星野文昭さんを自由に 6月3日高松集会

週刊『前進』04頁(2947号02面01)(2018/06/11)


星野文昭さんを自由に
 6月3日高松集会

家族からの訴え

(写真 家族が登壇し、星野文昭さんの解放を訴えた。左から兄の治男さん、弟の修三さん、つれあいの暁子さん、いとこの誉夫さん)

星野暁子さん

 文昭は獄外でも獄中でも、団結こそ生きるにあたって最も大切なものだと言っています。この文昭の生き方を表現した意見広告が5月20日に四国新聞と朝日新聞大阪本社版に掲載されました。意見広告へのカンパ、ありがとうございました。面会でコピーを見せながら二人で喜びました。
 そんな中で文昭に懲罰がかけられました。許せません。
 文昭は四国管区の絵のコンクールに、私が子どもを産み授乳している絵を出品しましたが、こういう絵はだめだと、審査の対象にならず戻ってきました。
 文昭と私が子どもを産むことを奪われたのは、ハンセン病や障害者が不妊の手術を受けさせられ子どもを産むことを奪われたのと同じです。夫婦として体を寄せ合うことすら奪われてきたのです。この絵は文昭と私の31年間の愛がすべて込められたものです。
 文昭は獄中43年になり、72歳を迎えています。文昭を年内に解放するべく、ご支援をお願いします。星野・大坂を解放へ、安倍を監獄へ! 力を合わせてがんばりましょう。

兄 治男さん

 明日4日に更生保護委員会に訴えたかったんですが、延期になってしまいました。更生保護委員会には独立した組織として、気概をもってやってほしいと思います。
 文昭は刑務所で、いろんないじめに対して意に介することなく43年間やってきたと僕は信じています。
 一番肝心なのは、彼が社会に一刻も早く出てきてくれることです。

弟 修三さん

 3人兄弟で真ん中が文昭で、僕が末っ子です。文昭は小さいころからみんなで一緒にやっていこうという性質があった。
 社会に対して意識を持ち、結果的にこんな状況になって本当に腹立たしい。でも、平良さんに沖縄のことを話してもらって実感をもちました。
 明後日、久しぶりに文昭と面会をするんで、いろいろ今日のことを伝えます。

いとこ 誉夫さん

 私としては、狭山事件の石川さんのような立場、仮釈放を実現して同時に再審請求をするという運動の形を考えてほしいと文昭に話しています。
 こういう運動は論理と情で訴える。論理は弁護団と救援連絡会が担当して、私は情で訴え続けております。
 いろんな方に支持していただき、今年中になんとか仮出所させたいです。

更生保護委員会闘争へ

星野さん解放の要望書集めよう
 共同代表 戸村裕実さん

 更生保護委員会闘争ですが、何といっても獄中43年、無期刑30年は国家犯罪であります。この犯罪とは具体的には何か。
 第一の罪は検察・警察の取り調べであり、このでっち上げです。第二の罪は、草場良八、当時の高裁裁判長の無期懲役判決です。第三の罪は再審を閉ざす罪であります。第1次再審請求で服装の違いが明らかになっています。第2次においても、さまざまな分野の意見書・鑑定書を提出していますが、現在の異議審の合田悦三裁判長はいまだに三者協議にも応じず、証拠開示にも応じません。
 第四に、徳島刑務所の罪であります。今回の文昭さんに対する懲罰は絶対に許すことができません。そして、いまだに友人面会も閉ざしています。
 その上で、第五の罪を四国地方更生保護委員会が行うのか、ということが現在の段階です。この決定的な時期に仮釈放を何がなんでも実現しようではありませんか。
 今日はパレードで「ウィー・シャル・オーバーカム」が星野文昭さんの要望で歌われます。訳された一言だけ読みます。「勝利を望み、恐れを捨てて、手をたずさえて、勇んで歩み進もう。大地を踏みしめ、闇に満ちた不幸も今日も、平和と自由、その日を信じてわれらは進もう」
 星野文昭解放の要望書をうずたかく更生保護委員会の前に突きつけましょう。星野さん解放へさらに前進しましょう。

スペシャルトーク

劇作家・演出家 坂手洋二さん
俳優 高橋和也さん
家族 星野暁子さん

(写真 左から星野暁子さん、坂手洋二さん、高橋和也さん)

「ブラインド・タッチ」を再演し

 2002年秋に初演された「ブラインド・タッチ」が今春、下北沢ザ・スズナリで再演された。戯曲を書いた劇作家・坂手洋二さんが演出。この上演を契機に、6・3集会での星野暁子さんと坂手洋二さん、主演の高橋和也さんのスペシャルトークが実現した。
 「『ブラインド・タッチ』は星野文昭さんと暁子さんをモデルとした二人芝居。獄中結婚をしていた二人が、出所して実際に一緒に暮らす。解放された日々の中で振り返ったり、いろんな出来事に出合っていく物語。星野さんが解放され、出てこられた後のことを劇にしたい、それでもよろしいでしょうかとお伺いし、やらせていただくことになった」と坂手さん。
 高橋さんは、「30年間、政治犯として獄中にいた男をリアリティーをもって演じられるかどうか、不安でした。『宅下げ』って何だろうってところから始まった。代々木八幡から渋谷突入を図った。井の頭通りでパトカーに遭遇し、火炎瓶を投げ、直進した。4人並びの隊列で進むのは困難だった......その時の状況を刻々と、ずっと走りながら語るシーン。その長せりふがなかなか入らない。そこで実際に現場に行って、代々木八幡から実際にせりふを語りながら神山町の交差点まで歩いてみました」と振り返った。この役者魂に会場から大きな拍手が送られた。
 沖縄との出会いを語った坂手さんは、「沖縄の現在とつながることは、過去とつながり、未来ともつながることをやっていくことだと、星野さんの闘いは教えてくれる」と結んだ。

無実で43年----この現実に衝撃

 暁子さんが文昭さんからのメッセージを二人に伝えた。「僕と暁子の一番大切なものを演劇として表現し、多くの人たちに届けてくれたこと、さらに多くの共感と支援の気持ちをつくってくれたことに心から感謝しています。今後とも二人のことをよろしくお願いします」
 「確かな証拠もなく43年も刑務所に服役している、この現実に衝撃を受け、驚き、悲しみを覚えた」という高橋さんの言葉は、絵画展で星野さんの絵に出会った人々、新聞の意見広告を見た人々、新たに星野さんの闘いを知ったすべての人々の思いと重なるものではないだろうか。
 最後に坂手さんは、「OFFSIDE 危険な話」という自民党本部放火事件を題材にした劇を作り「1990年に再演したら、その翌年、(その事件ででっち上げ逮捕・起訴されていた無実の)藤井高弘さんが解放された。今度も再演したのでいいことがないかなと期待している」と星野さん解放への思いを語った。
(「ブラインド・タッチ」の戯曲は『最後の一人までが全体である』れんが書房新社に収録されている)

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