天皇制の正体は弾圧と戦争 改憲・共謀罪攻撃と一体の天皇退位特例法を許すな

週刊『前進』04頁(2851号03面02)(2017/06/12)


天皇制の正体は弾圧と戦争
 改憲・共謀罪攻撃と一体の天皇退位特例法を許すな


 6月2日、「天皇の退位に関する皇室典範特例法案」が衆議院を通過した。自民党から日本共産党までほぼ全政党が賛成した。戦前の治安維持法の成立が天皇代替わりの前年(1925年)であったように、今日の共謀罪攻撃と天皇退位が同時に進められているのはけっして偶然ではない。朝鮮戦争の切迫下、安倍は治安弾圧の強化と一体で象徴天皇制の再編・強化と挙国一致体制の構築を急いでいるのだ。

「天皇への敬愛」を条文で人民に強制

 天皇退位の特例法案は、政令で定める日に天皇が退位して「上皇」となり、ただちに皇嗣(こうし)が新天皇に即位することなどを規定しているが、とりわけ異様なのは、冒頭の第1条に「趣旨」と題する長文が置かれたことである。
 第1条は、現天皇のことを「陛下」と敬称で呼び、「御即位」「……してこれられた」などと法律の条文には本来ありえない敬語を用いて天皇の「公的な御活動」を賞賛した上で、立法の趣旨を次のように説明する。「国民は……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している……という現状に鑑み、皇室典範第4条の規定の特例として、天皇陛下の退位および皇嗣の即位を実現する」と。
 要するに、この法律は天皇を「深く敬愛」する国民が天皇の「お気持ち」を言わば〝忖度(そんたく)〟してつくったものであり、天皇自身の言葉や意向に直接応じたものではない、と言いたいのだ。「(天皇の意向を)直接の端緒と位置づければ、憲法に抵触する恐れがある」(菅義偉官房長官)からだ。
 だが、昨年の8・8ビデオメッセージが天皇自身による「生前退位の意向の表明」だったことは明白であり、まさに天皇と天皇制が政治の前面に登場し、政府を動かして現行憲法の枠組みを踏み破る特例法をつくらせたというのが、隠しようもない真相である。この憲法破壊の暴挙を「国民の共感」なる言葉で隠ぺいしているのが、同法案第1条にほかならない。
 そして何より重大なことは、天皇を「深く敬愛」せず、その「お気持ちを理解」もしない者は国民ではない(=非国民だ!)というイデオロギーが、その根底に貫かれていることである。人民の内面や思想にまで深く入り込んで支配し、分断しようとする天皇制の悪らつな本性が、この一点に如実に現れている。

明治国家が暴力的に作り出した制度

 天皇制とは、天皇とその血族を国家の頂点に置き、その神格化された擬似宗教的権威を他のすべての人間の上に君臨させる日本特有の世襲君主制である。ただし、実際に天皇を唯一最高の統治権者とする全国的な国家体制が成立したのは、1868年の明治維新以後のことである。今日われわれの眼前にある天皇・皇室の実体とその権威とは、直接には明治以後の時代において、国家権力中枢によって極めて人為的・政治的につくりあげられ、全人民に暴力的に押しつけられてきた近代天皇制の戦後的延命形態にほかならない。
 周知の通り、鎌倉幕府から江戸幕府に至る武家政治の時代には、天皇に統治権者としての実権など一切なかった。「天皇」なる称号は、7〜8世紀にかけての古代天皇制の成立期に、当時の専制君主の権力を神格化するために数々の神話とともに創作されたものにすぎず、そうした天皇の地位と権威も奈良時代末期にはすでに形骸化していた。
 それでは、直接政治に携わる為政者・統治者としてではなく、宗教的・精神的な意味での権威(=象徴)として、天皇が太古の昔から日本の民衆に尊崇されてきたのかといえば、まったくそうではない。民衆の間では天皇の存在などほとんど知られておらず、明治初期の頃になっても圧倒的多数の人びとは天皇に敬意など抱いていなかった。それゆえ明治政府は、人民に天皇崇拝と皇国史観を植えつけるために、軍隊や学校をはじめあらゆる場面で暴力的な教化政策をとらざるをえなかったのである。
 もとよりイギリス、フランス、アメリカなどの先進帝国主義国がブルジョア民主主義革命や独立戦争の歴史を「国民統合の象徴」としてきたのに対し、そうした歴史を持たない最も後発の帝国主義として世界史に登場した日帝は、国家の精神的支柱として天皇制とそのイデオロギーを担ぎ上げるほかなかった。日本国民は「天皇の赤子」であり、天皇とその国家に命を捧げる忠良な「臣民」でなければならず、他の諸民族は「天皇を中心とした神の国」である日本に支配されなければならない——こうした天皇制国家への服従と侵略思想を全人民にたたき込むことで、日帝支配階級は労働者・農民への過酷な搾取と収奪を貫き、近隣諸国への侵略と戦争を正当化し、全人民をそこに動員したのである。

プロレタリア革命への完全な敵対物

 そもそも天皇制イデオロギーは、人間の本来的な平等性・普遍性を否定し、生まれながらに高貴な者と卑賤な者とに人間を分ける徹底した差別主義、民族排外主義、選民思想に貫かれている。だが、それは人間の理性や科学的真理に立脚したものでもなければ、日本の民衆の古くからの生活文化に由来するものですらない。それゆえ、国家暴力を総動員した治安弾圧と白色テロルによる威圧、そしてそれらを背景とした大掛かりな儀式やパフォーマンスによってしか、その権威を維持することができないのだ。今回の天皇退位法案や教育勅語の「復権」に向けた安倍政権の動きは、今日の「戦争か革命か」の世界史的分岐点において、天皇制のような荒唐無稽(こうとうむけい)で非合理なものを再び持ち出す以外に手段がない日本帝国主義の歴史的破産を示している。
 何より天皇制とは、労働者階級自己解放と国際連帯の闘いに対する全面的な敵対物である。それは「労働者こそ社会を動かし歴史をつくる主人公である」ことを否定し、「天皇のもとで日本国民は一つに統合されている」というまったくの虚構=「虚偽の共同性」を全人民に押しつける。その核心は「天皇のため、国のために戦争で死ぬ」ことを「最高の価値」として全人民に強制することにある。
 これに対する労働者階級の回答は、国際連帯とゼネスト―革命をもって戦争を阻止し、人間的共同性に根ざした社会変革の担い手として歴史の前面に躍り出ることだ。今こそ国鉄闘争―動労総連合を先頭にゼネスト情勢を切り開き、新しい労働者の党を都議選決戦で登場させよう。
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