天皇明仁の訪沖を弾劾する 沖縄の怒りは鎮まらない

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週刊『前進』04頁(2931号03面03)(2018/04/09)


天皇明仁の訪沖を弾劾する
 沖縄の怒りは鎮まらない

日帝と天皇制との危機と破産を刻印

 3月27~29日の3日間、明仁(アキヒト)が天皇として最後の沖縄訪問を行った。1975年の皇太子時代の初訪問から11回目、天皇即位後6回目の沖縄訪問は、日本帝国主義と天皇制の危機と破産を刻印した。
 「基地の島」「非正規職の島」の現実に対する沖縄の労働者階級の不撓(ふとう)不屈の闘いが今日も継続されていることが、それを示している。戦後72年・「復帰」から46年を経ても、沖縄の労働者階級に渦巻く沖縄戦と天皇制への怒りは鎮まっていない。天皇の来沖中も辺野古への新基地建設工事が強行され、米軍による激しい演習が展開されている。
 アキヒトは昭和天皇ヒロヒトと違い、直接の「戦争責任」から「自由」な「平和天皇」を演じながら沖縄の労働者階級を「慰霊」と称して取り込み制圧しようとしてきたが、それはすべて破産した。マスコミなども常に75年初来沖時の「ひめゆり」での火炎瓶投擲(とうてき)を取り上げ、さらに沖縄戦の遺族たちは天皇と天皇制への徹底的な拒否を突きつけた。

アジアを巡り激化する米日間争闘戦

 しかしだからこそ、アキヒトは改憲から戦争へと突き進む支配階級の階級意思を最も鋭敏に体現して今回の来沖を決断した。皇太子・天皇として沖縄の階級闘争と労働運動「平定」をついに成し遂げられなかったが、「あきらめた」ということでは全くない。
 実際にアキヒトは今回、「日本最西端の島」であり台湾を臨む対中国の最前線である与那国島を訪問。ここでは、2016年3月に配備された自衛隊がアキヒトを制服姿で出迎えた。
 南西諸島への自衛隊配備と増強の露払いとして強行された与那国島で陸上自衛隊の湾岸監視部隊の配備は、「国境の島」の住民を二分する事態となった。宮古や八重山、沖縄本島でも自衛隊の配備と増強が推し進められている。宮古島では、駐屯地建設が進められている野原部落会が配備反対計画を撤回した。石垣港には、3月30日に海上自衛隊の練習艦2隻と護衛艦1隻が入港した。
 アキヒトは、沖縄を「帝国の南門・鎖鑰(さやく=外敵の侵入を防ぐ重要な場所)」として積極的に位置づけることが天皇制と日帝を守る道であることを熟知しているがゆえに、沖縄に「こだわった」。だからこそ来沖時にはまず南部戦跡へと足を運び、沖縄の文化・芸能などを取り込むことにも生涯をかけてきた。
 アキヒトはさらに北海道訪問を予定し、福島訪問の際には常磐線を利用していわきに入ると報道された。日本階級闘争の最火点=革命をめぐる攻防点を熟知し、最後まで天皇としての責務を果たすというのだ。

労働者階級の闘いがすべてを決める

 かつては天皇の戦争責任を問う闘いの先頭には労働組合の旗があった。ところが今日、労働組合は沖縄においても組織率の低下が進み、かつてのような力を失っている。しかしその中から確実に階級的な労働運動の復権に向けた挑戦が開始され、〈オール沖縄〉を乗り越えて前進している。
 朝鮮半島をめぐる激動情勢は、沖縄の労働者階級に新たな飛躍と発展を求めている。「復帰」46年の5・15沖縄闘争は、朝鮮侵略戦争を阻止する歴史的な闘いだ。国際連帯をさらに発展させて沖縄全島ゼネストへ! これが今回のアキヒト来沖に対する沖縄の労働者階級の実践的な批判であり回答だ。その具体的な突破口として、IJBS(日本IBM・ビジネスサービス)労組の解雇撤回闘争と、沖縄大学学生自治会の新たな挑戦に勝利しよう!
〔革共同沖縄県委員会〕
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