全学連大会で高山弁護士が講演 憲法は階級闘争の産物だ 戦後革命の歴史に学ぼう

週刊『前進』04頁(2875号04面01)(2017/09/11)


全学連大会で高山弁護士が講演
 憲法は階級闘争の産物だ 戦後革命の歴史に学ぼう

(写真 ヤルタ会談の写真を示して日本共産党の裏切りを弾劾する高山弁護士【8月30日 東京】)


 全学連第78回定期全国大会の初日8月30日に行われた「憲法と人権の日弁連をめざす会」の高山俊吉弁護士の記念講演の要旨を掲載します。(編集局)

 Jアラート(全国瞬時警報システム)が発動されるという歴史的画期点に学生の可能性と責任は何かを考える全学連大会が行われています。日本国憲法の制定過程と戦後革命について話したいと思います。
 弁護士48年、憲法の話をずいぶんしてきました。皆さんが学校で習った日本国憲法には、恒久平和とか基本的人権とか民主主義とか、たくさんいいことが書いてある。「天賦(てんぷ)の人権」という言葉を習ったでしょうか。天から与えられた、未来永劫(えいごう)にわたる基本的な人権、憲法をそんな風にとらえるのは間違いです。そんなものはない。
 憲法は、ある社会勢力、階級が権力を取ったことを確認して打ち立てる勝利記念碑です。革命もあれば反革命、クーデターもある。私たちがとるべき憲法論は、権力と人民の力関係のダイナミズムの中でとらえる闘いの憲法論だと思います。
 日本国憲法もそのとおりです。日本国憲法は私有財産制を保障しているから、どうみてもブルジョア憲法です。象徴天皇制が冒頭に掲げられている欺瞞(ぎまん)的な憲法です。けれども基本的人権とか民主主義、恒久平和がこれだけ明確にブルジョア憲法に書かれているのは世界的にどこにもない。どうしてこのような憲法ができたのか。それは歴史の経過の中でとらえるとわかってくる。

読売新聞で争議

 1945年8月15日に日本帝国主義は敗れた。そこで社会が根本から変わった、そういう歴史がありました。日中戦争から太平洋戦争、第2次世界大戦までの中でどういうことがあったか。本当に日本人民が「一億火の玉となって鬼畜米英と戦うんだ」と腹の底から思って行動していたのか。事実は絶対にそうではなかった。
 敗戦直後、日本人民の決起が起こる。先頭を切ったのが私のおじがいた読売新聞の労働組合だった。8月15日から29日しかたたない9月13日に読売労働争議の旗が立った。戦争責任の追及を第1スローガンに掲げた労働者の闘いが始まった。そして社内の民主化、生きられる賃金を払え! この三つで読売の労働争議は決起した。戦争が終わって1カ月もたっていないことを考えてください。すごいことです。
 今の有楽町駅前にあるビックカメラの所に読売新聞社があった。すぐ隣が毎日新聞社、駅の反対側のマリオンがある所に朝日新聞社があった。そこが労働争議のうねりの中心点になるんです。日劇の屋上には人民放送局ができて笠置シヅ子が歌を歌ったという。有楽町は革命の拠点、フランスのカルチェラタンみたいな地域になった。
 読売新聞で紙が足りなくなり、緊迫する国会情勢を伝えられなくなった時、朝日新聞の労働組合が読売の労働者を救えと主張し、朝日新聞社が読売新聞を印刷した時期があった。労働者は団結した。
 この状況を戦後革命という表現でとらえる歴史の見方があります。単に労働運動が高揚したとか、民主化闘争が高まったというだけのことではなく、その中に社会変革の中軸を担う労働組合をつくって革命の拠点をつくろうという思想とそれを体現する現実があったということです。
 私は当時、疎開して長野県の飯山町(現在の飯山市)にいました。まだ小学校に入っていなかったのですが、46年の復活メーデーに参加した。

「メーデー万歳」

 町内の警察署、消防署、税務署を順ぐりに回って「メーデー万歳」と唱和しろと要求する。すると署長が出てきて「復活メーデー万歳」と声を上げる。すると「よし!」と言って次に行く。「メーデー万歳」と言うまでは立ち去らない。これは革命以外の何ものでもない。
 こういうことが現実に戦争直後の日本にあったことを私は皆さんに伝えたい。敗戦まで2千万人を超えるアジアの民衆を殺戮(さつりく)し、日本人も312万人が死んだ。民衆が民衆を殺し、民衆が民衆に殺される戦争の中で、人がどういう姿勢や思いの中にいたのか。「一億火の玉」なんかにけっしてなっていなかった歴史の真実を正面から見よう。
 復活メーデー第1回で「町から村から工場から」(作詞 国鉄詩人編集部/作曲 坂井照子)という歌が発表された。「町から村から工場から、働く者の叫びが聞こえる。働く者が、働く者が新しい世の中を作る。働く者こそしあわせになる時だ。われらはわれらは労働者」。この歌はNHKのラジオでも放送されていた。私も歌えます。
 侵略戦争の中で内外の民衆がマグマのように蓄えた反戦思想を現実化し、反戦行動の革命的な展開として戦後革命期が到来したというとらえ方がとても大事だと私は思う。

裏切った共産党

 もう一つ、日本共産党の責任の問題を確認しておかなければならない。
 この写真を見てほしい。左にいるのはチャーチル(イギリス首相)、真ん中がルーズベルト(アメリカ大統領)、右がスターリン(ソ連首相)。この3人が戦後の世界をどう分割するかを中心に45年2月にクリミア半島のヤルタで謀議した。米帝と英帝とスターリンのソ連が「ファシズムと対決する仲間」として「手をつないだ」。
 彼らは本当は連帯も団結もしていなかったが、日本共産党はそのように受けとめた。その結果、共産党は占領軍を日本の軍国主義を是正するために登場した解放軍と位置づけた。
 45年から47年にかけて日本は本当に革命情勢に突入した。内閣が事実上存在しない時期が1カ月も続いた。その時にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の外交局長アチソンが「われわれは共産主義と対決する」と言った。結果、共産党はどうしたらいいかわからなくなった。
 何が起きたか。600万人に及ぶ日本の労働者の99%が参加することになっていた47年2・1ゼネスト、文字通りのゼネストは、その前日1月31日にマッカーサー最高司令官から禁止命令が出され、共産党がそれを受け入れた。全官公庁共闘会議議長の伊井弥四郎が、号泣しながらゼネストはやめると言った。共産党の裏切りで2・1ゼネストは中止された(従わない単産・単組ももちろん出た)。これだけは胸の奥深くたたきこんでほしい。労働者の闘いはそれでめげてしまわなかったということだ。闘いはその後もどんどん広がった。
 われわれは確実に歴史の多数派だ。多数派は名実ともに多数派になり得るし、ならなければいけない。戦後革命の歴史を肝に銘じ、現下の闘いに生かして行動していきたいと思います。

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9・19共謀罪学習討論会
 9月19日(火)午後6時30分開会(6時開場)
 港勤労福祉会館(東京都港区芝5―18―2)
■西村正治さん(弁護士)
 「労働運動と共謀罪」
■白石孝さん(共通番号いらないネット世話人)
 「監視社会強化におけるマイナンバーと共謀罪の役割」
主催 現代の治安維持法と闘う会

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