星野精神を継承し闘おう 星野暁子さん

週刊『前進』02頁(3051号01面03)(2019/07/11)


星野精神を継承し闘おう
 星野暁子さん

(写真 決意を述べる星野暁子さん)

 文昭の葬儀から1カ月、本当に長い時間が流れたように思います。私は星野文昭の無実を明らかにするための再審請求人になる者として、文昭が生涯をかけた、人間が人間らしく生きられる世の中を求める闘いの、すべてを引き継ぐ者として皆さんの前に立っています。
 星野精神の継承という時、それが何なのか、一緒に生きている文昭に問いかけながら考えています。一つは、人間に対する信頼です。文昭は人間の本質を他者との共同性と位置づけていました。私を心から信頼し、仲間を信頼し、労働者民衆が必ず立ち上がることを信じ、その確信が揺らぐことはありませんでした。
 二つは、人間解放のための準備を日々怠らなかったことです。革命家として生きたということです。まず学習です。その日のために自分を磨いておかなければならないと言っていました。大好きな絵も、その優先順序を変えようとはしませんでした。
 三つは他者への優しさです。そして、正しいと思ったことを率先して実行することです。言うべきことは、刑務所当局にはっきり言い、食事の配膳をする受刑者の負担を考えて、おかゆの申し出をなかなか決断しなかったぐらいでした。
 四つは、どんな仕事に対しても腐ることなく全力投球したことです。かばん作りの負担が文昭の肉体をむしばんだことを考えると本当に悔しいです。文昭の姿勢はいつもそうでした。
 この全体を貫いて沖縄への連帯があったことは言うまでもありません。
 これからやるべき闘いとして三つあります。一つは、国家賠償請求訴訟です。昨年8月、徳島刑務所で文昭が倒れた時、「胃けいれん」などとして1日休んだだけで翌日から仕事を強制されました。原因を追求する検査がなされていれば、もっと肝がんが小さいうちに、リスクの少ない治療ができたはずです。3月4日、エコー検査が行われましたが、結果は4月17日まで文昭に知らされませんでした。更生保護委員会には知らされたのか。仮釈放決定にかかわる問題です。そして4月18日に移監になった昭島の東日本成人矯正医療センターで11㌢×14㌢の巨大な肝がんを切除する手術は2名のみの執刀医で行われました。万全な態勢だったのか。術後の態勢はどうだったのか。国賠で文昭の無念を何としても晴らさなければなりません。
 二つは、殺人罪でっち上げを明らかにする第3次再審請求裁判です。申立人には私がなります。弟の修三さん、兄の治男さんも申立人になると言っています。大坂裁判を星野裁判の継続として闘い、その地平に立って、再審勝利を勝ち取りましょう。
 三つは、安倍政権打倒の闘いです。労働者民衆の怒りを欺いて、改憲・戦争の道を敷き詰めている時、私たちみんなが星野文昭になって闘うことは重要です。
 文昭がたった一人、無期懲役刑になり苦しんでいたころ、私は一緒に生きようと言って獄中結婚をしました。文昭は共に生きた33年の中で、そのことを片時も忘れませんでした。「もう一度生まれてきても、僕は暁子とみんなとの団結を生きる。後悔するものは何もない」。それが文昭が残した言葉なのです。
 文昭の精神は、手術前の最後の1日さえ意欲満々でした。生かしてやりたかったです。危篤になってからも、文昭は力を出し尽くして生き抜き、私と手を握りしめ、抱きしめあって、すべてを成し終えた安らかな顔で旅立ちました。
 文昭が残してくれたものは、くみきれないほど大きいです。200を超える絵も残っています。書簡集も作りたい。それを生かすのは私たちです。悲しみを乗り越えて、皆さん、頑張っていきましょう。
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