に自分にたたき込みながら闘っている。特権的なことは一切やらない。そこは本当に厳格です。われわれの中にもまだ家父長的な権威主義が残っていないとは言えません。われわれ自身が権威主義の呪縛から脱却しないと、労働者階級には通用しない。そういうことも、今回のドイツ訪問で考えさせられました。
 プロレタリア革命は急速に接近しています。11・6労働者集会から17~18年へ、革命情勢の中でわれわれに何が問われているかをはっきりさせることが、今一番大切なことだと思います。

このエントリーをはてなブックマークに追加