繰り返すな戦争 日帝のアジア侵略 第4回 民族の抹殺狙った国家犯罪 日本軍軍隊慰安婦制度の真実

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週刊『前進』02頁(2974号02面02)(2018/09/20)


繰り返すな戦争
 日帝のアジア侵略 第4回
 民族の抹殺狙った国家犯罪
 日本軍軍隊慰安婦制度の真実

(写真 金学順さんは仲間とともに街頭に出て声を上げ続けた【1997年 韓国】)

(写真 韓国・ソウルの日本大使館前に設置された少女像を囲んで続けられている「水曜デモ」【2016年8月17日】)


 日帝はアジア侵略の過程で、世界史に類をみない残酷な戦争犯罪に手を染めた。そのひとつが軍隊慰安婦制度だ。一貫してこの歴史の改ざんと抹殺を狙ってきた歴代政権に対して、謝罪と国家賠償、責任者処罰、そして同じ歴史を繰り返さないための歴史教育を求める被害者たちの闘いが立ちはだかり、新たな戦争を阻む力となってきた。私たち日本の労働者階級自身の課題として軍隊慰安婦制度の真実を暴くとともに、この歴史を二度と繰り返さないために闘うときだ。改憲と戦争国家化を狙う安倍を今こそ倒そう。

アジアの女性を性奴隷に

 日本軍軍隊慰安婦制度とは、日本帝国主義がアジア侵略の過程で設けた性奴隷制度であり、決して否定できない国家的戦争犯罪だ。
 日本の陸海軍は、1932年の「上海事変」から45年の敗戦までの間に、沖縄を含めた戦地や占領地域に、「戦地での蛮行を防ぐ」「士気を高める」ためとして数多くの「慰安所」を設けた。当時海軍主計将校であった中曽根康弘は次のように回想している。
 「三千人からの部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」(松浦敬紀編『終わりなき海軍』所収)
 そこでは、日帝の植民地支配下におかれていた台湾と朝鮮、さらに中国や東南アジア、日本国内から集められた10〜20代の女性たちが、意思に反して軍人・軍属の相手をさせられた。「天皇の軍隊」のもとで軍馬以下の軍需物資とみなされた女性たちは、軍の許可なく「慰安婦」をやめることも自由に行動することも許されなかった。
 この制度の核心は、「慰安所」の設置・管理から女性集め、物資の提供に至るまで、日本軍と政府が組織的に実行した点にある。工場で働いて稼げるとだまされたり、軍の命令を受けた業者に拉致されたりして慰安所に連行された女性も多かった。
 敗戦後、日本軍は植民地出身の女性たちを戦地に置き去りにしただけでなく、その存在を一貫して無視・抹殺し、戦後補償の枠の外に置いてきた。被害者である女性たちの言語に絶する苦しみと肉体的・心理的な傷は今なお癒えていない。

天皇制攻撃と一体

 日本軍軍隊慰安婦制度は一般的な性奴隷制度ではなく、とりわけ朝鮮民族を文字通り抹殺する政策として行われた。
 日帝は「万世一系の天皇を頂く神の国」である日本こそが世界に冠たる国家であるとし、朝鮮人民に「天皇を中心とする国体の本義」に従うことを強制した。1910年の「韓国併合」によって朝鮮総督府を通じた天皇の支配下におかれた朝鮮の人びとは「創氏改名」によって氏名を日本人風に改めるよう強要され、宮城(皇居)を拝むことを強要され、朝鮮語で話すことも禁じられた。こうした「同化」政策は一方で、それに従わない者の投獄や抹殺を意味していた。
 こうした状況のもと、朝鮮の男性たちは徴用工として強制労働に従事させられ、その多くが命を落とした。そして、日本の女性たちが「産めよ増やせよ」とあおられていたまさにその時期、朝鮮の女性たちは性奴隷として尊厳を奪われていたのだ。

沈黙を破り被害者が決起

 日帝は45年の敗戦とGHQ(連合国軍総司令部)の占領に際して多くの文書や資料を燃やし、軍隊慰安婦制度をはじめとした戦争犯罪の証拠を隠滅した。
 多くの「慰安婦」被害者たちは、精神的な苦痛や差別からその経験を自ら口外することはなかった。日本政府はそれにつけこみ、80年代に韓国の研究者がこの問題の調査を開始した際にも、「慰安婦は民間業者が勝手に連れ歩いた」として軍の関与を否定した。
 これに対して91年8月、韓国の金学順(キムハクスン)さんが初めて「慰安婦」被害者として実名で証言を行ったことは、全世界で大きな衝撃をもって受け止められた。当時、日帝はイラク侵略戦争を契機に自衛隊の海外派兵を狙い、国連PKO(平和維持活動)法案をめぐる攻防が続いていた。こうした状況の中で金学順さんは「二度と戦争はだめだ」「私が生き証人だ」という決意で沈黙を破ったのだ。これを機に、韓国をはじめ北朝鮮や中国、台湾、フィリピン、インドネシアなど世界各地から多くの被害者が勇気をもって立ち上がった。
 92年には日本史研究者の吉見義明氏が公文書を発見し、軍隊の関与が立証された。日本政府は一転してその事実を認めたが、その翌年に出された「河野談話」は被害者個人への国家賠償を否定。補償ではなく民間から募金を集める「女性に対するアジア平和国民基金」事業を行って国家の責任をあいまいにした。
 当然にも多くの被害者たちがこの基金の受け取りを拒否し、日本政府に対して国家的・法的謝罪と賠償を求めて闘い続けてきた。

新たな戦争阻止する闘い

 日帝は恥知らずにも一貫して「強制はなかった」「韓国側が問題を蒸し返している」と開き直り、さらには「少女像(「平和の碑」)の設置は日本をおとしめるものだ」などと主張してきた。日帝がここまで軍隊慰安婦問題に固執するのはなぜか? それは何よりも、日帝がかつての侵略と戦争、植民地支配の歴史を抹殺して再びの侵略戦争に打って出ていくことを狙っているからだ。
 2015年12月28日、当時の韓国大統領パククネと安倍の意を受けて発表された「日韓合意」もそのための攻撃だ。その中身は、安倍が口先だけの「おわびと反省」を表明し、10億円を韓国政府が設立する財団に拠出することと引き換えに、ソウルの日本大使館前の少女像を撤去するというものだ。この合意の核心は、これにより日本軍軍隊慰安婦問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」という文言に露骨に示されている。
 しかし、これへの怒りは、パククネ政権を打倒した「ろうそく革命」の大きな推進力となり、像の建立運動はアメリカをはじめ全世界へと広がっている。
 軍隊慰安婦をめぐる闘いは、決して過去の問題でも、女性だけの問題でもない。それは、帝国主義戦争が人間をいかに踏みにじるものであるかを今日も突きつけている。それは性別を超えて、今を生きる私たち日本の労働者階級自身の問題だ。被害者たちの「この歴史を決して繰り返させるな!」という命がけの闘いとどこまでも連帯し、改憲・戦争阻止を闘おう。

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