繰り返すな戦争-労働者の戦争動員- 第1回 団結めぐる攻防が核心 治安維持法との闘いの教訓

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週刊『前進』02頁(2982号02面01)(2018/10/18)


繰り返すな戦争
-労働者の戦争動員- 第1回
 団結めぐる攻防が核心
 治安維持法との闘いの教訓

(写真 1920年5月、東京・上野公園に1万人の労働者が結集した第1回メーデー)

(写真 1925年2月に東京・三田で5千人で闘われた治安維持法反対デモ)


 関西生コン支部の正当な組合活動に対する大量逮捕・起訴は、実質的な「共謀罪」の発動であり、9条改憲と戦争体制づくりの攻撃である。今、安倍政権と支配階級は、労働者の団結を解体することに全力を挙げている。それをやらなければ、戦争はできないからだ。今号から3回にわたって戦前の治安弾圧と、労働者の戦争動員の歴史を振り返り、闘いの糧としていきたい。

ロシア革命が世界に波及

 1917年のロシア革命は、全世界の労働者に勇気と感動を与え、闘いのうねりは全世界に広がった。「俺たちにも天下がとれる!」と全世界で労働者民衆の闘いが燃え上がった。翌年、日本では米騒動が闘われ、19年3月の「普通選挙権」を求める日比谷公園の集会には5万人が集まった。日本帝国主義が暴力的な植民地支配を行っていた朝鮮では、独立を求める運動が全土に広がり、各地でデモが行われ、警察や憲兵隊の事務所が人民に襲われた。中国では北京大学の学生を先頭に反日帝・反封建の五・四運動が巨大な炎となって燃え上がった。
 その後も国内では第1次世界大戦後の恐慌―生活苦の中で、労働者のストライキや、小作料の減免を求める農民の実力闘争が激発した。21年7月には神戸の三菱・川崎両造船所で45日間の大スト、4万人の連帯デモが闘われ、軍隊が出動した。共産主義、マルクス主義に対する関心が労働者階級、青年・学生のあいだに急速に広がる中で、22年に日本共産党が結成された。このような激動情勢に直面して支配階級は、日本でも労働者の革命が起きる恐怖に震え上がったのである。
 23年9月の関東大震災は支配階級に大打撃を与えたが、それゆえに彼らは「国家の危機」を叫んで首都圏に戒厳令を発動、排外主義をあおって朝鮮人・中国人を大虐殺し、労働運動指導者や社会主義者を虐殺した。さらに天皇は11月に「国民精神作興に関する詔書」を発し、思想統制の強化を指示した。
 この天皇詔書を受けて、25年に普通選挙法と引き換えに治安維持法が制定された。当時の司法大臣・小川平吉は「わが国においても共産党なるものが組織せられる状況である。この危険は国家のために、社会のために防衛しなければならぬ」と述べた。「戦争と革命の時代」への日帝の必死の対応として、治安維持法の制定があったのだ。

「目的遂行罪」で弾圧拡大

 治安維持法は、「国体(天皇制)の変革」や「私有財産制度の否認」、つまり共産主義を目的とする思想・組織・運動を処罰の対象とした。しかし、実際にはそれにとどまらず、あらゆる民衆の自主的な運動が弾圧された。その先兵となったのが特別高等警察(特高)だった。
 最初の適用は京都学連事件だった。当時、軍人が学校に配属されて軍事教練を行うことに反対して全国で学生が立ち上がった。政府・警察はこれに危機感を持ち、各地で多数の学生を逮捕した。そして京大生20人をはじめ東大、慶大、同志社大などの学生38人を起訴した。警察が、運動に関係ありとみなした大学教授、労働組合活動家、思想家らも家宅捜索を受け、警察に連行された。
 28年3・15弾圧で多数の共産党員を逮捕・起訴した後、「緊急勅令」によって治安維持法を改悪した。最高刑を死刑とし、新たに「目的遂行罪」を設けた。これは、共産党員でなくても、共産党の目的を手助けしていると警察が見なせば逮捕し処罰できるとするものである。どうにでも拡大解釈できる条文であり、これによって特高は共産党のみならず労働運動、学生運動、反戦運動、思想、学問、言論、芸術・表現、宗教など人民のあらゆる自主的な営みを弾圧したのである。28年から33年にかけて、治安維持法で検挙される人が毎年急増した(33年は約1万5千人)。その時期は同時に日帝が中国侵略戦争に本格的に突き進んでいく過程であった。
 それでもこの時期には、労働者のストライキや農村の小作争議が、弾圧をはね返して激しく闘いぬかれた。共産党員の活動も活発に展開された。誠実に生きようとする多くの青年・学生がマルクス主義を学び、運動に参加した。「とらえられたときは純真な一学徒であったが、3カ月、5カ月留置場で鍛えられ警察の門を出るときには、燃えるがごとき革命の闘士になっていた」(元特高の証言)

共産党の内部崩壊

 この激動情勢の中で戦争に突き進む自国政府を打倒し、労働者民衆による革命を実現できるかどうかの鍵を握っていたのは、革命党の闘いであった。しかし、コミンテルン日本支部として結成された日本共産党は、スターリン主義の「32年テーゼ」によって、国際連帯とプロレタリア革命の路線を放棄し、労働者階級との生きた結合を自ら断ち切ってしまった。
 決定的な打撃になったのは最高幹部の転向である。33年6月、無期懲役の判決を受け獄中にあった佐野学・鍋山貞親が共同で転向を声明した。声明の内容は日帝の中国侵略戦争を「進歩的」であると支持し、天皇制を「民族的統一の表現」として美化する、まったく許しがたい全面屈服であった。
 この声明をきっかけにして獄中から党幹部・党員数百人が相次いで転向を表明し、共産党は内部から急速に崩壊していった。これに乗じて特高は目的遂行罪を適用して労働運動をはじめ民衆のあらゆる自主的な運動を弾圧し、歯止めなく戦争への道を突き進んだ。

完黙・非転向が勝利の鍵

 敗戦まで20年間の治安維持法体制のもとで逮捕・投獄された人は数十万人、獄中で拷問・虐待・病気で殺された人は1700人に及ぶ。朝鮮、台湾、中国(関東州)にも同法が適用され多くの朝鮮・中国人民が虐殺された。血塗られた日本帝国主義を必ず打倒しなければならない。
 労働者階級の団結は、権力の弾圧によっては崩れない。戦前の日本共産党と労働組合の戦争体制への屈服は、権力の弾圧そのものによるものではなく、幹部の思想的屈服と転向が引き金となったのである。労働者階級は完全黙秘・非転向と階級的団結、国際連帯の闘いによって必ず弾圧を粉砕し、勝利できる。
 「共謀罪」は、治安維持法と同様の「目的遂行罪」を規定した治安立法だ。弾圧を絶対に粉砕しよう。11・4集会の大結集で改憲を阻止し、プロレタリア革命勝利へ前進しよう。

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関連年表
1917年 10月 ロシア10月革命
1918年 7月 米騒動始まる
8月 シベリア出兵の宣言
1919年 3月 朝鮮で三・一独立運動始まる
日比谷で普選要求集会5万人
5月 中国で五・四運動始まる
1920年 5月 上野公園で日本初のメーデー
1921年 7月 神戸の三菱・川崎造船所スト
1922年 7月 日本共産党結成
1923年 3月 野田醤油ストライキ
9月 関東大震災
1925年 4月 治安維持法公布
5月 普通選挙法公布
1926年 1月 京都学連事件、共同印刷争議
1927年 6月 小樽港湾ゼネスト
1928年 3月 3・15弾圧。1600人を検挙
6月 治安維持法を緊急勅令で改悪
1929年 4月 4・16弾圧。700人を検挙
12月 東京交通労働組合スト
1931年 9月 柳条湖事件(満州事変)
この年労働争議、戦前最多
1932年 3月 東京地下鉄スト
7月 コミンテルン「32年テーゼ」
1933年 6月 共産党幹部佐野学、鍋山貞親転向声明。以後雪崩打つ転向
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