7・5法務省包囲デモへ 命を奪ったのは国家権力だ 星野文昭さんの遺志継ぎ闘おう

週刊『前進』02頁(3045号01面01)(2019/06/20)


7・5法務省包囲デモへ
 命を奪ったのは国家権力だ
 星野文昭さんの遺志継ぎ闘おう



(写真 全国の仲間が見守る中、遺影を抱いた暁子さんとともに、全国再審連絡会議ののぼりと革共同の旗で包まれた星野さんのひつぎが運び出された【6月8日 杉並・光明院】)


 5月30日に東京都昭島市の東日本成人矯正医療センターで逝去された星野文昭さんの通夜が6月7日、葬儀告別式が8日に東京・杉並区の光明院で行われ、千人以上が参列しました。星野さん解放をめざして闘ってきた仲間が全国から駆けつけ、新たな闘いを誓って星野さんを送り出しました(通夜・葬儀告別式での弔辞は別掲)。「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」がよびかける7・5法務省包囲デモと7・6全国総会、7・26「星野文昭さん追悼、獄死・国家犯罪を許すな全国集会」に総結集し、星野さんの命を奪った国家権力の責任を追及する大運動を開始しましょう。星野さんの遺志を引き継ぎ、一人ひとりが「星野文昭」となって闘いましょう。
 星野文昭さん逝去の報は、たちまち日本全国、韓国、アメリカ、ドイツ、トルコなど世界に伝わり、衝撃が走った。奇跡を起こせなかった悔しさと共に、星野さんに獄死を強いた安倍政権―法務省・徳島刑務所・四国地方更生保護委員会・東日本成人矯正医療センターへの湧き上がる怒りが今、星野さんを知る全ての人々を奮い立たせている。
 日本帝国主義が朝鮮・中国―アジア侵略戦争に敗れ、戦後革命の波が日本全土を覆った1946年4月に生を受けた星野さん。彼はまさに「天が送ってくれた反戦、平和、反帝国主義の星でした。二階級に分かれた資本主義社会を覆し、ひっくり返す狼煙(のろし)でした」(韓国・テグの仲間の弔辞)。
 成長した星野さんは、8・6広島に心を揺さぶられ、71年三里塚闘争に身を投じ、沖縄の闘いと連帯して11・14渋谷闘争に立ち上がった。
 沖縄で辺野古新基地建設と闘っている平良悦美さんは、「文昭さんは殺された。私の暮らす沖縄を本気で担ったために殺された。......住民たちの労働の代価を吸い上げた力を使って、つつましく営んでいる人間たちの生活と大地と空と、環境の、あらゆるものを壊す化け物、襲い掛かる力に、文昭さんは殺された。しかし、文昭さんは死んではいないよ、暁子さん。あなたが貫いた愛は文昭さんに届いているよ。そして、沖縄の未来への夢の種火となって生きているよ」(星野新聞第79号)と追悼している。
 71年11・14沖縄返還協定批准阻止闘争をデモ隊のリーダーとして闘った星野さんは、国家権力の焦りに満ちた報復弾圧の的とされ、でっち上げ殺人罪で無期懲役刑とされた。最高裁の上告棄却(無期懲役確定)が87年7月17日。中曽根政権のもとで国鉄分割・民営化が強行された直後だった。
 96年4月に獄中から再審請求を行い、2012年に始まった徳島刑務所包囲デモは17年まで5回を重ねた。全証拠開示を要求する署名運動を始め、文昭さんが獄中で描いた絵の展示会を通して星野闘争は広がっていった。
 そして無期確定から30年となる17年、家族・弁護団と「星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議」に集まった全国の救援会が、四国地方更生保護委員会に仮釈放を求める大運動に打って出た。
 全国で年間数万人を集める星野絵画展を軸に、商業新聞への意見広告も駆使し、更生保護委員会のある香川県高松市での全国集会・パレードと精力的な闘いが続いた。
 安倍政権の改憲・戦争攻撃が強まる中、動労千葉・関西地区生コン支部・港合同を軸とする階級的労働運動を進める労働組合が星野闘争を担い、さらに星野さんの闘いを知った人々が、星野闘争を通して改憲・戦争阻止!大行進運動に続々と参加するようになった。怒りが言葉となり、行動となり、腐敗にまみれたこの社会に立ち向かう力が生み出されてきたのだ。
 「全ての人が人間らしく生きられる社会をつくろう」と訴え続けていた星野さん。沖縄の労働者民衆の闘いと一体となって解放の未来へ、団結を生き抜いた星野さん。今こそ星野さんの全人生をわがものとし、国家権力の責任を徹底的に追及する大運動を起こそう! 星野闘争を力強く継続し、国家権力のでっち上げを暴き、星野さんの再審無罪を勝ち取ろう!
 星野さんの遺志を継ぎ、怒りを大結集させて7・5法務省弾劾の大デモに決起しよう。杉並公会堂で開かれる7・26星野集会に大結集し、新たな星野闘争を宣言しよう。

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