団結ひろば 投稿コーナー

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週刊『前進』04頁(2975号04面05)(2018/09/24)


団結ひろば 投稿コーナー

高松市美術館で星野絵画展
 香川・教育労働者 高橋 敦

 8月28日〜9月2日に行われた高松市美術館での星野絵画展は大成功した。高松市美術館は6・3でパレードをしたアーケード街のすぐ横。今回は文昭さんの絵画、暁子さんの詩、そして文昭さんが丹精込めて作ったカバンが会場の中央に飾られた。
 今回もたくさんの人に出会い、要望書を書いてもらった。沖縄から来た女性は「星野さんのことは知っている」と要望書をすぐに書いてくれた。山形の青年は「チラシに『圧殺の森』(高崎経済大学闘争の記録映画)のことが書かれていたので来た。星野さんのことを初めて知った。暁子さんも山形出身なんですね」と言っていた。韓国から旅行に来た夫婦はなかなか言葉が通じなかったが、「民主労総」「ろうそく革命」という言葉で笑顔になり、会場に案内した。家族旅行で来た日教組に入っている青年は、8・6集会で暁子さんに会い、わざわざ見に来てくれた。
 もちろん、地元の人もたくさん来てくれた。教員仲間やその教え子も来てくれた。会場近くの人も来てくれ、差し入れをいただいた。街頭で青年が呼びかけたら、2人連れの若い看護師がすぐに要望書を書いてくれた。
 今回は何よりもスタッフが増えた。準備や片付け、チラシ配り、受付など、初めて取り組む人が何人も出た。11・4労働者集会や11・25高松集会に参加すると言う人が何人もいた。6・3高松集会で大きく情勢は動いたのだ! 私たちの力は確実に四国更生保護委員会を動かしている。10・1の申し入れは決定的だ! ここで勝負する! ここで決着をつける!
 民主労総や世界の労働者階級と連帯して世の中を変えよう! その一歩として10・1を闘います。11・4で大成功を勝ち取り、11・25高松集会では文昭さんの特別報告で燃え上がり、改憲を絶対に阻止しよう!

三里塚で小山さんと会った
 N

 はじめまして。元東京大学ノンセクト活動家です。
 彼は、確か集会の後部で座って弁当を食べていました。疲れた表情でしたが、闘争への意欲は感じられました。1977年かその翌年でしょうか。三里塚の集会で、「あの中核派の人は慶応よ」と仲間に言われたことをはっきりと覚えています。
 そのときに目が合って、ほほ笑んでくれました。はにかんでいたのかもしれません。鼻が大きいな(!)という印象があって、小山さん(写真右)に間違いないと思います。
 時の流れを感じますが、私は中核派にしか希望や期待がありません。
 困難な時代にこそ、存在意義があります。

保育園民営化巡り討論の輪
 東京労組交流センター女性部 樫村美恵子

 9月8日、JR中野駅北口で保育園民営化反対・改憲反対の街頭宣伝をしました。東京労組交流センター女性部、婦人民主クラブ全国協の合同です。東京西部労組交流センターの仲間もかけつけてくれました。
 保育園民営化反対の訴えにいたるところで討論の輪ができました。
 70代の女性は「若いときに、上の子に障害があり、その世話のため下の子を保育園に預けていました。お世話になりました」と言っていました。
 1歳の子を連れた女性は「帰りのお迎えが遅いために、民間を選んで預けています。夜食も出してくれます」とのこと。私が「大変ですね。でも夜まで預けなければならないのは、お母さんのニーズというより突き詰めて言えば企業のニーズですよね。保育園のお迎えがあるのだから早く帰れるのが本当はいいですよね。そういう働き方も含めて保育園のあり方を考えていかなければならないと思うのです」と言うと、大きくうなずいて署名をしてくれました。本当は早くお迎えに行きたいんだという思いが伝わってきました。
 3歳になるお孫さんを連れた女性は、「やっと民間の保育園に入れたのに、3歳になったら出ていかなければならないんです。また保育園を探さなければ」と切実に訴えていました。
 公立保育園は地域の子育ての拠点なのです。改めて民営化反対の思いを強くしました。

朝鮮人虐殺は厳然たる事実
 東京労組交流センター事務局長 小泉義秀

 関東大震災から95年目の9月1日、墨田区横網公園で朝鮮人犠牲者等の追悼式が行われた。東京労組交流センターはJR両国駅で、昨年に続いて追悼文を拒否した小池都知事を弾劾する街宣活動に決起した。小池は「虐殺はなかった」としたいのだ。
 街宣現場でも、「虐殺した証拠を示してみろ」と言ってビラまきと署名活動に敵対してきた右翼がいた。しかし、あまたの証拠が存在している。
 新宿区大久保の認定NPO法人高麗博物館では企画展示「描かれた朝鮮人虐殺と社会的弱者」が開かれている。
 虐殺を実際に見た画家や当時の小学生らが描いた絵などのパネル約30点と関連書籍が並んでいる。有名な挿絵画家が描いた虐殺現場の絵も展示されている。その挿絵画家は虐殺の現場に居合わせながら、虐殺を容認し絵を描いたことになる。その問題性を明らかにしながらも現場を見た画家が残した厳然たる事実である。
 また、この博物館では、小説『二十四の瞳』の著者・壷井栄の連れ合いで、プロレタリア作家の壷井繁治が書いた『十五円五十銭』という詩のリーフレットが無料で入手できる。日本人と見分けるため、朝鮮人が発音しにくい「十五円五十銭」という語句を言わせ、濁音を発音できなかった朝鮮人はその場で自警団に引き立てられ虐殺された。壷井繁治は実際に虐殺の現場に遭遇し、居合わせてこの詩を書き、24年目の追悼式でこの詩が朗読された。
 さらに、9月1日の全国労働組合交流センターの拡大運営委員会の来賓あいさつで「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」の戸村裕実さんは、荒川の掘削工事に朝鮮人労働者が動員され、9・1に虐殺された歴史があることを語った。
 在特会と一体になって排外主義、ヘイトの先頭に立つ小池を打倒することが改憲と戦争を阻止する道だ!

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